ジョエル皇太子殿下のお世継ぎ問題
その後もソフィー妃は月に一度ほどの頻度で文学サロンに顔を出し、ロードリック卿との交流を続けている。
それ以外で会っている様子はなく、趣味の合う友人として良き関係を保っているようだ。
正直ほっとした。
二人の出会いのきっかけを作ったのは私なのだ。義姉がよその男にはまり家庭不和となっては、兄に合わせる顔がない。
しかしその兄ーージョエル皇太子殿下に、側室を置くという話が浮上してきた。
ソフィー妃との間には子供がいない。
二人が結婚して二年半が経ち、子供はまだかという宮廷内の声が大きくなってきたのだ。
まだ二年半という声もあるが、もう二年半という声のほうが強い。
悠長に構えるのもいいが念のために側室を、という方向へ話はまとまった。
ソフィー妃が心配になり部屋を訪ねた。
皇族の妃や妾たちが暮らす後宮は、皇帝陛下と皇子たちの住む宮殿の奥にある。
我が国の皇族男子は複数の妻を持つことが認められているため、一夫一妻式での生活はせずに夫婦別々に住まって、夫がそれぞれの妻の部屋を訪ねることとなっている。宮廷内別居で通い夫だ。
それぞれの妻はそれぞれ専属の侍女を従えてわりと悠々自適に暮らしているが、国儀に出席したり政務に携わるのは正妃だけだ。皇后は政治に対しての発言権がある。
側室が子供を産んだからといって、皇后になれるわけではない。
ソフィー妃は私を部屋に招き入れると、すぐに人払いをした。
すっかり沈んだ様子の義姉に、そう気を落とさないようにと慰めの言葉をかけた。
「まだ二年半です。きっとこれからですよ。ディクソン侯爵ご夫妻は結婚七年目で授かったそうですし、アニータ夫人も四年かかったと言ってらしたわ。念のための側室にしても、すぐに授かるわけではないでしょうし」
「ええ、ありがとう……。レベッカ様はいつもわたくしの味方をしてくださって、本当に嬉しいわ。それに比べて……」
ソフィー妃はそこで口をつぐんだが、ぴんと来た。
「ハーシェル皇子殿下が、何か?」
真面目で優等生な長兄と違い、二番目の兄は皮肉屋で素行があまり宜しくない皇子だ。
しかし軍事能力に長けていて、人の上に立つことが得意なため、部下の兵士たちからの信頼は厚く、カリスマ性がある。
「……協力しようかと仰ってこられて」
あの次兄がソフィー妃に協力を?
珍しいこともあるものだ。
「子作りに協力しても良いと。ジョエル殿下との間に子供が授からないのは、妃に非があるとは限らない。ひょっとして殿下に問題があるかもしれないと仰るのです。だから試しに自分と夜伽してはどうかと……実績があるから安心しろと」
開いた口が塞がらなかった。
我が兄ながら下衆い。
次兄の言う『実績』とは、すでに子供がいることを指す。
次兄は正式な結婚はまだ一度もしていないが、妾持ちだ。
妾は地方出身の平民だ。ブルジョアなどではなく、文字も読めないほど貧しい女で、そのため側室にもなれなかった。妾として後宮入りしたときにはすでにお腹は大きく、間もなくして子供を産んだ。女児だった。
見た目だけが取り柄の母親に似て綺麗な子だが、所詮は日陰者だ。妾の母親の下で、ひっそりと目立たぬように暮らしている。
「そんなことを他の男には頼めないだろうと仰って。例え上手く授かっても、生まれてきた子供がジョエル殿下に少しも似ていないのでは、すぐにバレるぞと。ご兄弟のハーシェル殿下であれば、その点も心配いらないと」
兄たちの顔を交互に思い浮かべた。
顔立ちはさほど似ていないが、髪と目の色が同じだ。背格好が似ている。
やはり兄弟なのだなと思った。
「まさか、そのような口車に乗るおつもりではないですよね?」
一応念のために聞いた。
ソフィー妃は端から次兄が苦手だ。
初めての顔合わせの席で、次兄の態度が悪かったせいだ。
身内の贔屓目なく見て、女性に好かれやすい顔をしているのは次兄だが、それを差し引いても嫌われやすい性格をしている。
皮肉屋で傲慢、俺様なのがハーシェル皇子殿下だ。
ソフィー妃は口ごもり、どちらの兄とも違う男の名前を口にした。
「リックが、もしも皇太子妃でいられない日が来れば、自国へ一緒に行こうって」
耳を疑った。
これもまた聞き捨てならない。
「皇太子妃でいられない日とは?」
「ジョエル殿下と側室との間に子供ができて、わたくしがお払い箱となったときです。もしもそうなったら、の話であって、そうなりたいという話ではありません」
「そうなったときは、ロードリック卿と再婚し、ロードリック卿のお国、メレナへ一緒に行かれると?」
「ええ。もしもの話ですが」
「もしものときは本気ですか?」
詰めると、ソフィー妃は口ごもった。
例え義姉が本気でも、ロードリック卿はどうなのだろう。
夢見心地に軽く口にした可能性もあるし、「遊びに来たらいいよ」程度のニュアンスで言ったものを義姉が受け取り損ねて、勝手に「再婚しよう」となった可能性もある。
一度ロードリック卿に直接聞いてみたいな。
「とにかく、ソフィー様は私たちの大切な皇太子妃でいらっしゃいますから。皇太子殿下の側室にお子ができたところで、正妃はソフィー様です。お払い箱になどなるわけがありません」