第一話 駆けつけた少女は絶世盲目の
ジメついた石の床に仰向けになり、クラードは小さくため息を吐いた。
ただそれだけで顔がひどく痛むのは、きっと必要以上に痛めつけられたせいだろう。
ふいと視線を横に流せば、小さな夜空が錆びた鉄格子柄に切り取られていた。
部屋には見慣れた調度どころか、ベッドの一台だって無い。
人の尊厳もへったくれも無いここは、少なくとも侯爵家当主であり王位継承権第二位の地位を持つ男には相応しくない場所だろう。
「繰り上がりの暫定王が」という悪態は、もう既に何度も吐いた。
こうして彼が投獄されている理由は、ほぼ間違いなく現王のはからいである。
実に理不尽かつ腹立たしい状況だ。
しかしそんなものなんかより、彼にはもっと別の事が気がかりだった。
あの子は大丈夫だろうか。
怖い思いをしていないか、ちゃんと眠れているだろうか。
――ちゃんと、笑っているだろうか。
ゆっくりと目を閉じれば、ふわりと微笑む可憐な少女が脳裏に浮かぶ。
こんな事態に陥ったのも、そして彼女に出逢ったのも、全ての事の始まりは辣腕をふるっていたこの国の女王が急逝した事に端を発する。
女王のすぐ下の弟が、クラードの父親だった。
その父も一年前に『不慮の事故』で亡くしてしまい、侯爵家の当主と叔父につぐ王位継承権を手に入れる事になってしまった。
正直言って、王位にはさして興味がない。
それでも女王の急逝を期に次の王座に収まろうとしている人殺しを許せずに、「自らの手を血に染めてまで叔父上が欲しがった地位を、横から掻っ攫ってやろう」と思い立ち、国を護る結界を維持するために必要な魔法具であり王の証でもある指輪を探し始めるに至った。
そう、彼女との出会いのキッカケは、そんな復讐から始まった。
しかし蓋を開けてみればどうだろう。
今やその指輪の番人に、思考を丸ごと染め上げられてしまった自覚があるくらいには彼女の事を想っている。
とんだお笑い種である。
しかし笑われても別に構わないと思うくらいにはもう後戻りが出来ない所まで来てしまっている。
それなのに。
瞼を上げれば、切り取られた空に一つだけ、瞬く星が存在した。
まっすぐで、純粋で、暗い夜空に密やかに輝くその星は、少し臆病にも見える。
その星に、痛む身体をおして手を伸ばした。
しかし届かない、触れられない。
――こんなにも、俺は無力だ。
そんな悲嘆にくれたのは、先程自分の身分を訴えたのに下っ端の牢屋番に鼻で笑われあしらわれたからだろうか。
紋章付きの持ち物だけじゃなく顔という名の身分証まで執拗なまでに潰されて、今やおそらくすぐに彼がクラード・フォン・アルメシア侯爵だと分かる人間なんて早々居ないだろう。
それなのに。
「クラード様っ!!」
再び沈みそうになった意識を一筋の声が引き留めた。
何故か地上に続く階段の先が、俄かに騒がしい気がする。
カツンカツンと下りてくる足音。
緩慢に視線を這わせれば、純白のヒールと細い足首と、ふわりと踊る赤いドレスの裾が見えた。
「レイティ、ア……?」
驚きに、焦がれる想いに声が掠れる。
こんな場所に彼女が来る筈無いじゃないか。
そう思うのと裏腹に、ベビーブルーの瞳にひどい姿の俺が映る。
世間知らずで、無垢で臆病者な女の子。
完全温室培養の筈の彼女が、息を切らせて駆け寄って、必死な顔で手を伸ばす。
彼女に初めて会った時から、クラードは彼女が美しい女性である事を知っていた。
しかし何故だろう。
初対面の震える彼女より、少し慣れた頃の笑う彼女より、俺の軽口にいじける彼女より目を引いた。
痛さなんて瞬間的に忘れてしまった。
体を起こし、鉄格子越しに伸ばされた彼女の手を取った。
「何故、ここに……?」
思わず疑問を口にすれば、彼女は少し怒ったような、それでいて安堵もしているような声でしっかりと言う。
「貴方を助けに参りました。私、塔の上で王子様を待つのはもう止めたのです」
震える彼女のその手には、確かな温かみがある。
ただそれだけで「夢じゃない」思うには十分過ぎる証明だった。