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告白 6

 元オーナーは宮治賢という、年はまだ初老に足をかけようと言うほどの牧師だった。

 10年前までは奥さんも健在で、この二人を中心に施設の方を切り盛りしていた。仲のよい夫婦だったが、結婚したのが遅かったとかで、二人の間に子どもはなかった。

 二人は常々「この施設の子どもたち皆が我が子だから」と気にする様子はなかった。

 その奥さんがガンで亡くなった。発覚1年もしないうちに天に召されてしまった。あっという間だったと、その一年を知るものはそう言う。

 それからも宮治は、持ち前の明るさと前向きでひたむきな性格で施設をひっぱっていた。が、とうとう無理がたたり4年前、伊太郎が養護施設にきてちょうど一年がたとうとしていた冬の朝、倒れてしまった。

 脳梗塞だった。

 奇跡的に手術は成功し、左半身に麻痺が残るも聞き手の右手側の機能は残った。麻痺自体も予想されたものよりは軽く、訓練で、杖をついての近距離であれば歩行での移動も可能だし、嚥下や咀嚼などは問題なくなった。

 しかし、この体で施設運営をしていくのは困難で、今は財源元の教会側にその運営を任せている状態だ。

 噂によれば、ここ最近は物忘れや記憶障害が少し見られるようになって来ていて、それもこの病の後遺症なのかもしれないとの事だった。

 伊太郎は自分より少し前を行く風香の髪が、海風になびくのを後ろからぼんやりと見つめていた。

 宮治の家は施設の隣の町にある。自転車で行けば15分足らずの場所だそうだ。伊太郎はまだ一度も行った事はなかった。

 海沿いの国道を通った方が近いから、と馴れた道を行く風香はさっそうと自転車を漕いだ。彼女の背中ではペダルが踏み込まれる度にバックパックが左右に小さく揺れていた。

 中に何が入っているのはは分からなかったが、風香は大切そうにそれを扱っていた。

 太陽からの陽射しを照り返す海の輝きが、伊太郎から見える風香の斜め後ろからのその顔に当たっていた。

 まだ夏の名残のような日焼けしたその頬が柔らかそうだな、と思った。


「風香、雨の日はどうしてるの?」


「レインコート着て走るよ。さすがに雪の日はバスで行くけどね」


「危なくないか?」


 2車線といえど国道だ。大型のトラックの往来も多い。ガードレールもない人一人分、申し訳程度に引かれた白線の内側を走るのは危険な気がした。

 しかし、風香はまっすぐ前を見たまま伊太郎を笑い飛ばした。


「ぜんっぜん。だって、伊太郎。私が事故ったとか、怪我したとか聞いた事ないでしょ?風香のふは不滅のふ!平気だって。伊太郎のいは陰険のいで決まりだろうけどね」


 一言多いって。それなら風香のうは五月蠅いのうだ。

 と、いうのは心の声で納めて置いてやった。さっきの事への罪悪感もあったが、海風と光の中を風切って走る彼女は意外にもイケてたからだ。

 その顔は、司に見せるものとは少し違う、まるで少し幼い女の子が公園にでも出かける時のような顔だった。

 風香にとっては、赤子から自分を育てたオーナー夫妻は親のようなものだ。だから、こうやって誰に言われなくても、毎日毎日、宮治の元へ行くのだろう。

 それは、恩返しというより風香の一種の甘えの形の様な気がした。風香はこうすることで、不安から守られているのかもしれない。

 自分は孤独で生きて来たわけじゃない。

 それをこうやって確認しに行くのだ。

 司がもし、この事を伊太郎に悟らせるつもりで差し向けたのなら、彼は相当……。


「いけすかない野郎だ」


「なに? 何か言った?」


「いや」


 風香に伊太郎はとぼける。そして、いけすかない野郎とウザい風香の仲何か、絶対に取り持ってやるもんかと舌を出した。



 宮治の家は平屋の古い一軒家だった。どこかで見たような、と伊太郎は風香に倣い自転車を玄関先に止めながら考える。

 そして、思い当たる。日曜にやってる長寿アニメのあの家の作りによく似ているのだ。門をくぐると左手に庭へのびる道があるのまで似ている。

 伊太郎が庭の方を見ていると、風香が「庭には重清の家庭菜園があるんだよ。すっごく美味しい野菜が出来るんだから。あ、そういやもうすぐ……」とペラペラ話し始めた。

 重清とは、宮治を世話する住み込みの男だ。養護施設出身で、教会の信者でもあるらしい。

 伊太郎も数回しか彼を見た事はないが、ずんぐりむっくりの、熊のような体格で、無口で無愛想な男だった。少々飛躍すれば、司とは正反対の人種だ。

 あの、不器用そうな男が、と伊太郎は思ったが、家政婦の仕事をこなすのであれば存外、器用なのかもしれない。


「こんにちは〜」


 風香は庭の説明に飽きたのか、口をつぐむと無遠慮に引き戸を引いた。常に鍵は空いているらしく、引き戸は簡単に開く。

 風香が大股で一歩、玄関に踏み込んだ時だった。


「あ、れ?」


 風香がそこで足を止め、足元を見つめた。


「どうした?」


「うん、お客さんみたい」


 見ると、男物の革靴に低いヒールの女物のパンプスが並んでいた。


「宮じぃは、今、革靴履かないから。重清はいつも草履だし。お客なんて珍しいな」


 風香が首を捻った。

 確かに、玄関にはもう一足マジックテープでとめられる介護用に靴があるだけだ。と、言う事は今は重清さんは出ていて、お客を宮治さん一人で相手にしている事になる。


「重清、何してるのよ」


 風香は舌打ちすると、我が家も同然の風で靴を脱ぎ散らかして家に入って行った。伊太郎は慌ててその後を追いかける。ただし、風香のように靴は脱ぎ捨てず、きちんと、風香の分までも靴を揃えてから、だが。

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