見えない世界
調査結果が返ってきた。側近に頼んでおいたのは、コフィーヌ川に架かる橋についての調査だ。
各地方を管轄する省に問い合わせたところ、コフィーヌ川に架かる三十九の橋の内、赤レンガでできたものは、一ヶ所に限られた。帝都から約五百キロ西部に位置した街だ。
ただしその橋は三十四年前の地震で崩落し、再建した際に赤レンガではなくなったそうだ。
三十四年前?
二度見したが、やはり三十四年前と書いてある。側近にも確認したが、間違い無いようだ。
私の記憶の中では、確かな存在感でどっしりとそこにあった。ということは、あれは三十五年より前の出来事だ。
少なく見積もってもあれから三十五年は経っているーー、アルコール中毒の父親はきっとすでに死んでいるだろう。あれで長生きできるはずがない。
家族の名前も自分の名前も何一つ覚えていないのだから、前世の私と家族を捜し出すのは至難の技だろう。
それに知ったところでどうなるのだ、という思いが湧き上がる。
以前の私がどこの何者であったか判明したところで、良いことはない。
「レベッカ様、その橋がどうかなさいましたか?」
「いえ特に。報告ありがとうございました。もう下がって宜しいですよ」
「はい、では失礼いたします」
昼食を取りながら気づいた。最近食欲がない。
前世の記憶が甦ったショックも大きいが、縁談の行方がやはり気がかりになっているようだ。
私の結婚相手は、父である皇帝陛下がお決めになる。誰が選ばれようが、夫婦となれば夫に尽くし、生涯を捧げるつもりだ。
それが皇女として生まれた私の使命なのだから。
もうじき十七と、結婚適齢期の後半に差し掛かる。決して早くはない。ソフィー妃は十四歳で皇太子妃となられたのだ。
終戦直後の混乱があったことと、皇太子殿下のご結婚が最優先だったため、私の縁談は何となく後回しになってきたが、いよいよ年貢の納めどきだ。
ワトリング家と縁の深い公爵家の子息というのが妥当な線だろう。
食欲がなく、食べ残そうとしたパンを見て思い出した。
ガチガチに固くなったカビかけのパンでさえ、あの頃の私にはご馳走だった。
それなのに、こんなにふっくらして美味しいパンを残そうというのか。贅沢すぎる。
前世の記憶が甦ると、今までの何とも思えなかった日常が胸に迫った。
当然のように享受していた贅沢な暮らし。
食べるに困らず、着るに困らず、パーティーに出る度に新調したドレスは、袖を通したのは一度きりという物も多い。
宝石もアクセサリーも好きで、コレクションしている。誕生日の度に贈られる数々のプレゼント。
あの頃の私に、その一つでもあげることが出来たなら良かった。
私のような子供は今もこの国のどこかにいるのだろうか?
私の目に入る世界に、そんな子供は存在しない。
あのごみ溜めのような汚い街もない。裸足で歩いている子供を見たことがない。山積みのごみなど見たくもない。橋の上で袖引きをしている女がいると思うと、ぞっとする。
見えないから知らない、知る必要もないと思っていた。
本当にそれでいいのだろうか?
今この瞬間も、父親に張り飛ばされて罵声を浴びている子供はいないと言い切れるのか。
そういえば、と思った。
皇后陛下は毎月孤児院を訪問されて、パンや本を寄付されている。
今度同行させていただこう。
その手の公務は苦手に感じて敬遠していたが、今後は積極的に関わっていきたい。