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 2023/07/22 修正








 それはまだ年が明ける前のことだ。


 添い寝だけで終わった最初の“夜伽”からしばらく後、本当の意味で初めての夜を過ごした。その後、謀られていたことを知ったベルミカは厳しい顔つきで、執務中と同じようにゼノスを『ハイレル宰相』と呼び、虚偽について『生涯に渡り責任を追及する』と告げた。


 甘い声で名を呼んでくれた晩との落差に気落ちしたが、すぐにベルミカが『生涯』という言葉を使ったことに気づき、密かに感極まっていた。




 その後、ベルミカは改めてゼノスに小さな小箱を手渡した。


「王の伽を務めた褒美よ」


 照れ隠しのように素っ気なく言われ、渡された箱の中に入っていたのは碧色の宝石で飾られた鍵だった。


「あなたは内廷に自分の部屋を持っていないそうね?」


 女王の私生活の場である内廷に、自分の居住部屋を持つことは貴族の誉れと言われている。部屋を維持するには賃料を賄える財力と、女王からの信頼が必要となるからだ。


 とはいえ宰相である自分は望めば女王の許可がなくとも、部屋の一つや二つ用意できたはずだ。部屋がないのは今まで必要としなかったからだ。


「執務室の続きには、狭いですが仮眠室や浴室もあります。とくに不自由はしていませんでした」


「それは『翡翠の間』の鍵よ」


 その部屋のことはゼノスも聞いたことがあった。歴代の妃や妾が使っていたという部屋のことだ。王の寝室まで、他人が足を踏み入れることのない回廊で繋がっている。


『翡翠の間』は王妃に与えられるとは限らない。この部屋の鍵を下賜されるということは、妃であれ妾であれ、女として最高の寵愛を受ける存在と認められたことを意味する。


 ベルミカは女王であるので、そもそも寝室で共に過ごした時点で、ゼノスが唯一無二の伴侶と見なされている。それでも、彼女が自ら『最高の寵愛』が誰にあるかを示してくれたことがうれしかった。




 思わず緩みかける口元を抑えると、ベルミカが真っ赤になった。


「だいたいゼノスのせいなのよ! あなたが内廷に来るということは、つまり……その、そういうことをするって公言しているようなものじゃない! 外廷から堂々と歩いて来る間に、どれほどの侍従や女官の目につくと思ってるの? お願いだから、自分の住処をこちらに持ちなさい!」


「私としては、その事実をむしろ広める目的があったのですが」


「政略目的ならもう十分のはずよ。あなたとっくに三十路を過ぎているのでしょう。休める時はソファーじゃなくて、ちゃんとしたベッドで寝るべきよ」


「中年扱いはいささか傷つきますね。私の体力面に問題がないことは、陛下が誰よりよくご存じかと思っていたのですが……」


「そっ……そんな話はしていません! 睡眠はきちんと取らないといつか体調を崩しても知らないわよ!」


 愛する人の寝室と繋がった部屋など、いよいよ寝ている場合ではないのではと思う。自分の健康を本気で心配してくれているベルミカの手前、それこそ中年じみたい台詞になりそうなので、口に出すことはやめておいた。




 その後、案の定『翡翠の間』はベルミカの気遣いとは裏腹に、()()()()睡眠のために使われることはほとんどなかった。






 ※※※※※※※※※※






 「……それでね、孤児院の子供たちとお料理も一緒に作ったのよ。厨房に立ったのなんて、修道院以来だからちょっと懐かしかったわ」


「陛下が包丁を扱えることに、皆が驚いていたのではないですか?」


「ええ。鍋の焦げ落しも得意なのに、それは止められたわ」


 ベッドの上に座り、寄り添いながらベルミカはこの一週間の旅で見聞きしたことを語ってくれた。


 ゼノスの肩に頭を乗せたベルミカは、すり寄るように収まりのいい場所を探している。子供のように温かくなってくる体温や取り留めのない口調からして、今晩はこのまま寝入ることになりそうだ。旅から帰還したばかりなのだ、疲れていても仕方がない。


 愛する人と久しぶりに会い、何も期待していなかったわけではないが、年長者としての意地もある。ベルミカに余裕のない男と思われることだけは、絶対にごめんだ。




「少しの時間だけど、ダグラートでお母様にお会いしたわ」


「公爵夫人はお元気でいらっしゃいましたか?」


「ええ。私が幸せにやっているとお話したら、とてもお喜びだったわ。もちろん婚約のこともね」


 ベルミカの母、セベク公爵夫人は女王の生母という肩書を抜きにしても、本来ならこの国の女性としては五指に入る高貴な身分だ。しかし娘の即位前と同様、今も修道女として慎ましい暮らしを続けている。


 即位当初ベルミカは当然母を宮廷へ呼びたがったが、少しでも女王から力を削いでおきたい側近たちの手で、適当な理由を付けられ長い間遠ざけられていた。ベルミカは最近になり、改めて母に宮廷に来るよう呼びかけたが、厚く礼を言われた上で断られたという。


 このまま世俗とは無縁の場所で、静かに暮らしたいというのが理由であり、ベルミカは落胆していたが、結局は母の意向を受け入れた。


 ベルミカには伝えていないが、実はゼノスからも宰相として、そして遠くない内に義理の息子になる立場として、女王の生母にふさわしい生活を用意したいと、手紙をしたためている。公爵夫人から返ってきた手紙には、やはり丁寧な断りの文言と、娘が幾多も苦難な立場に立たされるたびに、何もできなかった悔恨がつづられていた。


 ゼノスもまた、かつてベルミカの身に起こったことに長く気づかなかった。そのことは今も悔やんでいるし、セベク夫人の思いは痛いほどわかる。だからそれ以上は何も言えなかった。




「駄目だろうとは思っていたけれど、もう一度宮廷に来ないかとお誘いしたら、やっぱり断られてしまったわ」


「公爵夫人には、私もダグラートの保養所にいた時にお会いしています。慈悲深く謙虚な方だったと記憶しています。騒がしい宮廷より、今の暮らしの方が心穏やかに過ごせるかもしれません」


「そうね。……実は断られて少しほっとしているの。宮廷ここはあなたのおかげで随分ましにはなったけど、美しく華やかなだけの場所じゃないもの。私一人の力だけでは、何かあった時お母様をお守りできないかもしれない」


 ベルミカの言う通り、自分たちにはまだまだ多くの課題がある。そしてこれからも改革を進めていく中で、恨みを買うこともあるだろう。大事な人間を守るためにも、一日でも早く盤石な立場を作らなくてはならない。




 ゼノスは自分にもたれかかるベルミカの髪をすきながら言う。しっとりとした黒髪が、指の間を通り抜けていく感触がゼノスは好きだった。


「いつかお母上の気持ちが変わる日が来るかもしれません。……特にご自分の孫が生まれれば、しばらくはこちらに滞在してくださるでしょう」


 ゼノスとしては結婚の先にある、当然の未来を語ったまでに過ぎなかった。しかしその言葉を口にしたとき、ベルミカが一瞬だけ身を固くしたのがわかった。それは本当に瞬く間のことで、すぐに朗らかな笑顔をゼノスに向ける。


「そうよね。そうして何崩しに、お母様が宮殿に住んでいただく方向に持って行ってしまえばいいのよね」


 冗談めかした言葉に、ゼノスも何事もなかったように微笑んだ。おそらくゼノスが抱いた違和感に間違いはない。だが今の時点では理由がわからないし、すぐに触れない方がいい。直感的にそう思った。




「ああ、そうだわ。私がいない間、宮廷に変わりなかった?」


 ベルミカの質問に、ゼノスは完璧に()()()()()笑顔で応じた。


「特にご報告申し上げるようなことは何も」


「そう、よかった……」


 誰にでも秘密はある。それは永遠のものである場合もあるし、時が経てば明かせることもある。


 恋人と語らう顔の裏で、宰相としての判断を押し隠したまま、うつらうつらとし始めた愛しい女王の頬に手を添え、その唇にそっと口づけを落した。











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