告白 3
風香はうるさいコバエを見るように伊太郎を睨む。
「伊太郎がつまんない事言うからでしょ?アンタ、何にも知らないくせにさ。だいたい伊太郎ってちょっとヒガミっぽいんだよね。何でもうじうじうじうじ、ウジコウジオか。うじうじ星人か。伊太郎の周りって常に梅雨って感じよね。くら〜くて湿っぽくってさ、やになっちゃうよ」
ここまではいつもの事だ。伊太郎だって子どもじゃない。聞き流せる。
しかし、この日に限っては風香は伊太郎には言ってはいけないことを口にした。
「それにもう、やめれば?窓の外見ながらママを待つのなんてさ。どうせ誰も迎えに何か来ないのよ。ここにいる人間には、本当の家族はね」
− 迎えに来ない
− 本当の家族は
瞬間、伊太郎の頭に一気に血が昇った。
「何だよ!」
椅子を蹴倒し立ち上がる。両拳を握りしめ、伊太郎は唇を噛んで驚く風香を見つめた。
「何だよ。人が黙ってればさ。お前こそ知ったような口きくなよ。俺の何を知ってるって言うんだよ。あぁ、そうさ、お前には来るあて何かないだろうな。正真正銘の捨て子なんだからな。だけどな、お前と俺を一緒にするな。俺にはちゃんと家族がいるんだ。いつか迎えに……」
「伊太郎君」
肩に誰かの手がのっているのに気が付き、伊太郎はそこでハタと我に返った。振り返ると、心配げに自分を見ている司の顔が傍にあり、施設中の冷たい視線が集まっていた。
それに気がついた時、伊太郎の頭がさっと冷えた。昇った血の気が同じ勢いで引いて行く。
こわごわ、足元の方に視線を泳がせる。泣くまい涙目で自分を睨む風香の顔があった。
「風……香?」
呼びかける。しかし、風香は一言も発さずそっぽを向いた。唇を突き出し、必死に充血した眼に溜まった涙を堪えている。
鳩尾に鋭いナイフが刺さったような痛みと呼吸の苦しさに伊太郎は黙りこんだ。
ヒリヒリとした白けた空気が伊太郎を責め立てる。
お前は、サイテーだと。
「どうかしたのかな?ちょっと、お茶でもしようか」
そんな冷たい沈黙を破ったのは、温かな声だった。
振り向く。司が穏やかな笑みのまま伊太郎に手を差し出すような眼差しを投げかけていた。
いつもは嫌いなこの視線。しかし今に限ってはそれが有難かった。
伊太郎は自分の発言に思いっきり後悔しながらも、誰の視線も自分の視界に入れないように口の中で返事した。
「柳さん、すみません。続けてください」
「え、ええ」
司に声をかけられ、本読みを中断していたババァは再び何事もなかったように、続きを読みだした。
ようやく凍った時間が動き出し、冷たい視線も伊太郎から引き抜かれていく。
「伊太郎君。こっちに」
「はい」
司に背を支えられ、だみ声を後頭部に聞きながら、伊太郎は何とも言えない後味の悪さを感じていた。
それは施設中のひんしゅくを買ったことより、たった一人の人間の涙に起因する事は、伊太郎自身、嫌になるほどわかっていた。