告白 36
まさに忽然と現れた彼に、二人は目を見張る。
「!?いつからここに!?」
「初めからですよ」
神父はそんな事は重要ではないと言わんばかりに、飄々とそういってのける。伊太郎の背を軽く押す。
「晴美さんが君をここに連れて来たのは偶然でも、成り行きでもないんですよ。君は第三者じゃない」
「は?」
さっぱりわからない。自分の家族は正真正銘、ちゃんといる。宮治の親族であるわけがない。じゃ、何?
頭の中に疑問符が次々に浮かんで飽和状態になりそうだった。そんな伊太郎を、神父はベッドサイドに固まっていた三人をかき分けてまで宮治の傍に連れて行った。
「ありがとうございます」
宮治の言葉に、神父は首を横に振り「すべては神の思し召しです」と答える。
老人は深く頷くと、伊太郎を見上げる。
「伊太郎君」
その目には、昨日、彼にあった時に見た、憐れみが今も見て取れ、伊太郎は不快に目を反らす。
「私は、君にも謝らないといけない」
宮治はしわがれた声でそう言う。でも、伊太郎には本当に心当たりがなく、どう答えていいのかわからなかった。
自分に謝る?このゴタゴタに巻き込んだ事なら、自分より風香に謝るべきだ。
伊太郎は眉を寄せると「何のことですか」と口の中で呟くように言った。
宮治はそんな少年の横顔を見つめると、言葉を選ぶ余地がないことを観念したのか、ため息交じりに彼の問いに、こう答えたのだった。
「君のお母さんの事だよ」
伊太郎は顔を跳ね上げ宮治を見つめる。
母親の事!?
3年したら迎えに来ると言って、5年経った今も連絡一つよこさない母と宮治になんのつながりがあったというのか。
混乱した。
全く心当たりもなければ、推測する情報もない。
知識も何も役には立たない。
伊太郎は老人を見つめると、息をのんで次の言葉を待った。
宮治は目を細め、伊太郎を労わるように静かに続ける。まるでそれはこれから話すことの覚悟を、伊太郎にさせるような口調だった。
「きっと、春には、迎えに来ると思う。でも、君には厳しい現実が待っているかもしれない」
厳しい現実?
振り返り、伊太郎は説明を求めるように風香や神父、晴美を見る。
しかし風香は首をかしげ、他の二人は宮治からきけといわんばかりに口を閉ざしてなんの反応も示そうとはしなかった。
柳達も同じ態度だ。
伊太郎はしかたく再び視線を宮治に戻した。
宮治は伊太郎をあの目でじっと見る。
言いあぐねる理由が声を奪っているかのようだ。しかし、その閊えはため息にやがて変わり吐き出され、ようやく宮治は伊太郎に向けた言葉を彼に差し出した。
「君のお母さんはね」
宮治の声が澱み、そして静かに告げる。
「今は服役中なんだ。そして、君のお祖母さんはもう……」
「母さんが……」
全てが語られずとも、伊太郎は全てを察した。
強い風の中に立つようにギュッと目を瞑り、俯く。
言いようのない胸の苦しさに息が詰まる。が、驚きはなかった。そう、哀しいほど伊太郎は驚かなかったのだ。
なぜなら、この事はどこかで予想していたから。
まだ中学生の伊太郎が、脳梗塞や遺言の知識を持つようになった、そのきっかけ。それは単なる興味ではなく、必要だと思ったからだった。
調べ始めたのはそう、約束の3年が過ぎ始めた頃だった。
遠い遠い記憶の中に、何かしら勘が囁きかけるものがあったのかもしれない。
「私は。君のお母さんが君を預けに来た時、お婆さんを手にかけるかもしれないと感じていた。彼女の覚悟も感じていた。でも、止められなかった」
「ええ。わかります。なんとなく」
「どういう事?」
風香が棘のある言葉で伊太郎を射抜く。伊太郎は他人の身で宮治を世話していた風香の顔を、見る事が出来ない。
家族だからこそ許せることと
家族だからこそ許せないこと
晴美はさっき言った。
他人だからできるのかもしれない
確かに、そう言う事はあるだろう。
「僕の祖母もね、脳梗塞で寝たきりだったんだ」
伊太郎の祖母は、宮治と同様に脳梗塞で倒れ、麻痺や痴呆を抱える身だった。宮治と違うのは、それがさらに重度でその世話をするのが嫁という名の他人だった事だ。
仕事を理由に壊れゆく母親から逃げていた父親の分まで、母は献身的に尽くしていた。
しかし、痴呆は日に日に酷くなり、人格が変わっていく祖母に辛く当られる毎日だった。罵られ、暴力を振るわれ、食事や便尿をまき散らされ……。
10歳の伊太郎が見ても理不尽と思うのだから、きっと実際はそれ以上の状況だったのだろう。
そんな記憶があるから、風香が宮治の世話に行っているのは気が知れなかった。家族でもあんな苛酷で辛いもの、よく引き受けるなと。
自分ならできない。そう思っていた。
ここに預けられた時、理由は知らされなかった。始めは本当に分からず、置いて行かれた事に混乱した。
しかし、少しずつ大人になっていくうち、母は育児と介護の両立が出来なくなったのではないか。そう思うようになった。
だから、せめて、母の何らかの力になれるようにと祖母の病気を調べ、何らかの形で報われればいいなと遺言や相続の事を調べ上げたのだ。
自分は他の子どもたちとは違う。いつか必ず母が迎えに来る。
だから、その時はもうお荷物の子どもなんかじゃなく、母を助けられる家族になっていよう。
ずっと迎えをそうして待っていた。
でも、今、宮治から事を聞かされても、驚かなかったって事は、自分はどこかで予感していたのかもしれないな。気づいても気づかないふりをしたのは、母の為じゃない。自分が傷つきたくなかったからだ。
伊太郎はふと力を抜くと、現実と向き合うように目を開けて宮治を見つめた。
「それで、母の服役中の間も、僕は施設にいる事になったんですね」
「すまなかった。伊太郎君」
「話してくれて、ありがとうございました」
そういう伊太郎に宮治は、ようやくほっとした顔を見せた。
胸の内に秘められた罪は、他人が思うよりずっと本人を苦しめ続けるものなのかもしれない。
それを宮治は今、痴呆という形で忘れ、許される機会を永遠に失うその前に告白できたのだ。
神父がそこに進み出て来た。彼は先ほどの伊太郎と同様にひざまづき、宮治の手を取る。
神父は低く柔らかな声で罪を形にする。
「宮治牧師の罪は、家族を捨てたこと。伊太郎くんの母親の罪を止められなかった事」
そして罪は今、本人につきつけられ、その過ちを認められる。
神父はそんな告白を終えた咎人に、雪解けを誘う春の陽光のような笑みを、向け、そして厳かな口調でこう告げた。
「しかし、今、全ての告白は聞き届けられ、罪は神の元に赦されました」
罪を察していて止めなかったのも罪。
それが相手を想うからこその事だとしても。
なら、僕も、司さんもみんな同じ罪だ。僕も、告白しないといけなくなる。
伊太郎は正しい、間違っているその二色だけでは塗り分けられないこの現実に長い溜息をついた。
そんな少年の肩に、そっと手が添えられた。
見ると、晴美だった。
晴美はまたもや、伊太郎の心中の言葉をくみ取ったかと言うように頷くと、こう耳打ちした。
「アナタの告白も聞き届けましたよ」
と。