告白 4
伊太郎が連れてこられたのは事務室の向かいにある応接室だった。
四畳半ほどの小さな部屋には中庭に臨む窓と、対面した二人掛けのソファ、その間にあるテーブルと背の高い観葉植物しかない。
普段は主に入所する子どもの家族や、里親になる人間との面接に使われるのだ。
ここに入るのは二度目だな。
伊太郎は五年前の冬の日を思い出した。
まだ十歳だった伊太郎をここに連れて来たのは母親だった。始め、伊太郎はここがどういった場所で、自分にこれから何が起こるのか全く分かっていなかった。
この椅子に座るまで、何の説明も受けなかった伊太郎は、ここで初めてこれからの事を知らされ、そして、そのまま置き去りにされたのだ。
顔を上げると今でもその時の母親の、固く氷のような横顔を思い出しそうで、伊太郎は膝の上に置いた自分の軽く握られた拳から目を離す事が出来ないでいた。
「ちょっとは落ち着いたかな?」
ドアが開き紅茶の香りと一緒に降って来た声に、伊太郎は下を向いたまま頷いた。
向かいに司が座る気配がし、甘い香りが湯気となって伊太郎の前に差し出される。
司は何も訊いてこない。
紅茶のカップを持ち上げる音がして、こちらが話しだすのを待っているのがわかった。とはいえ、この気配は押しつけても来ない種類のものだ。
だぶん、伊太郎がこのまま何も話さなくても、司は微笑んでこの部屋から送りだしてくれるのだろう。
そっと、視線をあげて司の方を窺ってみた。
司は優雅な所作で、紅茶の香りを楽しむようにカップを胸元まで上げ、外の景色を眺めていた。
伊太郎はつられてその景色を見てみる。
そこには大きな銀杏の木が見えた。まだ色づき始めたばかりだが、もう少し寒い季節に近づけば、それが見事な黄金に輝く事を、伊太郎は知っている。
「風香ちゃんはね、ちょうどあの今、三輪車が止まっているあたりで見つかったらしいんだ」
「え」
銀杏の木の下に、誰かが忘れたままになっている小さな三輪車。おいてけぼりのそれは、主人が迎えにくるのを待っているように見えた。
「僕は先代のオーナーから今のオーナーさんに変わった時期にここに入ったから、昔の事はよく知らないんだけど、彼女を見つけたシスターは天使がここに来たのだと思った、それくらい愛らしかったと言っているよ」
まるで子供におとぎ話を話すような柔らかな口調に、伊太郎はいつの間にか聞き入り、遠い日の風香の姿を見出すようにじっと目を凝らしてみた。
司の言いたい事はわかる気がした。
風香がいつも明るいのは、寂しさを紛らわせるためなんだ。親の顔も知らない、それどころか自分が何者なのかも分からない。それがどんなに心細く、息苦しいものなのか、きっとたった十年とはいえ家族との思い出がある伊太郎にも、司にだってわかりはしないだろう。
風香は、誰にも理解できない孤独を抱えているのだ。
「伊太郎君のご両親は、本当はもう少し早くに君を迎えに来る約束だったんだよね」
「はい」
伊太郎はようやく司の目をまともに見た。司は手元のカップに唇を湿らせる程度に口をつけるとそれをおいて、両手を組んだ。
そう、伊太郎は自分の中で、自分はここに置き去りにされたのではない、一時預けられただけなのだと認識していた。
あの時、母は三年したら迎えに来ると言っていた。だから初めの三年はまだ平気だった。でも、約束の日に誰も来ず、もう二年経つ。
「君の気持ちもわかるよ。こちらも連絡を待ってるところなんだ」
「連絡は」
「直接は……」
司は申し訳なさそうに首を横に振るが、伊太郎が暗い顔に沈む前にすぐに言葉を付け足した
「あ、でも、代理の人とはちゃんと取れてるから。そう、遠くない時期に必ずって」
「そう、ですか」
一年前、しびれを切らせて聞いた時も同じ答えだった。ただ、だからと言ってもう、騒ぐほど伊太郎も子どもじゃなかったし、何より今は気落ちが激しくそんな気になれなかった。
風香は、あのまま、泣いてしまったのだろうか。
口が悪いのはわかってる。でも、風香が自分を構う理由だって、本当はわかっているのだ。
「風香ちゃん、君が外ばかり見てるから、寂しかったんじゃないかな?」
「わかります」
いつまでも、同じ事にこだわって踏み出そうとしない自分を、きっと風香はもどかしく思っているのだ。きっと自分以上に気をもんでいるに違いない。
その時、中庭に誰かがやってくるのが見えた。
「あ」
風香だ。風香はいつもの明るい笑顔で誰かに何か言って、三輪車を指さしている。
そこに入所したばかりの女の子がべそをかきながらやって来た。どうやら三輪車を一緒に探していたようだ。
風香はしゃがんで少女の背中に腕を回すと、なだめるように何かを話していた。