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ベルミカが女王になったのは四年前。まだ十六歳のときだった。
即位するまで一度も王宮に足を踏み入れたことがない女王は、ベルミカが初めてだったと聞いている。
女王になる前年までの称号は公爵令嬢だった。
ベルミカ・ルシエーラ・マリオン=セベク。
それがベルミカの本名であり、王家マリオン家の分家筋である、セベク公爵家の一人娘として生まれてきた。
ベルミカが産まれて五年後、当時の国王が崩御した。本家マリオン家に跡継ぎはなく、王冠は分家筋に巡って来た。
王を輩出する資格を有するのは、この国の中でも三家のみ。
アリスター家、ハイレル家、そしてベルミカの生家であるセベク家だ。
個人の才覚で言えば、もっとも優れていたのはハイレル家当主にして当時の宰相だったろう。しかし彼の妻は交戦状態にあった、敵国王家の傍系だった。宮廷内外から大きな反発があり、ハイレル家は候補から辞退した。
そしてアリスター家とセベク家は、当主の歳も近く、実績も拮抗していた。
ただ大きく異なるのは、その次代となる子供たちだった。アリスター家には三人の息子がいるのに対し、セベク家は女子のベルミカただ一人。
王位継承権はまず直系子孫が優先される。その上で特別な事情がない限り、女子よりは男子が優先となる。先のことを考えれば、どちらの当主が王を名乗るにふさわしいかは明白だった。
あと一歩のところで王位を逃した父は、ことあるごとにベルミカと、娘一人しか産めなかった妻に当たった。頬を腫らして泣く、母の姿を幾度となく見た。
父の私生活は荒れ果て、憂さ晴らしに賭博に手を出し、屋敷には娼婦が出入りするようになった。果ては宮廷の夜会で酒を過ごし、他の貴族を相手に暴力沙汰を起こしてしまった。元から対立関係にあったアリスター家の新王により、父は宮廷からの追放を命じられた。
ベルミカが階段から突き落とされ、大怪我を負ったのはその直後だった。
暴力が幼い娘に向かったことで、いよいよ覚悟を決めた母は、ベルミカを連れて婚家を出た。
国境付近の田舎町まで逃げ、わずかに持ち出せた宝飾品をその地の修道院に寄進した。こうして母子はそこで暮らすことになった。
厳格な修道院の暮らしは規律に満ちていて、幼い少女には窮屈なものだった。それでも夜中に怒声で叩き起こされたり、理不尽な暴力にさらされたりする恐怖に比べればどうということはなかった。何より愛する母に、笑顔が戻ったのがうれしかった。
慎ましい暮らしは十年以上に及んだ。
その最中に不摂生な生活が祟ったのか、父はあっさりと心臓を病み亡くなっていたが、母子は修道院で暮らし続けた。帰りたくとも、借金まみれで死んだ父のせいで、屋敷は売り払われていた。
ベルミカには女公爵として家督を継ぐ権利があった。しかし財産も屋敷もない公爵など、世間の笑い物だ。爵位と領地を王に返上し、このまま修道女となろうと覚悟を決めた。
――その矢先のことだった。
ある晩、修道院に王宮から使者一団がやって来た。
見たこともない、きらびやかな宮廷衣装を身に着けた使者が、恭しくベルミカの前に膝を付いた。王冠と錫杖、そして深紅のマントをベルミカに差し出しながら、彼らはこう告げた。
「ヴィレシア王国第十八代国王、ベルミカ女王陛下のご即位をお喜び申し上げます」と。
冗談のような光景に立ち尽くすばかりだったが、くわしい話を聞いて、これは現実なのだとようやく思い知った。
ベルミカが暮らす辺境の修道院には、王都からの情報などほとんど入ってこなかった。それでも出入り商人や巡礼者から、流行り病のせいでたくさんの死者が出ているとは聞いていた。しかし、国王もその跡継ぎの王子らも亡くなる事態になるとは、想像もしていなかった。
王子の内二人は既婚者だったが子供はなく、再び残った分家筋に王位が巡って来た。ハイレル家当主は病で先は長くないと見られており、その一人息子は元敵国の血を引いている。セベク家の後継者であるベルミカ以外、玉座に座れる者はいなくなっていた。
こうして運命に翻弄された何も知らぬ少女は、あれよあれよという間に王冠を被せられることになった。
即位当初は為政者としての知識どころか、王宮の作法もままならず、母と引き離されたベルミカは怯えるばかりだった。それでも一年が経つ頃には、腹心の侍女や信頼できる貴族を味方にすることができた。
しかしさらに一年後、彼らは全員ベルミカのから取り上げられた。父亡き後ハイレル家当主の座と役職を引き継いだ、悪辣宰相ことゼノス・アーロン・マリオン=ハイレルの手によって。
彼は自分の意に添わない人物を、次々に宮廷から追い出した。抵抗した者には横領や不正の証拠を突き付け、牢獄へと送った。ゼノスの手により、罪を捏造されたとの噂もあったが、恐らく事実だろう。
彼の手は政治の場だけではなく、ベルミカの住まう内廷にまで及んだ。仲の良かった侍女たちは、彼の息がかかった女たちと挿げ替えられた。
ベルミカはゼノスによって両手両足がもがれた状態となった。わずか一年で権力を掌握してしまった敏腕の宰相相手に、若く実績もない女王はどうする術もなかった。