3.木村課長
声を掛けてきたのは、我が社の花形営業課の木村課長、36歳男性。
独身で、その端正な顔立ちと、紳士的な対応から、肉食系女子たちのメインターゲットとなっているお方。
それをいつも柔和な笑顔でのらりくらりと躱している木村課長に、意中のお相手がいらっしゃることを、私は知っている。
その木村課長の内心を知ってしまったのが、今日の最大のついてない出来事で、私にとっての最大の不幸。
それは、二時間前のこと。
なんとか残業を終えて、退社しようとしている私の目に、木村課長と人事課の課長の青山課長が見えた。
ご挨拶をしてから退社しようと、お二人の元へ足を向けた時だった。
『木村?お前、意中の子を食事に誘うんじゃなかったのか?』
『あぁ、青山か。いや、それが彼女残業中みたいでさ、それに、やっぱり俺が声を掛けると迷惑になるんじゃないかと思って…。』
『いや、思春期か。』
『自分でもそう思うけどね。でも、この歳になって、新しい恋を始めるのは怖いものだよ。本気なら本気な程ね?』
最後まで聞いていられなかった。
二人に背を向けて、裏口から帰った。
だって、好きだったのだ。
領収書がないので、経費として精算することができませんと、営業課の人に伝えに言った時。
そこをなんとかできないか、と言われたが、規則なので、としか答えることができなかった。
『それくらいそっちでなんとかしてくれよ。融通のきかない女だな。』
イライラしていたのか、そう吐き捨てるように言われた。
正直言うと、傷ついた。
でも、昔から四角四面な、型にはまった生き方しかしてこなかったし、融通のきかない性格なのも重々承知しているが、どう直していいのかも分からない。
経理課の他の同僚たちがこっそり目こぼしする中、それができない私はいつしか、雪という名前も相まってか『氷の女』と呼ばれていることも知っている。
ただ感情表現が下手なだけなのに、冷たい女と思われていることも。
もうどうでもいいや、と思いながら、それでも規則なので、と答えようとしているところに。
『彼女の言っていることはとても正しいと思うのだけれど、なんで彼女が責められてるのか。不思議なこともあるね。』
柔和な笑顔を見せながら、木村課長が現れたのだ。
その頃はまだ課長ではなかった木村課長は、やんわりと穏やかに部下を窘めていった。
『いつもご苦労さま。』
私にまで、いたわる様な優しい笑みを向けて。
その瞬間、恋に落ちた。
仕方ないじゃないか。
昔からつまらない女だとか、冷たい女だとか言われ続けて、男性に対する免疫は全く無かったんだ。
それから、木村課長を見る度に嬉しくなった。
女性社員から絶大な人気を誇る木村課長とどうこうなるつもりは毛頭なく、ただ姿を見られるだけでその日一日嬉しかった。
ささやかな恋だった、叶わないと決まっている恋だった、いずれ終わりがくると分かっている恋だった。
それでも、終わりを迎えるのは今日以外が良かった。
4年の間、暖かく育ててきた恋の終わりは。
『大丈夫です。』
木村課長に、自分でもそうと分かる引きつった笑みを見せる。
今すぐこの場を離れたかった。
木村課長が意中の人といる姿を、今日だけは見たくなかった。
明日からは、そっと気持ちに蓋をして、ただ幸せを祈るから。
『よし、鈴木さん。ご飯行こっか。』
『は?』
木村課長の思わぬ発言に、今までの内心シリアスモードを忘れて、間抜け面になったのは、無理ない事だと思う。
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