告白 38
「シスターってさ、結婚しないんじゃなかったっけ?」
というか、神父と牧師も宗派は違うし。
と伊太郎は心の中で肩をすくめる。そう、もともと空知は自分が嘘をついているのを自己紹介の時点で明かしていたのだ。自分と宮治に経営上の接点何かないのだと。
「三綾さんはシスターっていっても、まだ哲願だっけそれやってないんだって。つまり正式なもんじゃなくて見習いだったんだ。だから、ギリセーフなんじゃないの」
「納得いかないよ。っていうか、不意打ちよね。ありえない! だって、私が気がつかなかったんだよ。どうやってそんな……」
だから、僕らが知るのは世界のほんの断片でしかないんだって。
伊太郎は愚痴を続ける風香の背中に心の中でそう言った。
そう、司はもうすぐ結婚するのだ。今や元シスターになってしまった三綾と。確かに、彼らが付き合っているなんて誰も知らなかった。知らされ、彼女と一緒に宮治を世話していくと聞いた時、施設中がひっくり返った。
でも、伊太郎はどこかで「やっぱりね」と思った。
きっかけは、あの事件の時、宮治の様子を見に行くのに司が連れて行ったのが他でもなく、彼女だった事だ。
顔を合わせられない自分の代わりに面会を頼む相手。それはある程度の事情を知っている近しい人物でないとできないはずだ。
伊太郎は正直、共犯者は柳か彼女だと思っていて、柳にあぁは言ったものの、病院で柳の顔を見るまではどちらかの確証は持っていなかった。
で、三綾は共犯でないとすると……。
司が彼女がいないと、嘘をつき通していたのも彼女の立場を考えれば納得できる。
ま、こんな話、風香にすれば「どうして教えてくれなかったの」とそれこそ一晩中責められそうだから、絶対に話さないけど。
これはこれでいいんじゃないかと思う。
司の、あの『人に劣等感を与える容姿』も妻を持つことで、若干なりとその罪の色を薄くすることができるかもしれない。
そうこうしているうち、風香は買い物かごいっぱいにお菓子や飲み物、カイロまで詰め込んでレジに向かってしまった。
「何だよ。こんなに買い込んで」
「今日はさ、付き合ってよ。おごってあげるからさ」
なるほど、失恋に付き合えと言うのか。
外は死ぬほど寒そうだった。
一晩外にいたらきっと、朝には二人とも凍死体で発見されることになる。それでも、泣くのを堪え、いつもの舌も回せない風香の固い横顔をに、伊太郎は断りの言葉を投げつけるなんて事はできなかった。
ま、その時は空知神父に愚痴でも聞いて貰うかな。伊太郎は自分でも面白くないと思う冗談に舌を出すと
「わかったよ」
と頷いた。
風香はそれから乱暴にそのコンビニ袋を自転車の前かごに突っ込むと、再びペダルをこぎ出した。
こんな時間に中学生が凍死せずにいられる場所なんかないんじゃないかと言う伊太郎の心配は、杞憂に終わった。
風香が向かったの港の方だった。
風香はなれた様子で港に続くスロープを降り、崩れそうな小屋の前で自転車を止めた。
「ここ、誰も使ってないから」
風香の隠れ家なのかな?
本当に、僕は物事の断片しか知らないんだ。
そんな事を実感しながら伊太郎は風香について小屋のドアをくぐった。
外壁は木造だが、屋根はトタンでできていた。海の生臭さと鉄の錆びた匂いが夜気に交ざり合っていて、けっして居心地のいい空間とも、ましてや女の子の秘密のお部屋というった雰囲気もなかったが、伊太郎はそれなりに緊張して小屋の中を見回した。
「もともと宮じぃの小屋なんだ。釣りが趣味でさ。そこらへんのは皆宮じぃの釣り道具」
風香が小屋の真ん中につるされた裸電球を灯し、小さな電気ストーブを付ける。
古い手漕ぎボートが立て掛けられていて、その周りに釣りざおやバケツが無造作に転がっている。
壁にはゴムでできた漁師が来ているようなつなぎまで掛けられている。
もう、二度と持ち主が現れないことを知っているかのように、それらは薄暗い部屋に色褪せて見えた。
「毛布は一枚しかないんだけど、いいよね。ってか、カイロもあるし、ストーブもあるし、やってけるかな」
「十分なんじゃない」
風香はまるで小さな子が草はらに作った秘密基地で遊んでいるかのような、無邪気さだ。妙に緊張する自分の方が伊太郎は恥ずかしい気もしたし、何にも感じない様子の風香にも少し腹が立った。
仮にも二人っきりなんだぞ。
毛布が一枚なんだぞ。
夜中に抜け出してるんだぞ。
そんな特別な事が、風香には気にならないんだろうか?
伊太郎は彼女が支度を終えるのを壁を背にしてじっと待った。
風香は菓子類を並べ、ようやく落ち着いたのか、当然のように伊太郎の隣に座り、一枚の毛布で自分と伊太郎の体を覆う。
向かいにある電気ストーブの朱色が風香の肌を照らしていた。
コトリ
卵一つ分くらいのしこりが伊太郎の胸の中で音を立てる。
しばらく風香はそうしないといけないとでも言うような、真剣な顔で唇を結ぶと、じっと自分の足元を見つめていた。