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「メイズ伯爵ラザロですか……? それでしたら私の一期下の後輩で、幼年学校では同じ寮でした。戦時体制のため士官学校を繰り上げ卒業になった後は、第二胸甲騎兵連隊に配属されています。確かあのイエレ湖畔の防衛作戦にも参加していたはずです」
イエレ湖は終戦間際に、最も過酷な戦場となった一つだ。ディル軍の激しい攻勢を食い止め続けたヴィレシア軍の活躍は国内を大いに勇気づけた。
「……なるほど、確かにそんな案件もあったな。父親が投獄されながらも、家督存続が認められたのはイエレ湖の英雄への恩賞といったところか。それにしても、まさか君の顔見知りとは世間は狭いな」
ラザロをよく知る人間がすぐ傍にいたことに、ゼノスはいささか面食らう。
「そこまで親しいわけではありませんが、私は幼年学校で監督生を務めていたので、彼からすると多少印象があったのでしょう。最後に会ったのは、ラザロの叙爵を祝う席だったと思います」
「メイズ伯爵の人柄や評判はどんな感じだった?」
「そうですね……教師や生徒たちからの評価は概ね良かったと思います。――ああ、ですが」
カレルは少し眉をひそめる。
「思い出しました。閣下もご経験があるとは思いますが、幼年学校では上級生の所用を、下級生が任せられることは覚えていらっしゃいますか?」
「当然だ。忘れるものか」
陸軍幼年学校は主に十二歳から四年後の卒業までを、寮で共同生活をしながら過ごす。貴族も平民も身分は一切関係なく、その点に関しては実際の軍隊よりも徹底している。
特に一年生の地位は低く、上級生の奴隷も同然だ。部屋の掃除に暖炉の火起こし、靴磨きからアイロン掛けと、生活のありとあらゆることを命じられる。もちろん不始末があれば、容赦なく拳骨が飛んでくる。そうした上級生の指導の下で、軍人としての生活の基礎を覚えていく仕組みだ。
「苦労知らずの御曹司をこき使える機会など、人生でそうそうないからな。おかげで一年生の時の私は、上級生同士で取り合いになるほど人気者だったぞ」
当時の屈辱的な扱いを思い出し、ゼノスは苦い口調で言う。カレルは思わず吹き出したのを誤魔化すように、咳払いした。
「……そのように個人の指名がない場合は、雑用係を寮の監督生が指名して上級生の元へ行かせます。ラザロは温厚な性格だったので、一年生の中でも気弱な者や人見知りの者の指導を任せていました」
「そういうものか……。それにしても君は監督生だったのか。さすが優秀だな」
「閣下がそうでなかったことの方が意外なのですが……」
「自慢じゃないが成績は常に主席だったぞ。だが私は上級生に反抗的だったからな。懲罰室の常習犯では、全生徒の模範となる監督生には指名されんだろう」
「……さようでしたか」
どう言葉を返していいのか気まずい様子で、カレルが視線を逸らす。
「話が逸れたな。それで、メイズ伯爵の指導には何か問題があったのか?」
「問題、というわけではないのです。ラザロの指導は上級生の私から見ても的確で、暴力を用いずこんこんと諭すような根気強いものでした。実際彼に指導を任せた下級生は、目に見えて表情が明るくなり、積極的に振舞えるようになりました」
「問題どころか、むしろ上等じゃないか」
「ええ……ですが、なぜかラザロに指導を任せた下級生は二、三ヶ月もすると、担当の上級生を変えてくれと懇願してくるのです。私が知っているだけでも、そう訴えた下級生は三人いました」
ゼノスは半眼で嘆息する。
「それは……もしやアレか?」
「実は私も疑いました」
幼年学校はもちろん女人禁制の男子校だ。長い禁欲生活の中で見目の良い同級生や下級生を女性の代わりとして、よからぬ妄想を抱き、それを実行する不届き者も少なくない。
指導にかこつけて、さてはラザロが下級生に迫ったのではないかと、ゼノスはいぶかしむ。
「ですが下級生たちから、そういった訴えはないのです」
「……そんな不名誉な話、そう他人には言えんだろう」
今思い出してもおぞましいが、実はゼノスも上級生に迫られた経験が何度かある。もちろんその度に拳で応戦したが。おかげで一年生の頃は本来の自室である大部屋で過ごした記憶は少なく、懲罰室は『ハイレルの個室』と揶揄されるくらい世話になった。
「指導生を変えてくれと訴えるわりには、下級生たちはラザロに嫌悪感は持っていないのです。むしろ過度に信奉してる節すらあり、『先輩の激励に応えられない自分が悪い。この不甲斐なさに耐えられない』と口をそろえて言うのです」
「なんだそれは気色悪い……」
「私もよくわかりませんでした。教官とも相談しましたが、ラザロは真面目なあまり指導に熱が入り過ぎ、要求の度合いが高いのだろうという話で落ち着きました。悪意がない以上注意はできませんし、むしろ下級生への扱いが悪い大半の生徒より真っ当です」
下級生は上級生の気分次第で殴りつけられることもある。理不尽な扱いも、上官に絶対服従が原則である軍人の精神を養うためと黙認されている。それより遥かにましな指導を行っている生徒を、処罰するわけにはいかなかったのだろう。
「結局ラザロは下級生の指導から外しましたが、それだけです。士官学校でも特に問題はありませんでした」
「……どうもメイズ伯爵の人物像が見えてこないな」
「閣下、差し出がましい質問をお許しください。ラザロに何か問題があったのですか?」
ゼノスは少し迷ったが、この口の堅い秘書官ならばいいだろうと、真相を話すことにした。
「……先ほど女王陛下の侍女から教えられた。以前、メイズ伯爵が陛下の寝室に押し入ったらしい。すぐに出て行ったそうだが」
「陛下の寝室にですか!?」
「まあ、その反応は当然だな」
ぎょっとしたように目を剥くカレルに、やはり女王が悠長なだけで、それほどの大事なのだとゼノスは再確認する。
「酒に酔って道に迷ったのだろうと、陛下はあまり気に留めていないようだ」
「確かにラザロが不埒な真似を企んでいたとは思えませんが……」
「本当に単なる間違いであったのなら、陛下の不名誉となりかねない話を大きくするつもりはない。だからメイズ伯爵の真意を知りたかったのだ」
「たいした仲ではない上、宮廷勤めの私が探りを入れては怪しまれるでしょう。……誰か信頼の置ける同期か後輩にラザロの身辺を探らせましょうか?」
カレルの申し出に、ゼノスは少し考えてから首を振る。
「いや、せっかくだがやめておこう。仮にメイズ伯爵に悪意があったとしても、祝い事を控えた今の時期に処理するのは危険だ。……やるなら、結婚式が終わった後だな。今は陛下の身の守りを固める方を優先する」
「祭典では国内の貴族のほとんどが登城するかと思います。……おそらくラザロも。警備の数も見直しますか」
「ああ、頼む」
「かしこまりました」
退室するカレルを見送ると、ゼノスは椅子の背に体を預け足を組む。春の祭典と結婚式を前に、二つのやっかいな懸念を同時に抱えることになってしまった。しかも妙に引っかかる点がある。
詐欺事件と寝室への侵入事件。まったく関連はないように思えるが、どちらも女王の名誉に関わることで、堂々と表沙汰にして真相を探れないという、奇妙な共通点がある。
(これは本当に偶然なのか? いや、さすがに考え過ぎか……)
詐欺事件はともかく、ラザロの侵入事件の方はたまたまベルミカがマルダとの会話の中で思い出したに過ぎず、事が起きたのは即位して間もない頃の話だ。
とはいえ、どうも釈然としない状況に、ゼノスは重苦しい息をついた。
この辺りで折り返しです。また主人公の裏で話が進んでいますが、次からベルミカ視点になります。実は一章連載時点では、『R15だけど流血シーンはない』と注意書きをしてあったのですが、申し訳ありません、二章はがっつり流血シーンがあります。