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 鏡台にはベルミカ自身と、その髪を丁寧に梳く一人の娘がいた。


「……ハイレル宰相に迷惑をかけてしまったわ」


 頬にそばかすを散らした赤毛の娘は、大きな青い瞳で鏡越しにベルミカを見つめ返す。


 彼女は今年に入ってからベルミカの侍女になった娘だ。以前の侍女たちが暇を出されて以来、宰相が選出した新たな侍女たちが、ベルミカの身の回りの世話をするようになった。さすがにゼノスが選んだだけあって、皆物静かだが、仕事ぶりは優秀な者たちばかりだ。ただ唯一の不満と言えば、生真面目すぎていささか息が詰まるということだ。


 女王の侍女とはただの使用人とは違う。公私ともに相談役となり、最も身近な友人として、時に家族以上の存在にもなりうる。以前の侍女たちは、その品行や本性はともかくとして、身分は確かなものばかりだった。


 ベルミカとしては身分にはこだわらないが、気軽なおしゃべりを楽しめる年の近い話し相手が欲しかった。そうゼノスに訴えたところ、思っていた以上にあっさりと適役を見つけてきてくれた。それがこのベルミカより一つ年下の娘、マルダだった。




「でも若様――宰相閣下なら、それくらいぱっぱと解決してしまいますよ」


 マルダは気軽な口調であっさりと答える。女王の侍女にしては、少々……いや、かなり物怖じしない娘だが、ベルミカはそこが気に入っていた。


「……ええ、そうね。今回のことも、きっとうまく収めてくれるとは思うわ」


「そりゃあ、愛しい未来の奥方のためですもの」


 鏡の中でなぜかマルダが得意げに笑う。

 

「お二人の結婚式が今から楽しみです。きっとすぐにお世継ぎも生まれて、お城も賑やかになりますね。私赤ちゃんが大好きなんです。乳母に名乗りを上げたいくらい!」


 マルダの言葉に、少し離れたところから溜息が重なる。


「馬鹿をおっしゃい、まだ結婚もしていないくせに。だいたいあなたみたいな不器用な娘に、大切はお世継ぎを預けられるはずがないでしょう」


 ベルミカの髪飾りを用意していた、侍女頭のロッサム夫人にぴしゃりと言われ、マルダは子供のように頬を膨らませて押し黙る。夫人はゼノスの幼少期の養育係りであり、マルダは彼女の姪だった。


 最近すっかり馴染みとなったそんなやり取りに、ベルミカはくすくすと笑う。




「でも、そうね……あなたに今すぐ良いお相手が見つかれば、間に合うかもしれないわ。私はいつ子供を産めるかわからないもの」


 ベルミカの声に何か感じ取ったのか、マルダの表情が曇る。


「どうなさったのですか陛下? まさか宰相閣下と何かございましたか!?」


「いいえ。彼は関係ないわ。私の問題なの」


 ベルミカは少し迷ったが、最も身近な存在であり、女王の体調管理もその仕事に含まれる侍女たちには話しておこうと思った。


「……実はね、宮廷に来てから三年くらい月の障りが一切なかったのよ」


「え? でもそれでしたら今は」


「ええ、今は大丈夫よ。でも若い頃にそういうことがあった女性は、子供を授かりにくいと聞いたことがあるわ」


 漠然とした懸念はずっと心の奥底にはあった。ゼノスと婚約し、彼が未来を語る言葉の中に子供のことが出てきた瞬間、急に不安が膨らみ始めてきた。現にもう幾度か彼と褥を共にしているのに、身籠る気配など一切ない。


 ロッサム夫人が小さく首を振る。


「気になさるほどのことではございませんよ、陛下。そういう女性もいるというだけです。娘時代に周期が定まらないなど、珍しいことではありません。それでもちゃんと出産する女性はたくさんいますよ」


「だといいのだけど……」


 ベルミカとゼノスは、それぞれヴィレシアの初代国王の直系である御三家の当主だ。本家マリオン家と御三家の一つアリスター家が途絶えてしまった今、二人だけがこの国の王位継承権を持っている。現状ではヴィレシア王室に選択権は少ない。


 替えの利かぬ二家をわざわざ一つに束ねることに、周囲からは難色を示す声もあった。もしベルミカに子が成せないとわかれば、ゼノスの血だけが唯一の望みとなる。将来ゼノスに妾を持つよう勧めることになるか、最悪離縁することになるかもしれない。どちらにしても想像するだけで、心が張り裂けそうになる。




「そんなことを心配されるより、好き嫌いしないできちんと食事を取り、規則正しい生活を送る方が肝心ですよ」


 まるで教師が教え子を諭すような口調でぴしゃりと言うと、ロッサム夫人は衣裳部屋へと消えていく。日頃から彼女に注意されることの多いマルダは、女王が相手でも容赦のない伯母に、げんなりした表情で肩をすくめた。その様子にベルミカは少し笑う。

 

「ねえ、マルダ。気になる殿方はいないの?」


 マルダは照れたように、えへへと相好を崩す。


「ええっと、実はいないこともないのですがー……」


「どなた? 私が知ってる方かしら」


「メイズ伯爵という方のことがちょっと……。あ、気になるだけですよ! 宮廷でも人気の方ですし、見てるだけで眼福と言うかあ、さすがに私みたいな田舎娘じゃ、釣り合いませんもの」


「メイズ伯爵……?」


「確かお年は二十六、七くらいで――」


「背の高い、亜麻色の髪に緑色の目の方?」


「はい、おわかりになりますか?」


「その方、以前私の寝室に来たことがあるわ」


「……はい?」




 急に表情を失い、棒立ちになるマルダにベルミカは慌てて言う。


「ああ、違うのよ! 私が即位して半年くらいの時だったかしら……まだあの方が爵位を継ぐ前の話ね。多分内廷に家族かご友人の部屋を訪ねて来て、間違えたのだと思うわ。ベッドの中にいたら急に男の人が現れたから、私もびっくりして枕の下にあった護身用の短剣を手にしたの。そしたら相手も慌てていたわ。それですぐに出て行ったの」


 顔を真っ青にして絶句するマルダに、ベルミカは笑ってみせる。


「ただ部屋に入ってきたというだけ。本当に何もなかったのよ。向こうもお酒を飲んでいたようだし、酔ってうっかりしてたんじゃないかしら」


「で、でも女王陛下の寝室に押し入るなんて……」


 ベルミカはこれまでその出来事について深く考えていなかった。それよりも慣れぬ宮廷の暮らしや、意地悪な女官たちの態度の方がはるかに負担だった。しかしよくよく考えてみれば、確かに女王の寝室に男が押し入るなど一大事だ。それこそ、そんなことを堂々とやるのはあの『悪辣宰相』くらいだろう。


「そうね……でも、あの頃は私の周りにいた女官たちは、あまり真面目ではなかったから、きっとろくに見張りもしていなかったのね。メイズ伯爵もまさか、女王の部屋に行きつくなんて思ってもいなかったでしょう。大事にはしたくなかったからいいのよ。もちろんロッサム夫人には内緒ね。彼女ちょっと心配性だし」


「陛下がそうおっしゃるなら……」


 マルダは納得のいかぬ表情ではあったが、しぶしぶうなずいた。













 ベルミカは結局実家を継いでいるので、女王様かつ女公爵みたいなかんじです。



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