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「――そがなわけや。告げ口みたいで罪悪感はあるけんど……」
「いや、かまわん。よく教えてくれた」
執務室を訪ねて来た侍女に、ベルミカのことを聞かされたゼノスは、ようやく真相を悟り深々と溜息をついた。まさか彼女が子供を産めないかもしれない、などと悩んでいるとは思わなかった。知らず知らずの内にベルミカを追い詰めていたとは、己の至らなさに頭を抱えたくなる。
「やき、子供んことは陛下の前で言わん方がええよ、若様」
「……ああ、今後は気をつけよう」
ゼノスは目の下に皺を刻む。
ずっと疑問だったことがあった。逆臣たちの企みで、ベルミカが虐待に近い扱いを受けていながら、貞操は無事だったことだ。想像するのも苦痛だが、手の内の子弟に無理やり関係を持たせ子供ができれば、彼らの思う壺だったはずだ。
何のことはない、彼らは当時のベルミカをまだ子を成せる体になっていないと思っていたのだ。ベルミカは子供時代の栄養状態のせいか、今ですら成人女性としては小柄な方でかなり華奢だ。それでいて月の障りがない様子を見れば、体が成熟していないと誤解されてもおかしくはない。
妊娠したとしても、無理な出産で女王が子供ごと命を落せば、次の王位継承者――つまりゼノスに玉座が回ることになる。それでは彼らにとって本末転倒だ。
ベルミカは気に病んでいるようだが、それが彼女の身を救っていたのは不幸中の幸いだった。どちらにしろ胸糞悪い話ではあるが……。
「それにしてもメイズ家の息子か……」
マルダに知らされた、もう一つの話も気がかりだ。メイズ伯爵家もまた『粛清』の対象だったことまでは記憶している。ヴィレシアの法では個人の罪に家族が連座することはないが、爵位や財産が一族から剥奪されることはある。おそらく跡継ぎである息子に何らかの功績があり、かろうじて家督の継承は承認されたのだろう。
間違いなく宰相である自分が承認しているはずだが、なにせそんな案件は就任してから掃いて捨てるほどあった。その一つ一つを事細かには、さすがに覚えていない。
しかしいくら当時の女官が怠慢だったとはいえ、一貴族が誰にも咎められることなく、女王の寝室に行きつくなどあり得ない。故意であったなら、首をはねられてもおかしくない。
「陛下は気にしちょらん様子やったけんど、若様も引っかかるろ?」
「そうだな。よく注意を払おう。『春の祭典』が例年通りとなると宮殿への人の出入りが多くなる。君も陛下の身辺には一層気を配ってくれ」
「もちろん。任せとーせ!」
胸元を叩いて元気よく返事をする赤毛の娘に、ゼノスは少々呆れた視線を送る。
「……それからマルダ。女王陛下はああいう方なので、気にされないかもしれないが、宮廷では同郷の者であろうと郷里言葉ではなく、侍女としてふさわしい言葉遣いを心掛けなさい。陛下のご威光にも関わることだ。私のことも『若様』ではなく、宰相か公爵と呼ぶように」
ゼノスの言葉にマルダは「コホン」とわざとらしい咳払いすると、澄ました顔で応じる。
「――かしこまりました、ハイレル宰相閣下」
「よろしい」
マルダは取り繕った態度を崩さぬまま、静々と退出したが、すぐに廊下からパタパタと弾むような足音が響く。
(……本当に大丈夫なのか)
ゼノスは思わず額を押さえうつむく。
マルダはかつて自分の養育係を務め、初等教育の教師でもあったロッサム夫人の姪だ。幼い頃から礼儀作法を学ぶために、ハイレル家の屋敷に出入りしていたので、彼女の人となりはよく知っている。賢く機転の利く娘ではあるが、あの調子の良さと目上の者にも物怖じしない態度からするに、ハイレル家での作法教育は今一つだったようだ。幸いベルミカはすっかりマルダを気に入ったようだが。
マルダが退出して間を置かず、入れ替わるように秘書官のカレルが入って来た。
「どうだ、何かわかったか?」
「はい。やはりバジム氏の息子は、宮廷で会計長官付きの使用人として働いていました。会計長官の娘であるミラリスと面識があってもおかしくはありません」
「そうか……よくやってくれた」
喉から手が出るほど待ち望んでいた情報に、ゼノスは安堵のあまり、椅子の背に身を預け息をつく。
「いえ、閣下のご推測が的を射ていたからかと。宮廷で働いていたバジム氏の息子は、長男ばかりを優遇する父親に日頃から不満を抱いていたという、元同僚からの証言も得ました」
昨日のベルミカの話通り、ブローチを渡したのが女王である以上、詐欺事件に宮廷は一切責任はないと突っぱねることができなくなってしまった。事件の真相を解明しなければ、責任はベルミカが負う羽目になる。
どうにか証拠を確保するために、秘書官に商人バジムの近辺を探らせていたのだ。最も引っ掛かっていたのは、詐欺師の女を宮廷で働いていた人間だと証言したバジムの息子とやらだ。その言葉がなければ、バジムも突然訪ねて来た初対面の女を易々と信用しなかっただろう。
元侍女ミラリスがなぜさほど知名度も規模も大きくない、似たような商売人が大勢いる中でバジムを狙ったのか、これで理由は分かった。知己であったバジムの息子に、ミラリスは話を合わせるように頼んだのだ。
父親への復讐心を煽られたか、礼金をちらつかされたか、あるいは色香に惑わされたのか、バジムの息子が詐欺にどこまで関与しているかは不明だが、少なくとも無関係でないことは間違いない。
あの商人には気の毒だが、自身の息子に一因があるとすれば、これ以上宮廷の責任は追及できないだろう。
「ひとまず反論材料は確保したが、念のためセベク家のブローチは、侍女が勝手に陛下の元から持ち出したことにする」
我ながら小賢しいやり口だが手段を選んではいられない。そしてミラリスは女王の名を騙る詐欺を働いた時点で極刑は免れない。ここに窃盗の罪状が加わったところで、大きな違いはないだろう。
「女王陛下は納得されるでしょうか?」
「……問題ない。元侍女の名誉より肝要なものがあることは、陛下もおわかりになっている」
納得の上で女王としての責務を果たし、そして影でひどく心を痛めるだろう。ベルミカはそういう人間だ。
「ミラリス当人の捜索は続けていますが、こちらは時間がかかるかもしれません。一家は母親を早く亡くしていて、父親が投獄され、ミラリスが免職された後は、親族や友人を頼り国内を点々としていたようです。彼女の妹たちの居場所は付き留めましたが、本人はもう二、三週間ほど戻っていないとのことでした」
ベルミカからミラリスの特徴は聞いているが、二十歳程度の栗色の髪にハシバミ色の瞳の娘などヴィレシアには山ほどいる。
「もう一つ気になる点がある。陛下がミラリスについて、しきりに『そんな真似をする娘ではない』とおっしゃっている。欲に目がくらんだ人間が、想定を超えた愚行に出ることはあるが、確かに世間知らずの貴族の娘にしては、妙に思い切りがいいというか……手口が玄人じみている」
「偽名を使っているにしろ、堂々と顔を晒し詐欺を働くなど、若い令嬢にしてはいささか……。その詐欺師は本当にミラリスなのでしょうか?」
よくある容姿だから捜索は難しい。そしてよくある容姿だからこそ、他人が成り済ますのは難しくない。
「憶測ですが、何らかの事情でミラリスが女王陛下のブローチを所持していることを知った者が、それを用い彼女のように振舞うことは可能ではないでしょうか?」
「……あり得るだろうな」
手元にある情報から考えれば、詐欺事件に関わっている者が他に存在する可能性が高い。そしてミラリス自身が積極的に犯行に関わっているのかは不明だが、彼女の未来は既に潰えているか、そうなるのは時間の問題だ。どのみちベルミカが心を痛める結末は避けられそうにない。
「なんにせよ詐欺師は一度犯行に味をしめたのなら、必ずまた同じようなことを仕出かすはずだ。引き続き商人たちに注意を促せ。それからミラリスが顔を出しそうな知人友人、昔馴染みの店などをしらみ潰しで当たれ」
「かしこまりました。すぐに手はずを整えます」
「――ああ。そうだ、カレル」
踵を返しかけた秘書官をゼノスは呼び止めた。
「君、年齢はいくつだった?」
「はい、今年で二十八になります」
「やはり同世代だな。――メイズ伯爵を知っているか?」
その名前にカレルはかすかに目を見開いた。
ニュアンスが伝わればどこでもよかったけど、個人的に女子のしゃべる土〇弁が好きなのでこうなりました。お国言葉は同地域でも差があったりするので、変換サイトに頼らせてもらいました。大目に見てもらえるとありがたいです。ちなみに宰相も話す気になれば話せるだろうけど、王都育ちだと思うのでマルダほどコテコテではないかも。