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翌日ゼノスが執務室で仕事をしていると、秘書官が部屋へとやって来た。その手には銀のトレイがあり、封筒と小さな布の包みが乗っている。表情を曇らせる秘書官に、嫌な予感を覚える。
「先ほど、また例の商人から直訴状が届きました」
ゼノスは差し出された封筒を手に取り中身を改めると、やがて乱雑に机の上に放り投げる。予想と寸分たがわぬ内容に、うんざりと首を振る。女王が帰還する前に片を付けたかったが、そう上手くはいかぬらしい。
「しつこい男だ。宮廷に関りはないと正式な見解を伝えたはずだ。犯人捜しがしたいのなら、所轄の憲兵隊に申し出るように伝えろ。この件は今後一切無視して構わん」
「それが、今回はこちらの品も一緒に持って参りまして……」
トレイにあった布の包みを開いてみると、それは女性物のブローチだった。エメラルドで出来た四枚の葉の中央に、細かな花びらが幾重にも重なった黄金の花が一輪据えられたデザインだ。
少し古めかしいなと思いつつ、手に取ってはっとする。立体的な造形のせいで最初は気づかなかったが、これと同じデザインをゼノスはよく知っていた。
「閣下、これはおそらく本物かと」
「……ああ、残念ながらそのようだ」
ゼノスは初動を間違えたことを悔やむ。これを放置すれば、とんでもない大事に発展しかねない。
眉をしかめ、ゼノスはしばらく考え込んだ。
「これを持ってきた、使いの者はもう帰してしまったか?」
「いいえ、納得できる返事がもらえるまでは帰れないと、まだ宮殿に居座っております」
「ちょうどいい。私が行って直接話そう」
「宰相閣下自らがですか?」
「その方が話が早いだろう」
「閣下、それと――」
言って、立ち上がるゼノスに秘書官はさらに言う。
「まだ何かあるのか?」
「来ているのは使いの者ではなく、商会の会長本人にございます」
※※※※※※※※※※
「これはこれは、まさか宰相閣下自らにお運びいただけるとは、恐縮の至りに――」
「前置きはよそう。あなたも一刻も早く本題に入りたいだろう」
応接室で待っていたのは、身なりのよい五十歳程度と思しき男だ。恰幅がよく、丁寧な口調と人の良さそうな顔立ちがいかにも商人じみている。ゼノスは対面のソファーへと腰を掛けた。
男は王都で小さな商会を営み、バジムと名乗った。
「改めて確認させてもらうが、あなたの訴えは、女王陛下があなたの商会にした借金を宮廷が代わって返済してほしい、そういうことであっているかな?」
「はい。その通りにございます」
常識的にあり得ない話に、ゼノスは鼻で笑うのを堪える。
バジムから最初の直訴状が届いたのは、女王が視察の旅に出た翌日のことだった。
――女王陛下が侍女を通じ、我が商会から借り受けた二万リヴルの返済期日がとうに過ぎている。すぐに返済いただきたい。
それが直訴状の内容だった。
最初は質の悪い女王に対する嫌がらせかイタズラだろうと思っていた。しかし念のため確認を取ったところ、確かにその名は実在する商会のもので、訴えも本物だった。
「この通り借用書と、先ほどお渡しした証拠の品もございます」
「その件はまた後ほど。まずその手元にある借用書と、こちらの書類を見比べてほしい。これが本物の女王陛下のご署名だ」
ゼノスは他人が目にしても指し障りのない。宮殿の補修工事の許可証など、宮廷の公式文書であることを示す、浮彫りが入った書面を数枚携えてきた。
「見たところ同じ物のように見えますが……ほら、大きさもちょうど――」
「よく見てほしい。署名の最後の文字の少し右上だ」
女王の署名の最後の一文字の上に、ほとんどかすれて見えない程度の点が二つ入っている。
「これは汚れでは……」
「いや、あえて入れられているのだ。他の書面にもあるのがわかるだろう。これは二百年ほど前に、宮廷で流行した飾り文字の書き方だ。そしてあなたの借用書にはそれがない」
「そ、そんな――」
バジムは差し出された書面を、老眼なのか何度も遠ざけては近づけ、長い時間をかけて眺める。やがてゼノスの言い分が本当だとわかると、へなへなと椅子の上で脱力した。
ゼノスからすれば目の前の男は、女王の侍女を騙る女によって、悪質な詐欺にあったとしか思えない。男から訴えがあれば、事件としてしっかり捜査はするが、弁済義務は当然宮廷にはない。気の毒な話ではあるが、そもそも男も不用意が過ぎる。
「失礼だが、女王陛下が縁もゆかりもないあなたから金を借りるなど、それ自体がおかしな話とは思われなかったのか?」
バジムは気まずそうに、ちらちらとゼノスを伺う。
「それが、その……使いの侍女を名乗る女の話では、女王陛下は籠の鳥も同然で、お手許金はおろか生家の私財まで取り上げられ、修道院に追いやられた母君への援助もままならないと」
「……なるほど。そういうことか」
歯切れの悪いバジムの台詞に、ゼノスは苦々しくつぶやく。
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