12
ミラリスは宮殿で支給されているお仕着せに、胸当てのない小さなエプロンを身に着けていた。愛らしくふっくらとしていた頬は痩せこけ、瞳にも光がない。その姿は彼女の転落ぶりを物語るようで、ベルミカも胸を締め付けられる。
「お下がりっ!」
傍らから上がった鋭い声に、ベルミカは思わずすくみ上る。視線を向ければ、マルダから普段の能天気な笑みが消え、まなじりが鋭く吊り上がっていた。普段は主人に従順な猟犬が、獲物を見つけ吠え立てるような豹変ぶりに、ベルミカは声を失う。
「女王陛下の名を騙る大罪人が! よくおめおめと宮廷に顔を出せたものね! ――陛下、すぐにお戻りを。私がこの者を見張っている間に衛兵をお呼びください」
「待って、待ってマルダ……」
ベルミカは混乱しつつもマルダを制する。
「どうしてここにいるの、ミラリス。その姿は一体どうしたの?」
問いつつも薄々理由には感づいていた。ミラリスの捜索のため、彼女に関係のある場所はしらみ潰しに調べているとゼノスから聞いていた。いよいよ追跡の手が迫っていることに気づき、もう逃げ場はないとミラリスは最後の手段に出たのだろう。
「服は知人に用意してもらいました。今のわたくしが陛下にお目通りするには、宮中の使用人に紛れるしかないと……」
「お前に手を貸した不忠義者は誰です!? その者も詐欺の仲間なの!?」
「詐欺だなんて、わたくしはそんな……」
「……マルダ」
自分の役目を果たそうとするマルダの忠義ぶりは認めるが、彼女がここにいてはまともにミラリスと話ができそうにない。
「申し訳ないけれど、ミラリスと二人で話をさせて」
「なりません、陛下!」
「今日城内に立ち入る者は危険物を持ち込んでいないか、身分や職務に関係なく全員厳しく調べられていると聞いたわ。……そうよね、ミラリス」
「はい。洗濯女に紛れて来ましたが、確かに衣服や持ち物はすべて検められました」
ミラリスの着ている水色のお仕着せは、厨房での洗い物や洗濯などの雑事に従事する、宮殿の中でも最下級のメイドの物だ。かつて女王の側付きだった令嬢が、振りだけでも使用人の真似事をするなどプライドが傷つく行為だろう。そうまでして、ベルミカに会いたかったという言葉に嘘はなさそうだ。
「マルダ、庭園の百合を見た? 真っ白で綺麗だったわね」
「……え?」
突然、脈絡のない話を振られ、覇気が削がれたマルダに、ベルミカは静かに微笑んで言う。
「私の部屋にも飾って欲しいの。今すぐに準備してもらえるかしら」
「ですが……」
「お願い、マルダ」
少し語気を強め、その目をしっかりと見据えて告げる。あからさまな人払いに、マルダはしばらく躊躇するような素振りを見せていたが、やがて根負けしたように肩の力を抜いた。
「……かしこまりました」
「ありがとう」
「ですが、絶対に城外にはお出にはならないでくださいね」
「ええ、わかっているわ」
マルダは去り際に、今一度ベルミカに視線を向けて小さく頷くと、元来た道を早足で戻って行った。
「――さて、話は何かしらミラリス?」
ミラリスは横目で周囲を見渡す。
「陛下、場所を変えてもよろしゅうございますか? 洗濯女がこんな場所にいては、他の者に怪しまれてしまいます」
「構わないけれど、マルダに言われた通り外に出るつもりはないし、私の部屋にあなたを招き入れることはできないわよ」
本来なら自分の名を騙って詐欺を行ったミラリスと、会話することすら褒められたことでないのは承知だ。万が一誰かに見咎められれば、後々で『やはり詐欺師は女王の関係者だった』などと噂されかねない。
それでも元侍女であるミラリスを増長させた責任の一端は、間違いなく自分にあるとベルミカは思っている。こうしてミラリスを前にしながら、すべてをゼノスに委ね、現実から目を逸らすのは気が咎めた。
「それでしたら、使用人しか立ち入らない区画はいかがでしょうか? 侍女としての私の顔を知る者はいないでしょうが、人の出入りがまるでないわけではございません」
ベルミカはその提案について少し考える。確かに貴族たちの目に留まるのは困るが、完全に人気のない場所へ行くのは得策ではない気がした。いざとなれば、助けを呼べる場所から離れたくないという思いもあった。
「……いいわ。案内してちょうだい」
うなずくと、ミラリスは「では、こちらへ」とベルミカを先導しながら歩き出した。
やがてミラリスに案内されたのは、使用人専用の回廊の途中にあるリネン部屋だった。そう広くはない部屋の中に、洗濯とアイロン掛けがされた真っ白なシーツが綺麗に畳まれて棚に積まれている。石鹸のほのかな香りに、緊張していた心が少しやわらぐ。
「……お城の中にこんな所があったのね。知らなかったわ」
「わたくしもです。このような下賤が出入りする場所に身を潜めることになるとは、本当に惨めなものですわ。こうして下々に身をやつし、ようやくわたくしは自分の愚かしさに気づきました」
ベルミカはしばらく無言でミラリスを見つめ返した後、話を切り出す。
「……それで、要件は何かしら?」
「女王陛下、どうぞわたくしにご慈悲を賜りください」
ベルミカは視界を閉ざすように目を伏せる。想像通りの言葉に、体の芯がすっと冷えていくのがわかった。
作中で説明できなかったけど、マルダは田舎っ子だけどいいとこのお嬢様。だから「子爵の娘ごときが!」って感じになってます。