告白 35
そうだ。宮治は別れ行く娘へのせめてもの愛情として、彼女達に何かを残そうとしたのではないか?
大人の都合で離れる事になってしまった幼い娘達。せめて君たちは捨てられたんじゃない。大人の勝手で寂しい思いをさせるが、自分の心は常にともにある、そう伝えたかったのかもしれない。
そして、別れる時に少しでも大人に近い、姉の方にそれを託した。
伊太郎はそっと司の方を伺う。
司は重清と違って、両親に愛されて育った。これだけが原因とは言えないが、やはりそれは父親に捨てられたと思い込んでいた柳と、父親の愛をなにかしら感じた司の母親との違いに起因しやしないだろうか。
司の母親がどんな人で、どんな風に父親にトラウマを抱えていたのかは知れない。司が母親に同情するほどの傷を負ってたのも事実だろう。
だから、司の気持ちも複雑だったのだ。
宮治は母に傷を残した人物。でも、身内の愛情を感じて育った司は、宮治を恨むと同時に、やはり愛してもいた。面識も、思いでもないとしても、血の繋がりは家族を認識させていたのかもしれない。
その繋がりを象徴するものが、バイオリン。
一つでも繋がりを感じるものがあった姉と、何も手元になかった妹では、生きる道も違ってくるのは、そう荒唐無稽な話でもない気が、伊太郎はした。
司はバイオリンに由来については知らなかったようだ。でも、知らなくても伝わるものは、あったのだろう。
「そん、な」
呆然とする柳の前で、晴美はバイオリンケースを開けると、丁寧に中のバイオリンを取り出し、司に渡した。それから、宮治に了承を問うように視線をやり、彼が頷くのを見てから、ケースの底に手をやる。
「あ」
誰の声なのだろう。伊太郎も声を上げてしまったかもしれない。
ケースの底は外れ、その奥から白い封筒が出て来たのだ。
どうやら、二重底になっていたらしい。
あれだけ彼らが探し回っていた遺言状は、彼らのすぐ傍にあったのだ。自分達の存在を宮治が忘れている、自分達より他の子どもを大切にしている、そう思い込んでいた人間の目には見破る事の出来なかった、その場所に、宮治の気持ちはいつもあった。
「読んでみなさい」
晴美はそれを取り出すと、柳の方に差し出した。
白い封筒は、縁が変色していて遠い過去から途切れることなく息づいていた、宮治の娘達への愛情が、確かに存在したのだと物語っているようだ。
柳は震える手でそれを受け取ると、ゆっくりと開いた。
何十年も前に綴られた文字が、読まれるべき人に、今、読まれる。
柳は視線を何度も往復させながら、みるみるその表情を崩して行った。頑なな卑屈と寂しさを張りつかせた大人から、思い募らせた生き別れた父にようやく会えた幼い少女の頼りのないものへと。
「嘘でしょ」
柳は読み終わると遺言を握りしめ、宮治の方に振り返った。
宮治は、娘の悪戯をいなすような、父親の眼差しでただ、一つ頷く。
一気に、柳の瞳から涙が零れ落ちた。
「嘘……お父さん!」
伊太郎は慌ててその場所を開け、柳がそこに滑り込む。そして宮治の手を、両手で握りしめた。
「あ、あ……本当に忘れては……」
長年、心を凍りつかせ歪めていた寂しさが溶け出したかのように、柳の頬を涙となって伝っていた。
宮治はその手に自分の手を重ねると、娘を見上げ、感情に詰まる喉を震わせた。
「里美、重清、司、辛い思いをさせて。すまなかった」
柳が泣き崩れる。
重清と司は顔を見合わせ、同時に宮治の元に駆け寄った。
伊太郎は一歩離れた所から、そんな4人を見つめた。
よかった。長年の思いのすれ違いは解消され、ようやく家族が出逢う事が出来た。家族に恵まれなかった彼らの誰も、もう、寂しい思いをこれから先、感じずにすむ。
本当に、よかった。
心からそう思った。
その時、自分の腕が軽く引かれるのを感じ、伊太郎は振り返った。
見ると、風香だった。
風香は鼻の頭を少し赤くし、顔を伏せたまま短く、言葉を噛み切った。
「行こう。伊太郎」
「風香」
伊太郎の胸が軋んだ。
複雑なのだ。風香は。
風香にとって、宮治は家族だった。
でも、それは結局、血族の前では、施設のオーナーとその施設の子どもという繋がりでしかない。
どれほどの時を共有し、どれほどの言葉を交わし、どれほどの気持ちを注いでも、それは親族の一時に勝てない時もある。
認めるしかないのだ。この現実を。
伊太郎はいたたまれない気持で、病室を黙って出て行こうとする風香の横顔を見た。
その時だった。それまでここでは一度も聞かなかった声がした。
「もう少し待ってください。宮治さんの罪の告白は、これだけじゃないんです」
「!!」
風香と伊太郎は驚いて振り返る。
彼らを止めたその声の主、空知神父が晴美の隣に立っていた。