第5章
「ここがナゴヤかあ……」
馬車の窓から街並みを見ながら康大はつぶやいた。
何の因果か分からないが、フジノミヤ同様この街……ではなく国は、現実セカイと同じ名前でほぼ同じ場所にあった。
馬車の中で地図を見せられ名前を聞いた時、康大は思わず吹き出しそうになったぐらいだ。
フジノミヤは最近焼きそばで有名になった程度で、まだ知る人ぞ知る程度の知名度だが、名古屋を知らない日本人は滅諦にいない。
ただ、圭阿のセカイではまだ名古屋(もしくは那古野)の地名ではなく尾張のままなのか、特にこれといった反応は見せなかった。
「それにしても今まで見てきた街の中で一番発展してるな」
日は完全に沈み、これが公道沿いの村なら灯火さえともっていなかったが、ナゴヤは――正確にはナゴヤ王都では煌々と街の辻々に明かりがともされていた。
人々も寝ることを忘れたかのように商売を続け、街の活気は全く衰えていない。
また、他の街では屋台が中心だったが、この街は自店舗で商売をしている商人が圧倒的に目立った。おそらく行商などしなくても、この街だけの商いで採算がとれるほど賑わっているためだろう。
「ナゴヤは交通の要所にあるっす。セカイ中の物資がこの街に集まり、また送られていきますから。おそらくこのセカイでは都に次いで栄えている街っす」
康大にリアンがそう説明する。
それを聞きながら康大はなるほどなと思った。
現実セカイの京都にある都は首都である以上、おそらく一大消費地だ。一番栄えているというのも理解できる。
そこに送られる関東地方や太平洋側の東北地方の物資は陸路海路問わず、地形上まずナゴヤを通ることになる。そこからそのまま海路で現実より大きくなった紀伊半島を回り、大阪経由の海路で行くか、南に向かって奈良経由の陸路か、それとも西に向かい紀伊半島同様に肥大化したびわ湖――こちらのセカイではグラナダ湖――経由の海路で都に送られるか。
発展するのもうなずけた。
また、それだけ商業が発展していれば、商人の社会的地位もおのずと上がり、街の統治形態も変わってくる。
フジノミヤ人御用達の宿での夕食の最中、そのあたりをリアンが説明した。
「ナゴヤは商人の自治が認められた国なんすよ」
「へー」
「俺も話には聞いていたが、ここまで発展してるとは予想外だったな」
部屋の中で、康大とザルマはリアンの話を聞く。
ハイアサースは出された食事に夢中で、話を全く聞いていない。
圭阿は例によって偵察だ。
出された食事がこのセカイで一般的なものなら、特に執着も見せない。
康大としては、今まで見たことのない魚介類を使った料理には興味を引かれたが、今はそれ以上にリアンの話の方が面白そうだった。
「だからこの国の兵士はほとんどが傭兵っす。国土もこの街がナゴヤ国のほぼ全てぐらいっすね。そういう経緯もあって、街を囲む壁も他の国より分厚くて厳重なんっすよ」
「なるほど、バチカン市国みたいな感じなのかな」
「聞いたことのない国っすね。それも子爵のセカイの国っすか?」
「ああ」
康大は頷く。
ちなみにバチカンは宗教的な理由で独立が保証されている国家であるため、商業的な理由で独立を保っているナゴヤとは正確には違っている。むしろモナコの方が近いと言えるだろう。
「確か国王も商人だったはずだが……」
ザルマも多少は知っているのか、思い出しながらつぶやく。
「そうっす。大商人のワーメント・マイグル1世が、国王というより商人組合の代表として国を支配してるっす。ああ、でもその代表も最近はずっとワーメントですし、どうも世襲制にしようと画策してるって噂があるっすから、実質国王といってもいいぐらいっすね」
「お前はずいぶん詳しいな」
ザルマが感心する。
リアンは照れながら、その理由を話し始めた。
「サムダイ様のところにいると、そういう話が聞く気はなくともひっきりなしに入ってくるんすよ。自分はそういう生臭い話は興味ないんすけどね」
「あの御仁らしい」
ザルマは苦笑する。
「後今更だけど、なんかなし崩し的にまた子爵呼びに戻ってるな」
「そういえばそうっすね。まあ正式に叙爵された上に、大部分の人からそう呼ばれてるんで、気づいたらそうなってたっす。子爵の本名もなんか変で言いにくいし」
「敬称で呼ばれてるのに、扱いが普通に雑な気がする……」
康大は何とも言えない気分になった。
「なんだ、俺達にもそう呼んでほしいか?」
「まさか。ただ俺もだんだん呼ばれる回数が多くなって、慣れてきた気がしてさ」
「これはまたえらくなったものだな」
「うるせー」
「・・・・・・」
そんな仲間達の談笑を一切無視して一心不乱に食事をするハイアサース。
ナゴヤでの一夜は普段とそれほど変わらず過ぎていく――
「よろしいですかな」
――はずであった。
康大とザルマの目が不意に厳しくなる。
唐突に叩かれた扉とかけられた声は、経験上あまり喜ばしいものではない。
しかもここは他国だ。友人も知り合いもいない。現実セカイの様に出会いを楽しむような旅でもない。
街中でいきなり盗賊ということはないだろうが、突然の来訪者が好意的な存在だと考える方が楽観的に過ぎた。
さらに今現在、唯一の戦力といえる圭阿がこの場にいない。
警戒心が強くなるのも当然と言えよう。
ただ、彼らの心配は今回に関しては完全な杞憂だった。
『――――!?』
扉が突然外側から開かれる。
そこで室内の全員が鍵をかけていなかったことを思い出す。
ただ部屋の中に入ってきた人間の内、1人は康大達がよく知っている顔だった。
「け、圭阿!?」
「どうもでござる」
偵察に出ていたはずの圭阿が、知らない男とともに部屋に入ってきたのだ。
康大もザルマもホッと胸をなでおろす。
男がどんな人間であれ、圭阿がいればそこまで警戒する必要もない。何より圭阿が連れてきたのだから、危険ということはないだろう。
「ケイア、そちらの方は?」
ここまで全く焦っていなかったハイアサースが、スープを飲み終えようやく口を開いた。
その風貌と相まって、大物感ではこの場にいる誰にも負けない。
「この者はどうもナゴヤの有名な豪商の使いらしいでござるよ。偵察中に宿に向かっているのをたまたま見つけ、連れてきたでござる。当然危険なものは何も持っていなかったでござる」
「ワーメントの使いで参りました。ぜひ我が主が皆様にお会いしたいと晩餐のお誘いに」
「ワーメントって言ったら……」
噂をすれば影、という話ではないが、今まで話していたこのナゴヤの王から突然の招きを受けた。
康大達にとっては寝耳に水以外の何物でもない。
「どうする?」
「そうだな……」
ザルマの問いかけに康大は考える。
今まで何回か、唐突に高貴な身分の人間に晩餐会に招待されたことがあったが、あまり良い思い出はない。たいてい無理難題を押し付けられた。
今回もかなりそれに近いことが起こりそうな気がする。
ここは失礼でも断った方がいいだろう。
そう思った康大であったが、使者の次の言葉がある人間の心を大幅に動かした。
「晩餐会ではナゴヤの珍味もぜひフジノミヤの方々に味わっていただきたく……」
「行こう!」
ハイアサースが即答する。
とても今まで夕飯を食べていた人間のセリフとは思えない。
康大とザルマはあっけにとられた。
しかし言った言葉はもうなかったことにはできない。
使者はそれを勝手に康大達の総意として扱い、全員を宿の外に待たせている馬車へといざなう。
ここまでされると康大にも断る気概はない。
康大は力なく頷き、用意された馬車に仲間達と共に乗り込んだ……。