第二話 どうしようもなく臆病で、ちょっと傷付く
クラードが彼女・レイティアと出逢ったのは、どこにあるのかもよく分からない森の屋敷の庭だった。
王城は、故ニアリー女王陛下の私室。
そこで王位継承者の証・古代の遺物の指輪を探していたクラードは、苦労の末に見つけた大きな石のネックレスに導かれるままに、王宮の地下にある迷宮を踏破した。
「……あそこに屋敷がありますね」
安全の為にと頑として先を歩く事を譲らなかった執事服の頑固な友人が、木々生い茂る森の先にある小さな屋敷を指さして言う。
「小さいな」
「あの規模を『小さい』と表現されるのは、クラード様が比較対象を侯爵家にしているからです。少し古そうですが、規模だけで言えば普通に伯爵級ですよアレは」
まるで「仕方がない子だ」とでも言いたげなその言葉に、クラードは思わず口を尖らせたくなった。
この執事は彼よりたった3つ年上だというだけで、こうして度々クラードを子ども扱いする。
貴族の子女は15ともなれば、最早大人だ。
止めてほしいところだが、ノースタスから言わせると「そう思わせるクラード様が悪いのです」という事だ。
実際にここまで彼らを導いた鍵を見つけたのは殆どこのノースタスの力なので、彼が有能である手前何とも難癖をつけにくい。
そんなやり取りをしていると、丁度屋敷の入り口付近を通りかかった男が二人に気が付いた。
ロマンスグレーの髪をオールバックにした、優雅な紳士風の執事である。
クラードがいきさつを説明しようと口を開きかけたが、告げる前に彼は小さく「そのネックレスはニアリー様の」と呟いた。
そして「こちらへどうぞ」と2人を招く。
「お嬢様も、さぞかしお喜びになるでしょう」
ゆったりとした低い声でそう告げた彼は、どこか楽しそうだった。
通された先にあったのは、花咲き誇る庭園だった。
赤、白、黄色、ピンクに紫そして青。
色とりどりの花が咲き誇る庭の真ん中に、白いティテーブルがある。
そこに座る少女を見つけた瞬間だ。
クラードが紫色の瞳を大きく見開いたのは。
穏やかな風に靡く淡いウェーブの掛かった栗毛に、スッと綺麗に通った鼻筋。
目は静かに閉じられているが、ピンクローズの花弁のようにほんのりと色づく唇が、陶器のような白い肌に淡い彩りを添えている。
侯爵家という環境下に生まれたお陰、というべきか。
クラードはそもそも自分の身目の良さをある程度自覚していたし、お陰で女には困った事が無い。
誰もが美を磨き侍るような世界で生きてきた彼の目は、必然的に肥えている筈……だったのに。
その美しさに、思わず息を呑んでしまった。
――年は、俺よりも2、3上だろうか。
熱を帯びてポウッとなった頭でぼんやりと、そんな事を考える。
しかしそんな彼の状況を知ってか知らずか、案内の執事が「お嬢様」と彼女に声を掛けた。
「お客様がいらっしゃいましたよ」
彼の声で、伏せていた彼女の顔がパッと上がる。
一体どれだけ客人を待ち望んでいたのだろう。
新たに覗いた華やぐ表情と、綺麗なベビーブルーの瞳に魅せられて、気付けば彼は一歩前へと踏み出していた。
「は――」
「ひ、ひゃぁぁぁぁーっ?!」
クラードは『初めまして』と言おうとしたのだ。
それなのに、この可憐な令嬢の一体どこにそんな力が隠れていたのか。
弱々しい奇声と共に、彼女の姿がつい今しがた座っていた椅子の後ろに消え――ない。
膝を抱えるようにして屈んだこの少女は、もしかして隠れたつもりなのだろうか。
しかし、残念ながらこの椅子の背もたれは目の粗い網目状。
その間から、姿はほぼ丸見えだ。
一体何がしたいのか。
彼女の様子に混乱をきたしたクラードの脳内で、冷静なもう一人の彼が「いや、どうせ隠れるんならせめてその横のワゴンにしろよ」と告げている。
「どどどどど」
「『ど』?」
「どなたですかっ」
目は合わない。
その上、初対面で礼も無く、蹲りながら、しかも自分が名乗るよりも先に相手の名前を聞いてくる。
その全てが、貴族社会においては礼を欠いた行為だ。
レモン色のマカロンカラーのドレスを着ているこの人は、少なくとも見た目はどこぞの令嬢。
本来ならば腹を立てて然るべきなのだろうが、震えのせいで最早掴んでいる椅子まで一緒にガクガクさせている彼女を見れば、怒る気だってなくなった。
困惑しながら彼女の事を眺めていると、マイペースな紳士の声が「お嬢様、お客様相手に淑女が取るべき態度ではありませんよ?」と窘める。
が、至極真っ当なその指摘に、彼女はピヤッと抗議する。
「マーク! お母様ではないじゃありませんか!!」
「私は『お客様だ』と申し上げたのです。ニアリー様だとは一言も――」
「ここに来るお客様なんて、お母様しか知りませんっ!」
なるほど、やはり伯母上――ニアリー陛下はここを訪れていたのだな。
二人のこのやり取りに少し冷静さを取り戻したクラードは、そんな風に独り言ちる。
あの暫定王がおそらく何度も探したであろう女王の私室を、目を皿のようにして探して見つけた場所である。
あれだけ厳重に隠していたのだから何かあるとは思っていたが、もしかしたらここに指輪が隠されているのかもしれない。
そんな期待が沸き上がる。
出し抜いてやったぞ、ザマァ見ろ。
憎き叔父に対するという黒い気持ちが心に滲む。
「そもそもお母様とマーク以外にお話なんてした記憶がない私に、突然『お客様です、はいどうぞ』などと……何故そのような鬼畜の所業が出来るのですかっ!」
「そんなに心配なさらずとも。お嬢様もニアリー様に直接ご指導いただいた身、今まで機会が無かっただけにございます。何事も、思い切りが大事なのです」
「む、無理です!!」
「無理ではありません」
「――あの」
早く指輪を手に入れたい。
そんな気持ちが、彼に勇み足をさせた。
瞬間、彼女の肩がビクンと跳ねる。
一層キュッと縮こまった体、震える椅子。
普通に声を掛けただけなのに、何なら少し優し気な口調にしたまであるのに、いつもなら天地がひっくり返ってもされないその反応に、何だかちょっとショックである。
が、ここで心折れてはいけない。
「私はクラード・フォン・アルメシア、そして後ろのは従者のノースタス。ニアリー陛下の思し召しにより、こちらに今日はこちらに参上したんだ」
「……お母様の?」
クラードの声に、縮んでいた彼女の頭が少し出る。
かなりの脚色……否、『ニアリーの部屋で見つけたネックレスに導かれた』という厳然たる事実を、憶測と願望の分厚いオブラートでグルグル巻きにする事で完成した説明は、お陰でどうやら彼女の興味を上手く引いたらしい。
「あぁ。……ところで『お母様』とは、ニアリー陛下の事なのか?」
「えぇ勿論」
「しかし陛下には婚姻を結んだ相手も居なければ、恋仲の相手が居たという噂もとんと聞いた事がなかったが……」
それどころか、プライベートで彼女が誰かと仲良くしていたという話さえ聞いた事が無い。
それなのに子供とは。
一体どういう事なのか。
遠回しなクラードの疑問に、彼女は何のてらいも無く告げる。
「そうでしょうね、お母様は生みの親ではありませんから」
彼女の声は、実に愛おし気だ。
「血の繋がりなど問題ではない」とでも言わんばかりなその声を聞くと、ただそれだけで彼女がニアリーに大切にされていたことが分かる。
が、それでやっとこの場所の意味が分かった気がした。
血は繋がっていないが、娘同然に愛情を注いできた娘。
おそらく大切だからこそこんな場所に隠したのだろう。
下手な王位争いに巻き込まれないようにするために。
そしてその判断は、おそらく正しかったのだ。
でなければ今、クラードとその叔父・ウィルダムが競うように指輪を探してなどいない。
そうでなくともこの美貌だ、見つかるだけで権力者の餌食、ニアリーとの関係性が明らかになれば猶更立場が危うくなる。
が、まぁそんな事はどうでも良い。
クラードにとって今一番大事なのは、彼女ではない。
指輪を見つける事である。
となれば、早い事彼女の警戒心を解き、屋敷内を探索させてもらわなければ。
美しい彼女とちょっと仲良くなってみたいとか、あわよくば親密にとか、そんな邪念を取り払い、黒い本性を笑顔で上塗り取り繕って、会話の糸口を探るべく彼女を見据えた時だった。
震えながら椅子を掴む彼女の手、その左の人差し指に光のものを見つけたのは。
「おい、それ――」
「ひゃぁぁぁぁ?!」
「……」
驚いて少し低い声になった事は認めよう。
隠れるレディーに許可なく近付いた事も、褒められた事ではなかったと思う。
が、そんなに怖がる事も無いじゃないか。
地味に心に傷を負いつつ、可能な限り優しげな声を努めながら笑顔のメッキ被せて尋ねる。
「その手の指輪は、一体どういう来歴で……?」
青い石の付いた金の指輪、彼女がしていたその指輪がひどく似ていたのである。
クラードが探していた、あの指輪に。
すると、その話を振られて嬉しかったのか。
手を引っ込めたレイティアは、先程までの怯えを一時忘れたかのように指輪を見つめてふわりと微笑む。
「これは、お母様がくださったのです。『貴女の身を守るものだから大切になさい』と」
彼女が始めて見せた笑みは、殺人的なまでの可憐さだった。
不意打ち過ぎる表情にうっかり思考を根こそぎ持って行かれそうになりながら、クラードはギリギリのところで抗い、思いとどまり必要な言葉を紡ぐ。
「素敵な指輪だな」
相手が好きなものを褒めるのは、社交の上でのテンプレート。
そこから話を盛り上げて、まずは見せてもらって本物かどうか確認し、最終的には「良かったら俺に譲ってないか?」「クラード様になら」という所まで持って行く。
大丈夫。
今まで幾度となくこのやり方で、自分の要望を叶えてきたのだ。
今回も上手く行く筈だ。
そんな計画を頭の中で組み立てながら、彼女の反応を待つ――筈が。
「そうでしょう?! お母様がお選びになるものは、全てセンスが良いのです!」
予想以上の食いつきだった。
そして声に喜色を浮かべながら、ここから更に言い募る。
「その上お母様は、まるで聖母のように慈悲深くて心優しく」
「え」
「日向のように暖かな方ですし」
「えぇ?」
何だソレは、誰だソレは。
巷では厳格なまでの公平さで政治を動かしていた一方、「人の心が無い」と揶揄される事もあった人なのに、それをどうしたらそんな血の通った認識になる。
「あんなに心の綺麗なお母様なんですもの、さぞかし容姿もお綺麗な方になのでしょう。顔は心を映す鏡、と言いますから」
否、ニアリー・フォン・ローミディオという人は、生涯顔を隠すベールが手放せなかったくらいの酷い顔らしかった。
俺は見た事が無いが、昔、遊び半分で子供が彼女のベールを外してギャン泣きした事がある。
その後何故か『女王陛下の顔を見た者は呪われる』という噂が流れたが、どうやらそんな与太話を補完して有り余るくらいには、信憑性がある容姿らしい。
それなのに。
「もしこの目が見えていたら、お姿を拝見出来たのに」
「はぁ」と熱っぽいため息を吐くレイティアは、まるで夢見る乙女だった。
そうか、あんな丸見えの場所に隠れた理由がこんな所にあったのかと思う一方、クラードは「いやむしろ目が見えなくて正解じゃないか?」と言ってやりたい気持ちになった。
が、見えない目をキラキラとさせて大いなる期待をしている彼女に、純白の魔性を感じずにはいられない。
そんな子にわざわざ残酷な真実を告げるような気にもなれず、結局無垢すぎる憧れに「あ、アァソウダナ」と棒読みで答えるのが精いっぱいだった。
顔をパァッと明るくさせて「そうですよねっ」と声を弾ませた彼女が、何だか少し微笑ましい。
と同時に、やはり初対面で共通の話題、それも好いている物や相手の話題で共感しあうという事は、人の距離を一気に縮めるものなのだなぁと実感せずにはいられない。
椅子の後ろに隠れていた彼女の顔が、今や背もたれから完全にヒョコリと出るくらいには彼女も心を許してくれたようである。
小動物的なその姿に思わずキュンとさせられながら、クラードはまた「いやいや違う」と邪念を払い、コホンと一つ咳ばらいをしてから再び自分のペースに持って行く……のだが。
「その石、タンザナイトのように見えるな。知っているか? タンザナイトは魔力透過力に優れた石として有名だけど、それと同時に『重要な局面を迎えた持ち主に冷静さと、解決力を与えてくれる石』だとも言われている」
「へぇ、そうなのですか。クラード様は物知りなのですね」
――クラード様。
ただ名を呼ばれただけだというのに、柔らかい微笑みから繰り出された声は何故だろう。
ひどく甘美な音だった。
一々反応する心臓に「どうした俺、静まれ心臓」と厳命しつつ、数多の女性を虜にする笑みで次のステップを踏みに行く。
「もっと良く見せてくれれば、詳しい話もできそうだが」
そう、まずは本当に探している指輪なのかを確認したい。
これはその為の提案だ。
流石に大切な指輪だ。
間近で見た事はないが、他の古代の遺物は一応見た事がある。
あれらには全て複雑な文様が必ず刻まれているのだ、見れば一発で分かる。
話に興味を持ったようだし、警戒心も溶けてきている。
今ならきっと拒むまい。
半ばそんな確信を携え、俺は右手をスッと出した。
するとそこに、彼女の左手がトンと乗る。
「あの、このままでもよろしいでしょうか?」
「え、あ、いや、別に良いが……」
クラードが反応に困ったのは、エスコートやダンスなどでもない限り普通は初対面の令嬢に触れて良いものではないからだ。
まさかそこまで既に彼女の事を虜に?
「流石俺」という気持ちと、「まだほとんど何もしてないが」という訝しみが同時に心に押し寄せる。
はっ、もしかして触れた途端に「無礼者」と罵られ、指輪に興味を示した俺に『指輪を狙う不届き者』というレッテルを張るつもりでは?
そんな思考が脳裏をよぎり、「それは困る」と考える。
が、次の瞬間それらの不安が全て杞憂だったと分かった。
「この指輪、残念ながら外れないのです」
「……は?」
思わず口から間の抜けた声が洩れだしたのは、彼女の答えがあまりに想定外だったからだ。
しかしレイティアはこちらの呆け具合などまるで知らん顔状態で、こんな事まで言い始める。
「どうやら『真に愛を捧げたいと思う相手に渡す時にしか抜けない指輪』なのだとか。入浴時などには錆びてしまわないか少し気がかりですが、ロマンチックな指輪ですよね」
ロマンチック?
そんなものなど知った事か!
この瞬間、彼女に対する淡く甘い感情をすべて吹き飛ばして、クラードの心にそんな嵐が到来した。