11
先代の王や宰相が病に倒れ混乱する最中、宮廷では賄賂や横領が半ば慣習化していた。人々は一部の権力者に媚びへつらい、数少ない正義を貫こうとする者は閑職に追いやられたり、原因不明の事故や病気で命を落としたりしていた。
前宰相のことは父として尊敬はしていたが、病を得てからは明らかに、政治家としての精彩を欠いていた。病を押して戦争の後始末に奔走したが、自らの膝元である宮廷に気を配る余裕がなかったのだろう。父の置き土産である課題は山済みだった。
宮廷が堕落すれば、その腐敗が国全土に広がるのは時間の問題。早々に、国家の中枢を正しく機能させる必要があった。例え独善であろうと、強引な手段をためらう猶予はなかった。
『宰相が己の意に添わぬ人々の罪を捏造した』という噂は半分以上本当だ。すでに不正が慣習と化してた宮廷を、正攻法で浄化することは簡単ではなかった。
捏造した罪に近いことを、逆臣たちが行っていたことは明白で、結果が同じならば、国庫や人材への傷が浅い内に始末した方が合理的と決断した。
どうせ捏造も陰謀も元々は彼らの手口だ。馴染みの方法で止めを刺されるなら本望だろうと、ゼノスは冷徹に処分を下し、逆臣たちを牢獄へ、もしくは断頭台へと送り込んだ。
おかげで血も涙もない『悪辣宰相』とあだ名されたが、宮廷では侮られるより恐れられる方が都合いい。噂を利用し、ゼノスも無慈悲な姿勢を貫いた。
そんな忙しい日々が一年ほど続いた後、ふと影の薄い女王のことを思い出した。
もちろん女王は『お気に入り』がどんどん宮廷から消えていくことに、不快の意を示していたが、味方を失った彼女に出来ることなど何もない。ゼノスには痛くも痒くもなかった。
ベルミカを退位させ、自分が王位に付くことも考えたが、『無能な女王とそれを正す宰相』という構図は、貴族はともかく庶民には受けが良かった。
この時点では、宮廷に巣くう害虫を退治しただけに過ぎず、着手しなければならない事案はまだ山ほどあった。ゼノスへの支持を保つために、女王の存在はまだ必要だった。
正直ベルミカのことは、あまり視界に入れたくなかった。彼女を見ると、美しい思い出すら汚されてしまうような気がしていた。そんな青臭いことを考える、自分と向き合うことも耐え難かった。
(――とはいえ、知らぬ間に女王が面倒な男にでも引っかかっては困る)
女王の近辺に目を光らせるのは職務の内と、自らに言い聞かせ、ご機嫌うかがいと称して、彼女の住まう内廷へ足を運ぶことにした。
庭園へと繋がる回廊を歩いていると、女の甲高い悲鳴や罵りが聞こえてきた。目を向ければ、女王とその侍女たちの一行の前に、庭師らしき男が倒れ込んでいた。
男はすっかり恐縮し、よたよたと跪いた。身分の低い使用人は女王に口を利くことはおろか、姿を見せることすら許されない。
激高した侍女の一人が、握った扇を振りかざし男を打擲しようとした瞬間、ベルミカが手をかざしそれを制した。
ベルミカは男に何か話しかけていた。よくよく見ると男の左袖はひじの先で縛られ、腕が欠損していた。
(……戦場帰りだな)
痛ましいことだが、長きに渡って戦争を続けていたこの国では、彼のような人間は珍しくない。医師も物資も余裕のない戦場では、一番手っ取り早く確実な治療は患部の切断だ。士官であったゼノスは比較的まともな治療を受けられたが、そうでなければ指の二、三本は失っていただろう。
ベルミカが何かを問い、男が答える。やがて彼女はドレスの裾が汚れるのも構わず、地面へと屈みこんだ。そして両手で男の左腕を包むと、恭しい動作で額を近づける。ゼノスも療養所で見たことがある、修道女の祈りの作法だ。
その瞬間、男の土に汚れた頬に涙が伝った。やがて女王が立ち上がり、一行が去って行った後も、男はその場で頭を垂れ続けていた。
その光景にゼノスはしばし茫然としていたが、すぐに自分の執務室へ踵を返した。そして先程の庭師を自分の元へと呼び出した。
「あたしは砲撃で耳をやられちまって、聞こえがあんましよくねえんです。本当に女王様のお出ましに気づかなかっただけで――」
「君のことを咎めたいわけではない。女王陛下と何を話したのか知りたいだけだ」
女王から直に話しかけられた上、わずかな間も置かず悪辣宰相に呼び出された男は、すっかり萎縮していた。しかし罪に問われないと知ると、ようやくゼノスの質問に応じた。
庭師が戦場で片手を失ったことを知り、女王は祈りを捧げたのだという。彼は頬を赤らめながら言った。
「女王様は『あなたが戦場から生きて戻ったことを、私は誇りに思います』と言ってくだすったんです」
話を聞き終え庭師を帰すと、ゼノスは胸の中に熱い物が灯るのを感じていた。同時に何か大切な物を忘れて来たような、奇妙な焦燥感に囚われていた。
ベルミカはすっかり堕落しきった宮廷に染まってしまったのだと思っていたが、それは違っていた。かつて戦場から逃げ戻った自分を労わってくれたのと同じ、他者への尊敬と慈愛の心まで損なわれていなかった。
(……ではなぜ、あんな風になってしまったのだ?)
考えてみれば、幼い頃のベルミカは怠惰とはほど遠い、よく気の回る聡明な子供だった。傷を負った男たちを怖がりもせず、自分の仕事を見つけては率先して働いていた。
リスのようにクルクルと動き回る小さな少女の存在は、故郷に娘や妹を置いてきた、士官たちの慰めだった。素直で心映えの優れた少女を、気難しい上官たちですら可愛がっていた。今の怠惰で無能な女王とは似ても似つかない。
浮かび上がった疑問に居ても立ってもいられず、ゼノスは即位当初の女王について調べて回った。そして導かれた真実は、ゼノスの想像を超える惨たらしい物だった。