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 女王は堕落したのではなかった。

 一部の貴族たちが、ベルミカを都合のいい人形に仕立てるため、彼女の自我をあえて徹底的に破壊したのだ。




 新たな女王に必要な教育を施さず、恥をかかせ皆で笑い物にして立場を貶めた。内廷にはわざと素行や性格に問題のある女官を遣わせ、心身共にいたぶり抜いた。


 そしてベルミカが不安と恐怖にさいなまれ、まともな判断ができなくなった頃を見計らい、今度は彼女を救うという体で、甘い言葉をささやき取り入った。


 ずたずたに引き裂かれたベルミカの心に、その毒がどれほど甘く染み入ったか想像はつく。ようやくすがれる存在を得た女王は、逆臣たちの言葉を好意と信じ、従ってしまった。


 彼らは女王にろくな教育を施さないどころか、自分たちの妻や娘を侍女として宛がい、娯楽や浪費を覚えさせ、政務から遠ざけた。


 こうして無垢な少女だったベルミカは、都合のいい傀儡へと仕立て直されたのだ。




 知れば知るほど、そのあまりに外道なやり口に、ゼノスは怒りで目が眩みそうになった。すでに政治犯として処した逆臣たちを墓から引きずり出し、改めて断頭台に送っても気が済みそうになかった。


 ベルミカへの日常的な虐待は一年近くにも及んでいた。宮廷貴族が一堂に会する場で、女性としての尊厳を踏みにじられたこともあった。即位当時のベルミカは十六歳になったばかり。まだ子供も同然だった。抗う術もなく、大人たちに寄ってたかっていたぶられる恐怖は、どれほどのことだったか。




 すべてを知った時、ゼノスはあまりの痛ましさに、手の皮が破れるほど強く拳を握りしめていた。


(私は度し難い大馬鹿者だ……)


 自分を絶望から救い上げてくれた少女の身に起きたことを、それまで知ろうともしなかった。自分の手の届かぬところで、惨たらしい方法で心を壊されていたなど考えもしなかった。


 そればかりか、救いを求めて泣く彼女を笑って見ていた人々と同じように、都合のいいお飾りとして、その意思を無視し続けてきた。




 ベルミカを道具のように扱い、その自我と誇りを奪った人々への憤りと、同じ愚行を犯した己への不甲斐なさに耐え切れず、ゼノスは衝動的に机を殴りつけていた。――何度も、何度も、何度も。


 やがて血に染まった机を見て、手を止めた。ベルミカが味わった恐怖と苦痛を考えれば、この程度の痛みなど、何の贖罪にもならないと思ったからだ。




 ベルミカの心の傷を癒すことなど、ゼノスにはできなかった。彼女の額にある傷と同様、心に刻まれた傷もまた一生治らないかもしれない。できることがあるとすれば、もう一度ベルミカに己への誇りを取り戻させ、今度こそ揺るぎのない忠義を捧げることだけだ。


 ベルミカはあれほど悪意に晒されながら、それでも他者への敬意と慈愛だけは失わなかった。その愚直なまでに純粋な心映えが、哀しく痛ましかったが、かすかな光でもあった。ゼノスはそこに一縷の望みを賭けた。




 それからのゼノスは、ベルミカと向き合うことを恐れなかった。


 まずは放置していた女王付きの侍女の処分から始めた。もともと情けをかけていたわけではないが、侍女たちの夫や父親はすでに宮廷を追い払われている。家族の威光を盾に権勢を振るっていた侍女たちの存在など、もはや些事に過ぎなかった.



 侍女たちは、性懲りも無く女王に装飾品やドレスなどのねだり事をしていたが、その程度の浪費なら、女王の無聊を慰める経費の内と割り切っていた。


 その認識を思い直し、彼女たちを改めて排除した。ベルミカを蝕んできた穢れは、徹底的に取り除く必要があった。




 侍女は信頼ができる人間に入れ替えた。国民の標となる女性にふさわしい、規則正しい生活を送らせることは、健全な精神を取り戻すことにも繋がる。それまで遊びに費やしていた時間は勉学に当てさせた。


 現実から逃避させてくれる娯楽を取り上げられ、ベルミカは不満をあらわにしたが、学ぶことへの楽しさには気づいたようで、勉強には真面目に取り組んでいた。




 さらに政務にも少しずつ携わらせ、時に女王としての在り方を、ゼノス自らが厳しく説いたとこともあった。


 心に深い傷を負った彼女に、過酷な現実を教えるのは心が痛んだ。だが深い傷を負っているのは、戦争で疲弊したこの国も民も同じだ。未来を楽観視できる状況には程遠い。ベルミカには女王としての職務と責任を、自覚してもらわなければならなかった。

 

 そうでなければ、ゼノスの身に何か起きたとき、また彼女は誰かの人形となる。自分の足で立てるようになってもらわなければ、意味がなかった。




 本気でベルミカと向き合うことは、ゼノスにとっても辛いことだった。特に戦争の傷痕に苦しむ国民の実情を知るたびに、ベルミカは己に降りかかった暴力や虐待の記憶を重ね、震えながら立ち竦んでいた。「もうがんばらなくていい」と言えたなら、どんなに楽だっただろう。


 いっそ王位から解放し、自分の手元で庇護しようかと何度も悩んだ。だがそれでは背景が違うだけで、結果的にベルミカを人形扱いすることには変わりない。

 

 過去に抗い、自らの手で尊厳を取り戻させなければ、ベルミカは逆臣たちが取り付けた頸木に永遠に囚われたままだ。縄に繋がれたままの、仮初の安寧など意味がない。ゼノスは差し出しかけた手を握りしめ、必死で堪えた。




 心を殺しひたすらにベルミカを導いた結果、彼女は徐々に自我と女王の矜持を取り戻し始めた。そして引き換えに、ゼノスは『悪辣宰相』として、ベルミカから大いに恨まれる羽目となった。









 








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