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2話 拳銃

「――ん? どうしたんだい? そんなに驚いた顔をして。拳銃がそんなにも珍しい?」


 その日は、夏らしく日差しの強い昼間だった。雲一つない快晴の下、少女は黒い矛を屋上の壁へと向ける。

 飄々と、ふてぶてしい構えで、トリガーに人差し指をかけながら。

 如何にもドラマやアニメに登場しそうな、素人が見てもそれとわかる拳銃である。


「昨日ふと思ったんだよ。どうやったら存在しない君を殺せるかと。ナイフでやるのもいいけど、ほら、あれって感触が手に残りやすいらしいからね。だから急遽、これをちょっとしたルートで手に入れたわけだ。銃殺も悪くないだろう? ドラマチックじゃないか」


 嘘に限りなく近い本音なのか、本音に限りなく近い嘘なのか、それさえも曖昧な声色で、少女は言った。口が勝手に場を繋ぐために吐いたような、そんなセリフを。

 その場しのぎで繋ぐことができたからか、少女は肩の荷が下りたかのように、やっと準備が整ったとばかりに、


「バン」


 と、引き金を引いて、擬音を歌う。

 それ以外に――人が倒れる音どころか、発砲音さえなく、影が差さった壁には何も埋め込まれていなかった。少女は撃った反動で肘を曲げるも――そもそもそんな衝撃は腕にない。


「――変わらないんだねぇ。何も」


 少々目を丸くして、感心したように独言する。その無自覚な呟き方は、少女に幼い印象を抱かせるようだった。

 「よっと」と、少女は興味を失った玩具を扱うように、指紋を残さないために拭いた見せかけの拳銃をそこいらに捨て去る。

 昨日百円ショップで買った、ちょっと本格的な偽物だ。

 これを教員が見つけたところで悪質な悪戯とだけ判断するだろうが、なるべく面倒事には関わりたくない。もしかしたら警察に届けて軽いニュースになり、指紋を検出されるかもしれないからね。体裁を気にするうちの高校が、そんなまともな思考をするとは思えないが。

 少女は靴音を鳴らして、いつも座っている定位置へと腰を据える。置いておいたキンキンに冷えたピーチジュースの缶を開け、口に含んだ。


「……ん、どうして殺さないのか? 殺してほしかったの?」


 そう訊いてから、少女は自分の発言が間違っていることに気付いた。殺してほしかったのだとすれば、自分の持っていた拳銃を本物と思い込んでいた君は姿を現していたはずだ。

 まさしく自分の思惑通りに。

 でも、そうでないとすれば、ならばなぜ君はそんなことを――


「……ああ、そのことか」


 納得した少女はピーチジュースをごくりと飲み込んでから、問いに答えるようにして口を開く。


「私は君に危害を加えるつもりはないよ。一ミリもね。故に殺害なんて害悪は君に与えない。これまでずっと言ってきたことだろう? 何回言わせる気だい?」


 ごくごくごく…………ぷはぁぁぁああ。


「やっぱり美味しいねぇ。桃ってやつは」


 ことんと緑色の床に缶を置く。すっかり飲み干してしまった桃色の空き缶を。

 指を組んで、少女は気分良さそうに腕を伸ばした。陽の光を浴びて、満足そうに頬を上げる。


「しかし、今日もダメだったかー。てっきり泣いて涙を地面に落とすなり、悲鳴を上げるなりしてくれると思ったんだけどなー。まさかここまで表情が変わらないとはね」


 へへっ。

 少女はそう、悪戯っ子がするような笑顔で、面白い動物を眺めるような目つきをした。

 精一杯伸ばしていた腕を解き、壁へと寄りかかる。上を向いて、ゆっくりと開けた瞳の中に青い快晴を閉じ込めた。


「楽しいよ。凄く楽しい。けどきっと、この楽しみはもうすぐ終わるんだろうね」


 夏休みが終わるように、この世界は流転していないように。

 そのことには、一抹の寂寥と不安が、ないわけじゃなかった。


「……『あなたは最低だ』、か……素晴らしく的を射ている言葉をありがとう、と返しておこう」


 その言葉は、清々しいほどに私の心に染みわたる。幾度となく私を壊してきたものだからだ。

 私を殺し、私を狂わせ、私を歪ませたもの。

 笑みを零さずにはいられないもの。束の間の幸せ。

 ああやはり、そのセリフほど“最低”なものはない。

 だから私は、続けて君にこう言い返してやるのだ。


「でもその割には君、全然へっちゃらそうにしてたじゃないか。何か思うわけでもなく、私の銃弾を受け入れようとした。逃げようとすれば逃げられただろうに。それはアレかい? それほどまでに自身の形を無くさせることに自信を持っていたのかな?」


 話を逸らし、そこに視線を投げかける。


「いや……君のことだ。どうせ生きることに無気力だったのだろう」


 そう断じて、少女は正面へと向き直る。そして愉快そうに、肩を上下に動かした。


「はははっ、無気力な癖して逃げる気力はあるだなんて、君ってやつは面白いねぇ。大して面白くもない奴が今になって変貌を遂げたのか、それとも面白い奴だったからこそこんな状態になったのか。ねぇ……どうなんだよ、かつて私と同じクラスメイトであり、いじめられっ子であり、アニメ好きで漫画好きの消揺灯火きえゆり とうかとしての意見は?」


 ――そう問うも、戻ってきたのは静寂だった。

 風が吹く。陽の光が降り注ぐ。透明な空気は不自然に震えることはない。

 どれもこれもが当たり前のことで、どれもこれがあらねばならないこと。

 そこには何もいなかった。

 少しの間、少女は自らの長く黒い毛先を弄って、口を開いた。


「……ふーん、アニメ好きでも漫画好きでもないんだ。ごめんごめん、偏見ってやつだよ。てっきりそういう趣味を持っているとばかり。今のは適当に言ったことだ。気にするな」


 心底どうでもよさそうに、けれど必要分の機嫌は取るように、少女は言う。

 見え透いたほどに薄っぺらい上辺を気にしてのことだった。


「それで? 卵が先か鶏が先か、君はどちらだと思うよ? ――え? わからないって? たかが自分自身のことなのに?」


 意外そうに声を滑らす少女。のらりくらりな黒い瞳をきょとんとさせて、地面を見つめる。


「……そういうもん、か……。へぇー、そんな考え、過ったことすらなかったよ」


 人間は複雑で繊細な生き物、ね……自分探しについて、そう解釈したことはなかったよ。

 もしそうなら、私は、私のことを理解しきれていないのだろうか? もっと別の、本当の願いとやらも持っている?


(……それこそどうだっていいことだ)


 持っていたとして、それが叶わない望みであるなら、知らない方が賢明だろう。知らない方が良かったことなんて、数えきれないほどに存在する。

 それが真実であると知らなければ、それが嘘だと知らなければ、それが世の理だと知らなければ、それが不条理だと知らないければ……そんなこと、小学生だって『知っている』。

 それほどまでに幼い頃にはもう、誰もが一度は知りたくないことを突きつけられるからだ。

 私だってそういう経験は積んでいるし、君だって積んでいるのだろう。

 なぜなら――そういう経験をしたことがあるからこそ、君は何も問わないのだから。

 あの日、あの時、あの場所で、おまえも見て見ぬふりをしていたのか――? そのことについて、何も思っていないのか――? と。


(その通り。遠くからよくやっていたし、今では正解だったとさえ思っているよ)


 だって、こんなにもエキサイティングな現象が観測できたのだから。自らの願いが叶いそうなのだから。

 そのためならば、多少の罪も厭わないさ。


「……ん、なに?」


 それは呼びかけられたのか、奇怪な視線を浴びたのか。あたかもそうであるかのように、少女は振り返る。


「またその話? 君は同じ質問を同じ相手にするのが好きみたいだな。くくっ、そんなにも信頼できないかい。ま、できないよねぇ、それが常識だ。普通ではないけれど」


 さてさて、君は一体いつまで普通を保ってられるのか……実に興味深い。

 それより早く答えろって? まぁまぁ、そう急かさない。私は答えてやる気満々だし、どうせその答えはいつも通りなんだから。

 ふっ――と、少女は見惚れるほどの消え入りそうな美しい微笑をすると、こう口にした。


「君と一緒に逃げたいんだよ」


 だからそんな所に座ってないで、早く私を逃がしてよ。

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