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告白 22

 部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ伊太郎は、どっとのしかかって来た疲労に、今度は夢も見ないほどの眠りへと引きずり込まれた。

 そんな伊太郎を起こしたのは誰でもなく、空腹だった。

 ぼんやりとした頭を抱えて身を起こす。背中とお腹がくっつきそうだっていうか、離れることあるのか?なんてくだらない事を考えながら時計を見る。

 空腹にもなるはずだ。もう昼の1時を回っていた。

 伊太郎は気だるい体を引きずり、食堂に向かった。いつものように食べ遅れの人間の食事は、トレイにラップが掛けられ棚に置かれている。今はその棚には伊太郎の分の食事しか置かれていなかった。

 これを自分でレンジで温め直し食べる。それがここでのルールだ。

 今日の昼食は豚汁にご飯。煮物に柿二切れ。いつも通りの栄養満点、ボリューム控え目のメニューだ。

 風香のトレイがなかったって事は食事はしたという事だ。

 すこし胸を撫で下ろしながら伊太郎は、温めるのが面倒で」そのまま席につき、箸を持ち上げる。

 食堂には他に誰もいない。日曜にもなると出かける奴もいるから施設は結構寂しい状態だ。

 とにかく飯を詰め込んで作戦を練ろう。

 そう勢いよくご飯を口にかきこんだ時だった。


「やぁ、君は昨日の」


「!!」


 食堂の入口から声がして伊太郎は驚き立ち上がる。

 そしてそこにいる二人に目を見開いた。

 二人は何食わぬ顔でそこにいる。二人……そう、彼らは昨日宮治の家で会った、神父と女性、その人だった。





 司は一度家に戻ってから、入院に必要なものを揃え病院に戻り、重清と交代する形で宮治に付き添っていた。

 宮治の術後の経過は特に大きな問題はなく、意識も一時的に回復したとのことで午後になってすぐに一般病棟に移されていた。

 ま、それは大方建前も含まれていて、本当は交通事故の救急搬送が数件あり、ICUのベッドを空けないといけないという事情があるらしい。

 お喋りな看護師が話しているのを耳にして司は昔を思い出し、複雑な思いでそれを胸の内に収めた。仕方のない事なのだ。

 そう、実際、世の中にはどうしようもない事ばかりだ。

 白と黒、正義と悪そんな風に割り切れないものがごまんとある。

 自分の、宮治や施設への気持ちだって……。

 意識が戻っても彼の視界に入らない場所を考慮して、司はベッドサイドに腰かけていた。まだ容態はいいとはいえない。

 ナースステーションすぐ傍の個室で、宮治はモニターと呼吸器をつけている。他にも腕と尿道には管が通されていて、その様は決して人間の体温を感じさせるものではなかった。

 貴方はこんな最期で、どうですか?

 心の中で静かに語りかける。

 すると、宮治の頬が僅かに痙攣し、唇が微かに動いた。


「!」


 司は身を強張らせ立ち上がる。宮治に顔を合わせるわけにはいかない。彼が目を開けるのなら、すぐにここから立ち去らねばいけない。

 しかし、宮治の目は開かなかった。その一方、唇からかすれた声の様な物が漏れる。

 司は耳をすませた。

 もしかしたら遺言状のありかに関する事を言うかもしれない。そんな不確かな期待を持って。

 じっと忍耐強くその声が形になるのを待つ。

 どんな小さな手がかりでもいい。どうしても自分には遺言状が必要なのだ。

 その時、ふいに宮治の指が動いた。

 それは宙をさまよいながら、何かを掴もうともがいている。

 そして、こう呟いた。


「神よ……ゆるし……」


 司は老人のその言葉に絶句した。 

今更、懺悔か?

 今更、何の告白をするつもりだ?

 今更、自分だけ助かるつもりか!?

 司は硬く目を閉じると、拳を握りしめた。

 自分の中に渦巻く感情が狂気に変わり、目の前の老人を手にかけ、これまでの日々を無駄にしないようにする、そのために。 司は前髪をかきあげると、自身を落ち着かせるために深呼吸を一つした。

 チラリと指の隙間から老人の方を見ると、意識は再び深淵に落ちたようで力なく手をたらし、声をもう発してはいない。

 モニターの音は一定のリズムを刻んでいるから、容態に変化があったわけではなさそうだ。

 司は今度は安堵の溜息をつくと、椅子に座り直した。

 ふと、さっき連絡を入れた風香の事を思い出す。 

 電話の向こうの彼女は、純粋に一般病棟へ移った事を喜んでいるようだった。

 彼女はいつだって素直で、屈託がない。

 でも、本当にそれだけなのか?

 と、司は疑っている。

 密かに、彼女が遺言状を保管しているのではないかと踏んでいるのだ。宮治にはそれを預けられる様な人物は二人しかいない。

 重清と風香だ。

 前者には心当たりが全くないというから、自然、彼女しか残らない。

 施設の方は望みは薄いと思いつつも、一応一通りは調べた。権利書は書類棚の引出しに細工されていた二重底に隠されていた。

 こういった事に頭が回るのなら、遺言状ぐらい作成されていてもおかしくはないし、あるとして、誰かに託していると考えるのが妥当だ。

 施設の顧問弁護士にもそれとなく当たったが、弁護士でもなかった。

 ないならないで構わない。一番厄介なのは、この老人の死後にひょっこり出てくる事だ。


「さて、風香ちゃんは来てくれるでしょうかね」


 司は窓の外を見た。

 紅葉も終わり、赤茶けた色に変容した水気のない葉が北風に吹かれ、枝先で揺れいていた。

 寒空はどこまでも青く澄んでいたが、その散り際を見極められずに枝にしがみつく枯葉をみる男の目は、それを屠ろうとする無情な風より冷たく、悲しみの色に染まっていた。

 ドアが音を立てる。

 何者かの来訪に、司は腰をあげて扉を開けた。


「容態は?」


 目を合わせたとたんに挨拶もなく放たれた問いに、質問者が宮治の事を心配しているのだと感じ、ようやく司はいつもの自分を取り戻し微笑みながら答えた。


「小康状態です」


「じゃ、ここは私が。司さんは」


 司は頷く。そして再び窓に目を移した。

 年老いた枯葉の姿は、もう、そこにはなった。

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