第三話 有能執事はいけ好かない
「何故指輪が抜けないのか……。陛下は指輪を、結界を保つための魔力補給時と公用以外では常に外していたではないか。所有者になったら外せないなどと、そのような事ある筈が無い」
彼女との初邂逅の終えた後、帰宅したクラードは夕食を済ませソファーに「ふぅ」と身を沈めながら呟いた。
ただの愚痴だ。
そしてその愚痴に付き合うのは、彼に食後の紅茶を淹れる執事・ノースタスである。
後ろで束ねた若草色の髪が、ソーサーをコトリと置いた拍子に肩からサラリと滑り落ちる。
何と無しにそれを目で追っていると、彼にこう尋ねられる。
「レイティア様に見せていただいた指輪は、確かに本物だったのでしょう?」
「まぁな」
あの指輪には、確かに古代の遺物特有の複雑な文様が刻まれていた。
あれが探し物である事は、もう間違いないと言っていい。
となれば、現状では問題は物理的に手に入れられる術がないという事だろう。
「一応それとなく指輪を回したり引っ張ったりして抜けないか試してみたのだが、まるでビクともしなかった」
「回りもしないとは……それはまた頑固な指輪なのですね」
「あぁその通りだ。あの『番人』には終始調子を崩されるし、何だあの最悪の組み合わせは」
「それは単にクラード様が彼女に見惚れたりしているからでは?」
「違うわ黙れ」
すぐさま言えば「はいはい」とでも言いたげな顔で苦笑される。
いつもの如くそれを不服に思っていると、彼が徐に「その『何故』という部分についてですが」と口を開く。
「先程一つ、可能性を思いつきました」
「ふぅん? じゃぁ言ってみろ。陛下の私室で俺があれだけ『ちょっと待て、俺が解く』と言ったのに、先行してほいほいギミックを解いてくれたお前が思いついた可能性だもんな。さぞかし的を射ているだろう」
「ちょっとクラード様、もしかしてまだ根に持っておられるのですか? だって仕方が無いじゃないですか。あのギミック、解くの面白かったんですから」
シレッとそう告げる彼は、主人に対する言い訳として微妙に成立していない事を果たして自覚しているのか。
この二人の間でなければ、普通に「主人を立てるべきだろう!」と怒られている所である。
が、これでもノースタスは、一応公私は弁えている。
クラードと2人きりじゃない場所では、絶対に主の一方後ろを歩くし、このような物言いだってしない。
クラードから言わせれば、そういう辺りが逆に小賢しいところなのだが、クラードだって彼の前では似たようなものなので、どっちもどっちな主従である。
自分本位な従を許容し「フン」と鼻を鳴らしたクラード。
対するノースタスは全く気にした様子も無く、すっぱりと本題に入る。
「もしかすると、彼女の思い込みが『指輪が外れない』という状況に起因しているのではないでしょうか」
「思い込み?」
「えぇ。あの指輪、そもそも『元の所有者の心がそうと認めないかぎり、譲渡できない代物』なのですよね?」
「あぁそうだ。そして指輪の所有者が死ねば、指輪も砂と変わって消える。だから叔父上は、当時の王位継承権一位だった父上は殺せても、所有者だった陛下を直接的に害する事は出来なかった」
限りなく黒に近いグレーの疑惑。
女王に取り合った結果、証拠不十分で叔父・ウィルダムはお咎め無しとなっているが、アイツ以外に一体誰が父をあんな目に遭わせられるのか。
あの日ほど、冷徹なまでの公正さを持ったニアリーを恨んだ事も無い。
それがあってか、ニアリーの突然の訃報を聞いても、驚きこそすれ悲しんだりは特にしなかった。
権力者としては真っ当な部類に入っただろうから、それを惜しむ気持ちくらいは少しあったが、それだけだ。
「ならばその『心が認める』という条件を、ニアリー陛下が捻じ曲げたとしたらどうでしょうか? 例えば『これは真に愛を捧げたいと思う相手に渡す時にしか抜けない』と彼女に思い込ませる事によって、真実彼女がそう思った状況でしか抜けない様にした……ですとか」
そう言われ、考える。
確かにあり得るかもしれない。
元々所有者の心を測り譲渡者を決める指輪なのだから、所有者の心の在り様でその条件が狭まっても何らおかしな話ではないし、制約のついたこの指輪を「ロマンチックだ」などと言ってのけたレイティアだ。
恋に恋焦がれた結果、親愛なるお母様の言葉を信じてしまっても何らおかしな話ではない。
「となれば、指輪を手に入れる為には、本当に『彼女の真実の愛』を手に入れる必要がある訳か……」
復讐の為の目下の障害が甘ったるい感情らしいと知って、少しばかりげんなりとする。
が、「じゃぁやめようか」とならないくらいには、この復讐は意味あるものだ。
「アイツが欲する地位を横から掻っ攫い『子供風情に負けた』という屈辱を味合わせた後で、得た権限によって相手を地に落とす。必ず、父上の無念を晴らす……! おいノースタス、その為にも明日は朝一番であちらに向かうぞ準備しておけ」
「いえクラード様、それなのですが」
「おい何だよノースタス、出鼻をくじくな」
思わず横にジト目を向ければ、すまし顔のノースタスが全くダメージなさげに続ける。
「クラード様がそう仰るような気がしたので、昨日それとなくマークさんに彼女の行動スケジュールを確認しておいたのですが」
「根回しすごいな」
「レイティア様は、朝はたっぷりと寝てゆっくり起床。その後色々とすべき事をなさるとの事でしたので、すぐに行っては彼女に気を使わせてしまうでしょう。『女性の身支度には時間がかかる』とも言いますし」
マークとは、確かクラード達を出迎えてくれた、あのロマンスグレーの執事の名だ。
しかし一体いつの間にそんな話をしていたのか。
気が利きすぎてて呆れつつ、「じゃぁ」と少し投げやり気味に聞く。
「因みに『ゆっくり』とは、一体どの程度ゆっくりなんだ」
「朝食と昼食を一緒に取るくらいには」
「それは……確かにゆっくりだな」
思わず口を突いて出た相槌に、ノースタスも「えぇ」と言う。
「ですから例えば、クラード様も当日の執務を片付けられてから外出するのはいかがでしょう? 領内の各地区から送られてきた報告書仕分けを全て済ませておきます。クラード様が本気を出せば、お昼時には終わる量です」
「ノースタス」
「はい」
「お前、一体いつそんな準備をするというんだ」
「この後寝る前にチャチャチャッと」
「くそぅ、優秀なやつめ……」
時間ギリギリまで仕事をさせてやろうという魂胆が丸見えな上に、有言実行なのだから小さく悪態をつく抵抗くらいしか出来やしない。
そんな彼に、ノースタスはすまし顔で「ありがとうございます」と答えたのだった。