告白 33
確かに、もし、何らかの捜査が入ったら、証拠が示すのは全て司だ。もしこれで、風香殺しの容疑者に仕立て上げられていれば、完全に司が首謀者って事になってただろう。
「司さん! いいの!? このままで」
こんなの、理不尽だ。
もしかしたら、司は死んだ母親を柳に、自分の寂しさを重清に重ね、助けたいと思ったのかもしれない。
風香と同じだ。
そうやって誰かを助けることで、自分がここにいても良い、そんな実感が欲しかったのだろう。
でも、それでも、どうしても納得できない。
伊太郎は司に掴みかかった。しかし、司はやはり首を横に振った。
「いいんです。僕は……僕の母親も、確かに恵まれた人生だったわけじゃない。母もこの男のせいで深い傷を負っていた。母を捨てたこの男を恨んだのも、本当だ。母はどうかわからないけど、少なくとも、僕はね。けど」
司は宮治を一瞥してから、重清を見つめた。その目には優しさ以上の温もりが込められている。それは肉親と呼ばれるものにのみ注がれる、理屈のない類の物のように、伊太郎には思えた。
「僕はまだ幸せだったんです。父と母が事故で亡くなるまでは、ごくごく幸せだった。バイオリン……母は音大にまで行ったんですよ。父とはそこで出会ってね。おかげで僕の小さい頃はバイオリン漬けだった。苦しいと思った事もあったけど、両親を失った後、このバイオリンがあって良かったと思った。僕には愛された記憶がまだある。でも、重清と柳さんには……」
「だから、だから、手を貸したの?」
風香が独り言のように呟いた。司は力なく頷く。
「財産がどうのじゃないんだ。誰だって、親と繋がっていた証拠が欲しい。そうじゃないか? だから母親の分まで、柳さんにも、そして従兄の重清にも幸せになってほしかったんだ」
司は両親を失い、思いがけず出てきた親戚に強い想いを抱いた。そして、自分は利用されているのではと思いつつも、母親が果たせなかった父への想いを、柳にスライドさせて叶えさせてやりたい。そう思ったのだろう。
伊太郎は言葉を失くした。
自分はこんなに、人の事を考えたことなんかない。
いつだって、窓の傍で迎えを待っていた。
迎えに来ない母親を恨みかけてもいたくせに、最近はその顔を忘れつつもあった。
一人、悲しみに浸って、そんな自分を見て痛みを覚える他の連中の気持ちも考えなかった。自分に声をかけ続けてくれる風香の気持ちにすら、応えようともしなかった。
ずっと、独りよがりな哀しみに閉じこもり、その実、きっと気持ち良くなっていたのだ。
柳と一緒だったな。伊太郎はもう、誰も責める気にはなれなくて、肩を落とした。その時だった。
「お前の」
足元からの低い声。空耳かと思うほどのそれに伊太郎が目を向けた。
瞬間、大きな影が動いた。同時に心の底から絞り出されたような怒号が病室に響き渡った。
「お前のそんな所が、大っ嫌いなんだよ!」
「重清!!!」
司の悲鳴に近い声が上がる。床が蹴られる。誰かの悲鳴が上がった。
そして、重清の拳が唸りを上げ、司に向って放たれた。それは、誰の目にも確認できない動きだった。重清の拳が司をとらえる、その数瞬前、二人の間に影が割り込み、重清の手を叩き落としたのだ。
「お止しなさい」
乾いた音が鳴り、重清が勢いあまって前のめりに転倒する。
重清の拳を叩き落としたのは、それまで沈黙していた晴美だった。
「晴美さん」
風香と伊太郎は彼女を驚きの表情で見つめる。しかし、晴美は造作もないと言わんばかりの顔で、腕を組んだ。
「暴力は、駄目よ」
無様な格好に転倒した重清は、唸り声を上げると顔を赤くして振り返り、晴美の向こうの司を睨みつける。
「くそ!馬鹿にしやがって! 見下しやがって!」
床を何度か大きなその拳で殴ると、奥歯を噛みしめてから再び口を開いた。
「お前、いっつも俺の事『可哀想』って思ってたんだろ。なぁ。ちょっと綺麗な顔してるからって。大学まで出たからってさぁ。俺だって馬鹿じゃない。知ってたよ。お前が知って利用されているのもな。俺はな。お前が俺達を庇えば庇うほど、惨めな気持ちだったんだよ!」
「重清……僕は」
「俺を馬鹿にするなっ!」
愛情と同情、寄り添いと施し。その違いはほんの些細なものかもしれない。与える者、受け取る者、その両方の視線が同じ高さでないと、思いは絡まり、ねじ曲げられ、どちらも傷つける事にもなりかねない。
伊太郎は、重清の気持ちもまた、わかる気がした。それが卑屈な思い違いだとしても、それは確かにある気持ちなのだ。
「すまなかった」
司は眉をよせ項垂れる。
彼も悪気があったのではないのだ。ただ、善意が人を傷つける場合だってある。それに、彼の場合は。
やっぱり、罪なんだ。人に劣等感を与えるその容姿は。
伊太郎がそう苦笑しかけた時だった。すぐ隣の影が立ち上がり、声を上げた。
「なによ。ババァも、重清も。なんかムッカツク!」
「風香!?」
今の今まで大人しくしていた風香だった。