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告白 2

 嫌いとはいえ、おばさんが来ると施設内にいる子どもたちは談話室に集められる。強制ではないのだが、断るのは至難の業なのだ。

 なぜかというと……。


「あ、風香ちゃん、やっぱりここにいたんだね」


 二人は柔らかなその声に振り返った。一人は煩わしげに眉を寄せ、一人は視線を彷徨わせながら。

 その前者の伊太郎は声の主、恐怖の読書会からの使者、正しくはこの施設の保育士、司遼太を軽く睨み返した。

 司は背が高く、顔も良い。けっして濃い顔立ちではないが、優しげな印象を与える優男だ。昔、俳優だったとか、モデルだったとかの噂はあったが真実は定かではない。ただ、確かなのは……。


「はい」


 いつもは口を塞いでも話し続ける風香の口数が、彼の前だけでは激減する事だ。と、いっても、人並みになるだけの話なのだが。

 風香は視線を司の胸のあたりでうろうろさせながら、小声で続ける。


「あ、でも、たまたまなんですよ。今日から伊太郎君、ここ独りになるからさみしいかな〜って思って」


「風香ちゃんは優しいんだね」


「そんなぁ」


 伊太郎『君』だぁ?さっきまで呼び捨てにしてたくせに。

 伊太郎は豹変した風香を訝しげに見つめた。その風香は目を潤ませ柄にもなく照れ笑いしている。

 いつもだ。いつも風香は司を前にするとこうなる。そしてそれを目の当たりにする度に、伊太郎は訳もなくムカつくのだ。


「読書会、始まるから、二人でおいでね」


「は〜い」


 風香は毎度の様に調子のいい返事をして、司が他の子どもを呼びに行くのを手を振って見送る。そしてやはり毎度の様にその影が見えなくなるとすぐに、風香は溜息を盛大につきながらこう言うのだ。


「伊太郎、読書会、行くよ」


 と。あの優男に絶対服従の信者風香は、独裁者の顔となり無理やり伊太郎の腕を引っ掴む。いつものことながら伊太郎はうんざりし、やはりこれもいつものことながら悔し紛れに愚痴を風香にぶつけてみる。


「あのババァ、嫌いなんじゃないのかよ」


 効果的な反抗だなんて思っちゃいない。でも、悪態の一つも付いてやりたい所をこんな些細な愚痴で抑えてやっているのだ。

 何故なら、きっと悪態をつくのなら風香自身気づいているのかどうかも分からない、彼女の司への想いを指摘するような事になる。それだけは、なんだかしたくない気がしていたから。

 そんな複雑な伊太郎の心中をまるきり無視し、風香は唇を尖らせる。


「司さんが声をかけに来てくれたのよ!しかも、わざわざ私を探しに来て!これで行かなきゃ馬鹿でしょ。そうよ、大バカモノよ。それに、行けば、司さんのヴァイオリンも聴けるのよ。あのババァの話は置いといて、あれを聴かないのは人生の大いなる損失よ」


 『私を』?いつから風香だけを奴が探し回ってた事になったんだ?耳にご都合変換機がついてるのは、風香の方じゃないのか?

 三倍返しの反撃に伊太郎はそう思ったが、言った所で今度は五倍返しにあうはずだ。

 そして結局今週も、伊太郎は聞きたくもない読書会へ『風香』に付き合う事はめになった。



 読書会にはほぼ施設の人間全員が集められる。ババァの話を聞きたいというより、誰もが司のあの呼びかけを断れないからだ。

 伊太郎は一番後ろの椅子に、ここから一歩も前に出てやるものかとしがみつきながら、次々に子どもや職員達を集める司をチラリと見た。

 不思議な男だと思う。口調も態度もいたって柔らかいのに、この施設で奴に逆らえる人間は一人もいない。反抗しても、優しくくるまれ、気がつけば奴のペースで話が進み、結局は奴のいいなりになってしまう。それでいて、たいていの人間はそれで不快にはならない。

 まぁ、伊太郎自身は彼からなにかを頼まれる事はこの読書会への誘いくらいで、普段は特にはないのだが。それにしても伊太郎はなんだかそういった奴の隠れた押しの強さが気に食わなかった。


「司さんって、ボランティアにも理解あるのよね〜」


 酔っぱらいのような顔と口調で、風香が司に見とれながら独り言のように呟いた。確かに、読書会だけでなく、司は地域との交流も大切だからとボランティアの受け入れはもちろん、自身も入所者と一緒に清掃活動などの活動をしたり、募金活動を行ったりしている。だからどうした、とも思うが。


 読書会が始まった。

 ババァのだみ声が会場に響き始め、伊太郎はうんざりとした気分になって、背もたれにぞんざいにもたれかかった。

 今日の本はもうこれで聞くのは10度目になるダチョウが片足になる奴だった。ちなみに、自己犠牲的な内容のこの話は伊太郎の中でベスト5に入るほど嫌いな話だ。

 そんな隣で風香が、部屋から出ていく司の方を見つめていた。

 風香が溜息混じりの声でまた呟く。


「かっこよくて、優しくて、音楽が出来て、理解者で……非の打ちどころもないわよね〜」


 伊太郎はなんだか悔しくなって言い返してみた。


「案外馬鹿かもよ」


「司さん、帝都大出身よ」


「女にだらしないかも」


「仕事が忙しくて彼女いないって」


「ギャンブラーだったり」


「ご両親に毎月仕送りしてるらしいよ」


「酒乱とか」


「お酒は飲めないんですって」


「お前はマニアか!」


 伊太郎は、すぐに打ち返してくる卓球のラリーの様な風香の淀みない返答に思わず音を上げた。

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