告白 40
翌朝、寒さに目を覚ました。
見ると、風香は傍にいなくて、伊太郎は慌てて身を起こす。
風香はずっと前に起きていたらしく、ストーブの傍で慌てる伊太郎に赤い鼻をすすりながら「おはよ」と目を細めた。
二人で外に出た。
世界は水色に近い灰色だった。
空も海も、自分達が立っている場所も、皆同じ色だ。
夜明け前に世界の全てが息をひそめ、新しい一日の始まりを待っているかのような静寂に、この色はよく似あっていた。
二人で自転車を漕いで施設に戻る。
国道を走っている間に、日は昇り。施設に続く緩い坂道を昇る頃には、足元に影が差し始めた。
誰も起こさないように静かに自転車で中庭を抜け、自転車置き場に到着する。
「たぶん。絶対、怒られるよね」
風香はうんざりと言った顔で、携帯を伊太郎に掲げて見せた。何件も施設と司からの電話が入っている。
ま、これくらいの迷惑はいいでしょ。と伊太郎は肩をすくめた。
並んで中庭を通り玄関に向かう。
その時、風香があの銀杏の木の下で立ち止まった。
伊太郎は不思議に思い、数歩先に進んでいた足を止め、振り返る。
風香は葉のないその木を見上げていた。
「伊太郎。昨日、私が親を恨んでないか、訊いたよね」
「あ、うん」
風香は今度は根元に視線を降ろした。ちょうど、風香が捨てられていたと言われている場所だ。
「私はね、恨んでないよ」
「え?」
「私をここに連れて来てくれた誰かさんは、確かに私を置き去りにしたかもしれない。でも、愛してくれてたんだって、知ってるから」
どういう事だ? 風香には何も残されていない。身元を証明するものも、生まれた日がいつであるかを教えるのも。
なのに……伊太郎は首を傾げ風香を見つめる。
風香はまるで幼い自分を見ているかのような眼差しで、じっとそこに目をやる。
「私がここで見つけられたのは、暑い日なんだってね」
今とは正反対の季節だ。
風香はもう一度顔を上げた。
そこに生まれたての朝日がさして、彼女の頬を照らした。
風香は目を細め、まるで真夏の銀杏をそこに見ているかのような顔をした。そしてそっと告げた。
「きっと、その時、ここには優しい木影が私を包んでいたんだろうなぁ」
伊太郎ははっと息を飲んだ。
確かに、もし、ただ置き去りにするのなら玄関でいいはずだ。捨てる現場を押さえられるリスクもずっと少ない。
敢えて、この木の根元にしたのは、玄関先の厳しい日差しの中ではなく、ここに……。
赤ん坊を包みこむ、優しい木影が伊太郎にも見えたような気がした。
風香が振り返った。つくづく。自分の知っているのは世界のほんの断片でしかないのを思い知る。
朝日の中で風香は微笑み
「私、春から空知神父の所に行くの」
と宣言するようにそう言った。
実は、そんな気がしていた。
伊太郎は風香の顔を見る。
風香もまた、新しい居場所を自分で見つけたのだ。
二人で朝日の中、振り返った。
新しい一日が差し込むあの窓際。そこには、もう、うかない顔の少年の顔はなかった。