神の導き
希望が叶い、皇后陛下に同行して孤児院へ慰問に行くこととなった。
アウシュレイ孤児院は帝都の郊外にある。大きな建物で、五十三名の十二歳以下の子供たちが暮らしている。
院長と職員一同、孤児の代表が、正門前に整列していて、私たちを出迎えてくれた。
門をくぐるとエントランスホールには他の孤児たち全員が集まって立っており、聖歌の大合唱が始まった。
歌が終わると代表者が歓迎の言葉を述べ、全員が愛国を誓って胸に手を置いた。
よく躾られている、というのが私の率直な感想だった。訓練された兵隊たちが国儀で披露するパフォーマンスの様だった。
しかし歓迎会が終わり、私たちが持参した贈り物を配り始めると、途端に皆子供らしくなり、無邪気に喜んだ。
今回はパンや本だけでなく、特別に玩具を用意したのだ。初めて慰問する、レベッカ皇女からの粋な計らいとして。
それは母である皇后陛下からの提案だった。
何事も最初が肝心、第一印象が大事なのだと皇后陛下は仰った。
目を輝かせて玩具を抱きしめ、友達と見せ合ったり、早速遊び始めた子供たちを眺めながら、平和だなと思った。
私の思い描いていた『悲惨な子供』ではない。皆一様に清潔な服を着て、健康そうで笑顔だ。
もちろんこれは私たちに見せるよそ行きの一面であって、日々は辛いこともあるだろう。
親がいないのだから。
しかしあの頃の私の方が、親がいた私の方が、この子たちよりはるかに悲惨だったと思えて仕方がない。
帰りの馬車の中、皇后陛下に尋ねた。
「あの子たちは戦争孤児だとお聞きしましたが。親がいても貧しく、困窮していて、最低限の生活に満たないような子供も、きっと大勢いますわ。その子たちへの支援はどのように?」
母は信じられないようなものを見る目で私を見た。
「急にどうしたのです? 孤児院の慰問に同行したいと言うだけでも驚きましたのに」
確かに今までの私は関心が無さすぎた。貧しい平民の子供のことなど、考えたこともなかったのだから。
「親がいても貧しい、それは親の責任です。アウシュレイの子供たちの親は皆、国のために戦い、国へ命を捧げた者です。彼らが遺していった家族へ支援の手を差し伸べることは私たちの役目ですが、ただ貧しい者はその者の責任です。まともに働かずに税金もろくに納めない。そのような者を助ける義務はありません」
母の毅然とした言葉に、以前の私なら感心し、鵜呑みにしただろう。
しかし今の私は違った。納得しがたかった。
「働きたくとも病気で働けない、いくら働いても雀の涙ほどの賃金しか貰えない、そういう場合も自己責任なのでしょうか。そういう親の下に生まれついてしまった子供も? ただ、生まれてきただけではないですか」
「ええ。そういう星の下に生まれついたのも勿論自己責任です。前世で大罪を犯し、その罰を受けているのですよ。反対に前世で善いことをして徳を積んだ者は、現世で報われています。私たちをがワトリング家に生まれついたのも、そういうことなのですよ。私たちは神に選ばれし魂であり、神の導きと共にあります。何も迷うことはありません」