第2章
フジノミヤ王都に到着すると同時に、馬車はそのまま王城へと進む。
康大が御者に指示していた目的地は、王都ではなくインテライト邸のはずだった。乗っていた馬車がアムゼンの私物とはいえ、途中で降りれば全く問題はない。
だがこの御者はどこでどう指示を受けたのか、当然のように王城の門をくぐり、いつの間に戻ったのか、ライゼルが腕を組み仁王立ちをしている本城の前で止まった。
「えっと……」
「わざわざの出迎えご苦労様です」
馬車を降りた瞬間何を言えばいいのか悩んでいる康大の後ろで、ハイアサースは堂々とそう言った。
まるで主の凱旋を待ち望んでいる従者に応えるように。
康大とザルマの頬に冷や汗が流れる。
幸いにもライゼルは気にする様子も見せず、「ついて来い」とだけ言って歩いて行く。その頬を少し上げ、こみ上げる笑いをこらえながら。
もちろんそんなライゼルの内心など分からない康大とザルマは怯えながら後に続き、ハイアサースと圭阿、そしてリアンを含めた女性陣は堂々と続いた。
本城の前で待っていたが、ライゼルに連れてこられたのは城の中ではなく、別棟にある豪華な館であった。
今まで康大が一度も入ったことのない建物である。
扉を開けるのと同時に使用人らしき十数人の人間が、一礼して康大達を迎える。
こういった歓迎は初めてではないので康大もさすがに慣れ、わざとらしく鷹揚に頷いてからライゼルの後に続いた。
「ここだ」
ライゼルが5人を連れて行ったのは、日の当たるバルコニーがある、この館でも一番上等な3階の部屋だった。
その部屋で待っていたのは2人の人間であり、1人は予想通りアムゼンだ。ライゼルが案内役を務めたのだから、待っているのがアムゼン以外ということはありえない。
ただもう1人は知り合いではあるものの、アムゼンと一緒にいるとは予想できなかった人間であった。
「ふふ、皆さんお久しぶりですね」
「マリア様……」
かつてフォックスバードのところで会い、ここに来るまでの理由となった女性の名前を康大が言った。
マリアはあの時会った際と変わらぬ様子で微笑む。
どこにいても上品なたたずまいの、高貴な女性だった。
「マリア様と殿下がなぜここに?」
インテライト家が関わっていると思ったのか、康大の前にザルマがマリアに尋ねる。
相手がアムゼンであれば当然康大を通さない発言は不敬になるが、相手がマリアなら、むしろインテライト家直臣のザルマが話すのは自然である。
アムゼンも飲んでいた紅茶を口から話さず、ただ黙って様子を見ていた。
「殿下と兄のことを話していました、間もなく死ぬでしょうって」
『――――!?』
身内の危篤を平然と話すマリアに、アムゼン以外の全員が呆気にとられた。
話の内容もさることながら、ここには初対面のリアンさえいるのだ。ライゼルが特に注意しなかったためここまで連れてきたが、本人もまさかこんな話を聞かされるとは思ってもいなかっただろう。
果たして「自分外に出てた方がいいっすかね?」と彼女にしては珍しく気を利かせ、そんなことを言った。
「別にかまいませんわ。コウタ殿のお仲間だととしたら、それ以上の身分保証もありません」
「そこまで信頼されると逆に恐縮すぎて辛いです……」
本質的にはちゃらんぽらんな自分を顧みて、康大は引きつった笑みを浮かべた。
「マリアは私にその際の家督相続の確認に来たのだ」
「せっかくですから兄が存命のうちに、殿下に相続を認めてもらおうと思い、こうして伺いました。この場にコウタ殿がいるのは本当に僥倖ですわ」
「えっと、なぜ私なんかが?」
「家督相続について兄からは既に了承は得ております。ですが、殿下に認めていただくには兄以外に保証人になってくれる方が必要なのです。本来は別の方にお願いしようと思っておりましたが、殿下の信頼厚いコウタ殿以上に、ふさわしい方もいないでしょう」
「えええ!!!?????」
康大は思わず絶叫した。
自分がアムゼンの信頼が厚いとは到底思えない。使い勝手のいい道具という表現が一番ふさわしいだろう。
何よりまだアムゼンと出会ってから一週間程度しか経っていない。
古参の配下に比べたら、新参を通り越してただの知人だ。
そんな自分がアムゼンから信頼されているなど、皮肉にしか思えない。
「あの、私のような下っ端より本来予定していた方に依頼された方が……」
「あら、ご謙遜を。殿下からあなたの活躍を聞かされて、私大変感心しましたのよ。右も左もわからなかった異邦人が、たった数日でここまで殿下のお役に立てるなど、尋常の事ではありませんわ。それにコウタ殿は子爵のご様子、身分的にも問題はありませんわ」
「あーそこに関しては……」
康大はアムゼンを横目で見る。
「なんだ、もっと爵位を上げろと言いたいのか?」
「逆です! 私の爵位は一時的なものでしょう!?」
「そうだな、お前が国を発つまではそのつもりだった。だが今回の功績を鑑みれば、そういうわけにもいくまい。喜べ、そこにいるライゼルより正式に格上の人間になれたぞ」
「えー……」
康大は恐る恐るライゼルを見た。
ライゼルは仏頂面を変えず、
「おめでとうございます」
と言い、深々と頭を下げる。
康大にはその背後に死神が鎌を振り上げている姿が見えた。
こんなに恐怖を感じさせる謝辞は生まれて初めてだ。
「そういうわけで、私のお願い受けてくださらないでしょうか? コウタ殿、いえ、コウタ様」
「そ、そんな畏まられても!?」
「家督を相続できなければ、私はコウタ様より格下なのだから遜るのも当然です。どうもコウタ様は、自分のことを過小評価されていらっしゃいますわね」
「・・・・・・」
康大は助けを求めるようにザルマを見た。
するとザルマは何を思ったのか、いきなり膝を曲げる。
「恐れながら申し上げます。コウタ様の功績は子爵に十分値するものであり、また我が主、マリアの依頼を受けるに足る十分な理由もあると存じます。下賤な身分の私には、このようなことしか言えません。今の下賤な身分では」
「お、おい!」
「・・・・・・」
ザルマが圭阿に目配せすると、圭阿も珍しくザルマに従い、同様の態度をとる。
自分の態度を謙遜ではなく正当な評価と考えていた康大は、いよいよ返答に窮する。
「あー、つまり主のマリア様が現状コウタさんより身分が低い以上、その家臣である自分達もコウタさんに遜らないと、道理が当らないってことっすね」
部外者であるリアンがこの状況を端的に説明する。
2人の行動が理解できなかったハイアサースは、「なるほど」と感心したように手を叩いた。
(このまま2人にこんな態度とられても超めんどくさいし、ここはもう現状を受け入れるしかないか……)
康大は体面上内心だけで盛大な溜息を吐き、「わかりました」と頷いた。
「ありがとうございますコウタ様。それでは殿下、これで家督相続の件、認めていただけますわね?」
「まあコウタにまで詰め寄られては、私も首を横に振るわけにもいくまい。いいだろう、後日正式な使者をインテライト家に送ろう。ただ内々のごたごたはお前自身の力で何とかしろ。それでお前の主としての力も証明されるだろう」
「御意」
マリアはやわらかな笑顔でうなずく。
外見的には優しそうな中年女性だが、康大には彼女ならその難局もたいした問題ではない気がした。
あのフォックスバードと互角にやり合うことができる彼女なら。
「あの、そうなるとこれまでの対応も……」
「そうですね、正式にではありませんが、コウタ殿もお困りの様子。今まで通りに戻しましょう」
「よかった……」
康大はホッと胸をなでおろした。
ザルマと圭阿もふうっと息を吐き立ち上がる。
「さて、マリアの用件はここまでだ。これからは私の用件だ。どうせお前も王都に戻ったら私に会いに来るつもりだったのだろう?」
「はい。ただ殿下がここにいる保証もなかったので、しばらくインテライト家のお世話になるつもりでしたが」
――というのは建前で、あえてアムゼンが忙しい時を選び、本人を通さず国境通過の書状だけもらおうと思っていたが。
拉致同然にここまで連れてきたアムゼンの方が、一枚も二枚も上手だった。
「ならば喜ぶべきだな。私が手間を省いてやったぞ」
「御意……」
おそらく内心を読まれ、勝ち誇ったように言うアムゼンに、康大はただそう答えることしかできなかった。
「さて、伝え聞いたところによると、お前は都に行くらしいな」
「――!」
「げっ!」と口に出して言わなかっただけ、自分で自分を褒めたい。
思い切り分かりやすい表情をしながら、康大はそう自分を慰めた。
「お前が使っていた馬車は誰が用意したものだと思う? そして御者しかいなければ、情報を盗まれることはないと?」
「ですよね……」
この有能な王子に隠し事は無理そうだった。
ひょっとしたらゾンビ化に関しても、すでに知られているかもしれない。確認すること自体藪蛇になりそうなので、口が裂けても聞けないが。
「そしてお前は私に国境通過できるよう私に都合してほしい、そうだな?」
「御意」
「(あー。完全にやり込められてるっすね)」
「(殿下の前だとコータはだいたいこんなものだ)」
2人の内緒話を背中で聞きながら、康大は力なくうなずいた。
「さて、ここからの話はコウタだけとしたい。マリア、お前も部下とこれからについて相談する必要があるだろう?」
「ええ、そうですわね。それではみなさん、私たちは少し席を外しましょう」
『・・・・・・』
仲間達はマリアとともに部屋を出ていく。
ライゼルまで余計な気を利かせて部屋を出て行った。
「・・・・・・」
この王子と2人きりになると、ライゼルとの2人きりよりさらに強い危機感を覚える。
ライゼルの場合精神的な圧迫がすさまじいが、実害はそこまでない。
一方この王子は、精神的な負担は少ないが、どんな無理難題を押し付けられるか分かったものではない。
特に衆人の目がないこの状況では。
「まずお前の願いだが、その点は問題ない。今日中にでも私名義の通行証を書こう。都までの間にある国々なら、よほどの問題がない限り通用するはずだ」
「ありがとうございます」
「その代わりと言っては何だが――」
「ですよね~……」
この王子がタダで物をくれるとは到底思えない。
何事もギブアンドテイクだ。
そのテイクが最小に収まるよう本人のいないところで話を進めたかったが、さすがにそれは甘すぎた。
「お前はこのセカイについてどこまで知っている?」
「ほぼ知らないと思って問題ないです。それこそ山奥の小屋から誰とも会わずに生きてきた人間の様に」
「ならば面倒だが最低限の話はせねばなるまいな。まず都にはウエサマがいる。お前はウエサマを知っているか?」
「いいえ、知りません」
聞いたような言葉ではあるが、それがどういう存在かまではさっぱり想像がつかない。
さすがに時代劇に登場するような殿様でないことは確実だろう。
「ウエサマは古来の昔よりこの世界の平穏と調和を保ってきた尊い方で、代々世襲している。ただ、あくまで象徴のようなお方で、軍事力は持っておられない」
「(天皇みたいな感じかな)」
康大の頭の中で、戦後象徴となった日本の天皇家を思い浮かべる。
「そして、ウエサマにはアルバタールという輔弼がいる。このアバタールは多くの軍隊を指揮し、ウエサマの威光が諸人に及ぶよう働いている。アルバタールは世襲ではなく、ウエサマによる任命制で、このセカイを実質的に支配しているのはこちらのお方だ。……かつてはな」
「何か複雑そうな話ですね」
「ああ、セカイの方が昔より複雑になったのだ。アルバタールにしても地方政権が力を持った今、その影響力が完全に及ぶのは都周辺までだ。このフジノミヤも、その地方政権の一つに含まれるのだがな。さて、本題はここからだ。お前は都に行ったとき、そのウエサマにフジノミヤからの正式な使者として会ってもらいたい」
「グラウネシアのときと同じ命令ですか……」
それだけならそこ迄無茶でもないかなと、康大はホッとした。
けれどそれはこのセカイの常識を知らない康大の致命的な誤解で、その難易度はグラウネシアの件とは桁が違った。
それをアムゼンはよく理解していたが、指摘せずに話を進める。
黙っていた方が、色々都合がいいのは明らかであったのだから。
そもそもこれから言うことを聞けば、無知な康大でも嫌でもそれに気づいてしまうだろう。
「もちろんただ会ってご機嫌伺いをする、などというわけではない。お前にはお2人からメグレズを下命してもらいたい」
「めぐれずをかめい?」
何一つ分からない単語に、康大はオウム返しをすることしかできなかった。
アムゼンはさすがにそこははぐらかしたりはせず、ゆっくりと説明を始める。
「メグレズというのはウエサマから指名していただく役職の一つだ。簡単に言えば、フジノミヤやグラウネシアを含めたこの地方一帯を治める代官のことだ。それをウエサマに命じてもらいたい、ということだ。ただし、現在役職の任命権はアルバタールにあり、ウエサマはそれを承認するのお立場にある。よってお2人を説得し、私をメグレズに任ずるよう、交渉してほしい」
「・・・・・・」
康大は乏しい知識でアムゼンが言った状況を考えた。
ウエサマというのが天皇だとしたら、アルバタールというのは征夷大将軍的な存在かもしれない。つまり康太は教科書に登場するような右大臣とか執権とか、そういった役職をもらって来いと言っているのだろう。そう仮定すると、アムゼンが欲しがっているのがこの地方の正当な支配者であるという大義名分だとわかる。
たとえアルバタールの力が都周辺しか及ばなくとも、そのネームバリューはこの世界のどこにでも通じるのだろう。それがあれば、他国に攻め込むことが私利私欲ではなく、職務上の当然の権利となる。
どうやらアムゼンは本格的に覇王となる道を選んでいるらしい。
その手駒にただの高校生である自分が使われるとは、夢にも思わなかった。
果たしてそのゴールはどこにあるのか。
自分が新たなアルバタールにとって代わるのか。
それともウエサマのような存在になるのか。
はたまた旧来のシステムをすべて破壊し、新たなこのセカイの王となるのか。
未だ知識の乏しい康大にはさっぱりわからない。
しかし、たった一つだけはっきりと理解できることがある。
「わかりました。どう考えても私には無理なことが」
康大は断言した。
グラウネシアの際は、康大の役目などただの偵察部隊の1人にすぎなかった。
事実、戦後交渉も全てアムゼンが中心となって話を進めた。
しかし今回はコウタがフジノミヤの外交官として、顔も知らない高貴な人間達と交渉しなければならない。
顔どころか名前も、歳も、性別すら分からない。
そんな状況で一国の未来を左右するような役職を得る交渉をするなど、どう考えても無理だった。
アムゼンは表情を変えぬまま舌打ちする。
康大には「怖気づきやがったかこのウスノロ」と、目が語っているような気がした。
「……そうだな、確かにこれは難しい命令だ。だが何もお前だけにそう指示したわけではない。コアテルが失脚した後、すぐに同様の命令を、信頼できる有能な何人かの部下に指示し、都に向かわせた。だが、あまり芳しくなくてな。お前のような奴でも、いれば何かに足しになる、そう思って指示したまでだ」
アムゼンはそう言ったが、それが大嘘であることを康大はそう遠くない未来に、思い知ることになる……。
もちろんこの時の康大はそれに気づきようもなく、額面通りにアムゼンの話を受け入れた。
「そ、そこまでおっしゃられるのなら……。しかし、他にも指示している人がいるなら、なんで人払いまでしてこの話を?」
「このことを知っているのは当人達と私だけだ。コアテルやあの異邦人の件で、今周辺諸国とは緊張状態にある。ただのご機嫌伺いですら神経質に反応するだろう。それがメグレズ下命の交渉と知られれば、それこそ周辺諸国が連合して妨害することは必定だ。だがフジノミヤどころかこのセカイに来て間もないお前なら、ゆめそう疑われることもあるまい」
「まあ攻められる口実を作られるわけですからね。ああ、そういうことか……」
康大の仲間には現在リアンがいる。
そのリアンからグラウネシアに情報がいけば、アムゼンとしては目も当てられない。
だからと言ってあの場でリアンだけ下げれば、変に勘繰られるかもしれない。
そのため、ああやって全員下がらせたのだ。
「ふ、お前の部下も口が軽そうな奴が多いしな」
「部下ではありませんが、口が軽いことは否定しません。それはそれとして、都まで行って交渉したらさすがにバレますよ」
「都まで行けば、後は知られてもかまわん。さて、もう話は十分だろう。詳しい話は都にいる私の部下に聞くといい。お前の姿を知れば、向こうから接触するはずだ。では行くがいい」
「御意」
康大は一礼し、部屋を出る。
また面倒なことを押し付けられたなと、がっくり肩を落としながら……。