告白 34
風香は重清と柳を交互に睨みつけると、それまでの沈黙をとり返すように言葉のマシンガンを撃ち始めた。
「ばっかじゃないの! 自分の不幸を人のせいにばっかりしてさ。世の中、不公平にできているのなんか、常識だっつうの。それを、なに? 捨てられたから? 不細工だから? 馬鹿らしい! そうやって何かのせいにして文句垂れているのが、自分をどんどん惨めにしているのに気がつかない? 本当は、ババァも重清も、司の優しさに気がついていたんでしょ。卑屈な考えしてるから、そうなるのよ。頭冷やしなさい。司さんは、知ってて、協力してた。きっと財産だってみんなあんたらにあげるつもりだった。罪も問われるなら一人で被るつもりだった。これが、見下してる人の態度にしか見えないなら、あんた等の目の方が腐ってるのよ!それにね……」
マシンガンは止まりそうになかった。それを止めに入ったのは、やはり晴美だった。晴美は「もう、いいわ」と優しくいなすと、風香の唇にそっと人差指をあてた。
手袋越しでもうかがえるその細い指は、魔法でもかけたかのように風香の口に鍵をかけた。
そしてすぐに重清を振り返ると、目線を合わせるようにしゃがみ、固く閉じられた重清の拳を包みこむように両手で握る。
流れるようなその動きに、その場にいる者は皆、彼女に釘付けになった。もしかしたら、魔法をかけられたのは風香だけじゃないのかもしれない。
自分も、皆も、晴美の魔法にかかり、口を閉じて彼女の行動を見守らされている。伊太郎はそう感じながらも、事の行方を静観した。
その晴美は、しばらく重清の、その拳を温めるように黙って握りしめていた。が、ふと吐息を漏らすと目を細め、囁くように言葉を零した。
「もういいでしょ? 重清さん」
それは本当に短い、ありふれたフレーズだった。
でも、不思議と心の奥まで入り込み、じんわりと冷えた部分を溶かして行くような声だ。
重清の頬に涙が一筋零れた。
伊太郎は、本当に魔法を見たような錯覚を覚えた。あんなに荒ぶっていた重清の表情がみるまに静まって行く。まるで、彼の心が解されるのを目の当たりにするかの様だ。
重清の拳はやがて、ゆっくり解け、彼は力なく壁に背を預けた。
そんな柔らかな空気に、冷や水を被せるような声がした。
「何よ。あんた。他人のくせに出しゃばって」
柳だ。晴美は振り仰ぐと、立ち上がり柳を正面から見据え、目を細めた。
「そうね。他人だから、この役目は出来たのかもしれませんわね」
役目?伊太郎は首をかしげ風香を顔を見合わせる。やはり、彼らにも目的があったというのか。
晴美はそんな二人の気持ちを見透かしたように、彼らに一度頷く。
そして、宮治を一瞥してから、声をやや張り、皆にこう告げたのだった。
「昨日、私達が宮治さんのお宅にお邪魔したのは、彼が忘れてしまう前に、彼の口から直接、罪の告白を聞くためなんです」
「告白?」
柳は、まるで見当違いの答えを聞いたかの様な、妙に裏返った声で首を傾げた。それを晴美は穏やかな瞳で受け止め、頷く。
「ええ。二人の人から依頼を受けてね」
二人。誰だ?
依頼。何だ?
伊太郎は彼女の顔を見るが要と知れない。わかった事は、彼らもまた、嘘ではないのかもしれないが、本当の事を語っていなかったって事だ。
晴美は一度、宮治に視線を送る。宮治は彼女に代弁を頼むように顎を引いた。
彼女は彼の意思を汲むように、何度か小さく首を縦に振ると柳に再び視線を合わせる。
「そして、昨日、お話を伺いました。宮治さんはね、貴女や里香さんの事を忘れてなんかなかったわ」
「そんなはずは」
柳はわななく唇で零す。
信じたくて、信じたくない言葉だ。
頑なに宮治は自分を捨てたと思い込んでいた。それを恨むことでここまでやった来た。信じてしまえば、この基盤が揺らいでしまう。
でも、忘れられてなどなかった。それが事実なら……そうどこかで望んでしまう気持ちも、伊太郎には痛いほどわかる。
「信じられなくて、当然かも知れない。でも、どうして、早まったの。こんな事しなくても、あの施設は『娘』に譲るつもりだった」
「『娘』って」
柳が宮治の手を握ったままの風香を一瞥した。風香は肩を震わせ、柳を見つめ返す。
しかし、晴美が伝えたのは違う真実だった。
「本当の娘は、貴女がただけなのよ」
「……」
柳の頬に僅かに赤味がさし、風香が一瞬、なにかの痛みに耐えるような顔をした。
風香。
伊太郎は彼女に呼びかけたかったが、その先に言葉を続ける自信がなくて口を噤んだ。何と声をかけていいのかわからない。
こう言う時にも、なにか一歩足りないまだ子供の自分の手の短さに、歯がゆくなる。
そうしている間に、風香はすぐに表情を改めると、何も言わず、柳と晴美の会話の行方を再び見守り始めた。伊太郎は仕方なく、結局何も言わないまま、それに倣った。
晴美は、柳の表情が僅かながらにほぐされたのを見出したのか、彼女を包みこむような笑みを浮かべ、そしてどこに用意していたのだろう、彼女の前に黒いケースを差し出した。
「これ。今日、施設を伺ったのはこれを受け取るためなのよ」
「バイオリン」
司が目を少し見開く。そう、晴美が手にしているのはバイオリンのケースだった。そしてそのバイオリンは、たぶん、宮治が司の姉に贈った物のはずだ。
「柳さん。バイオリン。お姉さんに預けたのはね……」
その時、ぱぁっと伊太郎の思考の断片に光が当たった。まさにそんな感触に、思わず伊太郎は声を上げた。
「遺言状」