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第19章

 ベルーガの変身した姿を見ても、康大はそれほど驚きはしなかった。

 今までの話の流れから、そんなことだろうなと予想はしていた。エクレアのことを聞かれた時点で、ほぼ確信していたぐらいだ。


 ベルーガの背後でデネボラも姿を変える。

 妹と違い基礎体力があるのかはたまた慣れているのか、全く苦しまずに一瞬でえらが生えたセイレーンの姿へと変わった。

 エラと手のヒレ以外だと、目がかなり変わった気がした。魚眼というのだろうか、白目がほとんどなくなり、黒目が大部分を占めるようになっていた。ただ、肝心の足は姉妹とも2本のままだ。


「驚かないのですね」

「まあ今までの不可解な点を一編に説明できる理由があるとしたら、そんなところじゃないかなと思ってたから。ただ、なんでセイレーンがアイチと交渉するのかが分からない」

「それは今回のグラナダ湖の怪物騒動に端を発します。今回の怪物を、人間の大部分は私達(セイレーン)の仕業だと思っています。そして、アイチの王族は、この村がセイレーンの村であることも知っています。彼らはあの伝説の勇者の末裔なのですから」

「俺たちにとっては勇者どころか、コソ泥だけどな」

 デネボラが吐き捨てるように言った。

 どうも人間とセイレーンの間で、伝承に対する行き違いがあるらしい。

 聞くべきかどうか悩んだが、デネボラが話したそうにしている気がしたので、康大は彼女に話を振った。


「俺がナゴヤで聞いた話じゃ、グラナダ湖で悪さしていたセイレーンを倒した勇者が、その秘宝を持ち帰ったって」

「はっ!」

 デネボラが鼻で笑う。


「確かにかつてのセイレーンは()()問題があったかもしれない。けど、秘宝は欲に目がくらんだ人間のクソ野郎が盗んだものだ! そのせいで俺達はこんな不完全な体になっちまった!」

 そう言って、デネボラは足をぶらぶらさせる。


「つまりその秘宝が盗まれる前は、魚みたいな尾びれだったと?」

「はい、私達の伝承ではそう伝えられています。私達の目的はアイチからその奪われた秘宝を取り戻すことです。その秘宝があれば、私達が怪物を退治して自らの無実を証明し、今の生活からも脱却できるでしょう」

「つまりこの村がその、こうなったのは、人間の足が生えて湖で生活できなくなり、仕方なくしている、と」

「当たり前だ」

 デネボラは断言した。


「誰が好き好んで人間の雄に股を開くものか」

「……まあ中には本当に好き者の子もいますが、とにかく今は本来の力が発揮できるようになる秘宝が必要なのです。ぼさぼさしていると、私達セイレーンは冤罪で根絶やしにされてしまうかもしれませんから」

「根絶やしとは物騒だな。まあアイチの王族が知ってて、噂の怪物をセイレーンと思いこんでいるのなら、そういう未来を危惧するのも理解できるけど」

「はい。そういうわけで子爵様には、人質としてだけでなく、アイチ側と円滑に交渉できるよう橋渡し役もお願いしたいのです。だからこそこうして真実を打ち明けました」

「うーん……」

 康大は腕を組んで考える。

 知らぬ間に、自分の立場が人質から人質兼交渉人(ネゴシエーター)になっていた。

 本来ならこれはセイレーンと直接的な関係があるエクレアの仕事なのだが、あの美少年では立場も能力も足りな過ぎた。

 そこで自分に白羽の矢が当たったのだろう。


 おそらく密かにセイレーンに自分達の情報を漏らしたのはエクレアだ。

 皆子ども扱いし、ずっと監視していたわけではないので、伝書鳩あたりを使う機会はそれなりにあった。レアバンブー島では時折姿が見えなくなることさえあったが、それを誰も気にはしなかった。

 まんまとしてやれたと康太は思った。


 ただ恨む気にはなれなかった。

 そこまでしてエクレアは愛するセイレーンの潔白を証明したかったのだから。


(例えばハイアサースが同じ立場になったとして、俺にそこまでできるかなあ)


 康大はそう考えてしまう。

 そう考えてしまえばもう憎むこともできない。


「子爵様、協力していただけますか?」

 ベルーガは康大の懊悩など無視して、最終的な確認をする。


 ――そう、これは依頼のように見えてただの確認だ。


 徒手空拳かつ、自分を一撃で殺せるデネボラがそばにいる以上、康大に断るという選択肢は用意されていなかった。


「分かった」

 それが痛いほどよく理解できていた康大は、迷うことなく首を縦に振る。

 ベルーガはホッとした表情を見せた。

 一方、デネボラの方はまだ完全に信じていないのか、内心の不審感を隠しもしない。


 その点に関して、別に康大は反感を覚えたりはしなかった。

 実際、康大には約束をそこまで守る気はなく、今もどうやって外と連絡を取ろうかと考えている。


 確かにセイレーンの濡れ衣には同情するが、だからといって自分が解決してやろうという気にまではならない。

 それはあくまで彼女達とアイチの問題であり、下手をするとフジノミヤの内政干渉になりかねない。

 このセカイでそれなりに生きていく気になった今、あまりアムゼンの機嫌を損なうようなことはしたくなかった。


(なんか俺も腹芸とかできる人間になってきたなあ)


 それが誇らしくもあり、また虚しくもあった。



 それからセイレーン姉妹は、「また来ます」と言い残し、牢屋から出て行った。

 6畳ほどの広さしかない牢屋はベッド以外の調度が一切ないため、こうして一人になると途端に暇を持て余すようになる。

 本来なら脱出や連絡経路について考えないといけないのだが、あまり危機感がないためか考えがまとまらず、むしろ「ご飯は何になるん」だろうというどうでもいい事ばかり浮かんだ。


(こういう時はまたアイツで暇つぶしするか)


 康大は再び目を閉じる。


 そこにはデスクに座って、何かめんどくさそうにパソコンのモニターを見ている基本的に使えない女神がいた。


「珍しく仕事してるな」

《経費申請するの今日までだってすっかり忘れていたのです人の子よ。他の仕事ぶん投げてもこれだけは今日中に終わらせなければなりません。経費で落とせず自腹を切るなど、髪が認めても私が認めません》

「本当に欲望に忠実だなあ。ていうかお前自身も神だろうが」

 康大は脳内世界でため息を吐いた。


《ところで人の子よ、あなたは表計算ソフトは得意ですか?》

「さらっと俺に仕事させようとすんじゃねえよ! ていうかなんか申請する額が少額ばっかだな。よくわからんけど、198円が交際費で大丈夫なの?」

《同僚とコーヒーを飲みながらの世間話は、重要な交際費です人の子よ。貴方も大人になればわかります》

「あ、これ絶対落ちないやつだ……」

 私的な無駄遣いまで全部経費で落とそうとするつもりらしい。

 本当にどうしようもない女神だな、と康太は呆れた。


《……ああくそめんどくせえ! 飽きた。アンタ気分転換に付き合いなさいよ》

「いきなりひどい」

《それで、これからどうするつもり?》

「とりあえず救出待ち」

《村人Aの分際で囚われのお姫様気取りかよ》

 ミーレが吐き捨てるように言った。

 今のところこの女神にも、女神要素は1%もない。

 一方でダメ社員は要素は100%を超えていた。


「仕方ねえだろ。俺の力じゃ怪力のセイレーンに勝てないし」

《怪力ねえ。あの妹ちゃんの方はそこまで強いようには見えなかったけど。ていうか秘宝かあ。うーん……》

「なんだ、心当たりがあるのか?」

《あるわけじゃないけど、ちょーっと気になるのよね。ほら、人魚姫だと、魚のヒレから人間の足になったじゃん。それを逆に戻すとか、あんま秘宝感ないなって》

「そこはそれ、物語と現実は違うから」

《あと、雄のセイレーンとかいるのかしら? アンタを通して見た限り、村人はほぼ全員牝だったし》

「そこは……どうなんだろ。あえて聞く必要もないことだから聞かなかったけど、確かになんか理由がありそうだな」

 ミーレの疑問は、グラナダ湖の怪物の件とは直接的な関係はない。

 ただその一方で、最終的にはそれが一本の線に繋がっているような気もした。


《まぁ、前も言ったけどアンタはもっと視野を広く持ちなさい。少なくとも被害者自称してる片方だけの意見を聞いてたら、ドツボにはまるわよ。さーて、アタシもそろそろ仕事に戻ろうかしら。待ってろよクソ経理のデブ女神め……》

 ミーレはそう言って再びパソコンに向かい合う。

 康大も仕事(?)を邪魔しては悪いと思い、目を開けた。


「一方的な意見か……」

 セイレーンに関しては、最初はナゴヤの人間だけの話を鵜呑みにし、恐ろしい存在だと認識していた。

 しかしエクレアとデネボラ達の話を聞いて、必ずしもそうでないことに気づかされた。少なくとも、問答無用で人を湖に引きずり込み、八つ裂きにするような殺人鬼ではない。


 そうなると、今回の話もデネボラだけ意見を聞くのは危険だ。

 もう片方の当事者であるアイチの話を聞かなければ、この事件を解決するのは不可能だろう。


「ていうかなんか解決するための筋道立てちゃってるけど、やっぱりスルーして都に行くことは不可能なのかなあ……」


 先々のあれやこれやを考えると、今からため息が出る。

 康太の予想では都に到着してから厄介ごとに巻き込まれるだろうなと思っていたが、まさかその手前でこんな事件に巻き込まれるとは予想だにしていなかった……。

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