告白 16
深夜の街を抜け、タクシーで着いたのは町で一番大きな総合病院だった。元々の通院先もここで、救急で運ばれた先が同じなのはこのご時世だと運のいい方だと司は話してくれた。
病院についてすぐに三人はオペ室の傍にある家族用の待機室に向かった。今は重清が詰めているとの事だ。
ふと、伊太郎は他に家族がいないのだろうかと思ったが、それを口に出すのは憚られた。
半身麻痺になっても、他人の風香や重清が面倒を見るような状況なのだ。子どもはいないと聞く。他の親類とも宮治は縁が薄いのかもしれない。
冷たい廊下に、非常口を示す緑色の光がポツンポツンと伸びていた。夜の病院と言っても薄気味悪いとは思わないが、隣をゆく風香のその表情は気になって仕方なかった。
部屋の前で笑顔を少し見せた彼女だったが、やはりその顔にいつもの生気はない。タクシーの中も、ここについてからもずっとその口は真一文字に結ばれたままだ。きっと、何かを言い出せば、溢れてくる不安のように言葉が止まらなくなるのだろうな。そんな気配が降り出す前の雨雲の様な彼女の表情から見て取れた。
もう、泣くなよ。頼むから。
伊太郎は心の中で呟くと、前を行く司の背中を見つめながら、彼がタクシーのなかで答えてくれたいくつかの事を整理した。
状況で確かなのは、宮治が意識を失くし倒れ、客がいなくなっていた。その事だ。
この二人とはまだ連絡を取れていないらしいから、彼らがいつあの家を後にしたのかはわからない。
まぁ、宮治の様態の方が優先になるのは納得できたし、今回運ばれたのは脳内出血によるもの。別に外傷性じゃない限りは、簡単には事件性なんて考えられない。
前回が脳梗塞で、今回は脳出血か。
伊太郎は自分の中にある知識の引き出しをかき回す。
確か、似ているようで全く違った病気の筈だ。簡単に言えば前者は何かが血管に詰まりその領域野が虚血に陥って障害をきたす。一方後者は、血管が損傷し、文字通り出血し障害を起こすものだ。
ただ、関連はなくもない。宮治はもしかしたら高血圧だったのかもしれないな。前回の梗塞がアテローム型、つまり動脈硬化によるものなら、血管がもろく出血しやすい状態だったのかもしれない。
ま、詳しくは分からないけど。どちらにしろ、風香が疑うようにお客の二人になにか過失があるとは考えにくい。
伊太郎は肩をすくめると、ようやく少し明るい場所を目にして少しほっとした。この先がオペ室と示すような銀色の扉の隣のドアの前で司が立ち止まる。
ノックすると、少々間が空き、遅いテンポの間延びした返事が返ってきた。
重清の声だった。
「今晩は。ご苦労さまです」
部屋は六畳ほどで、仮眠が取れそうなソファが二脚と古い形のテレビしか置かれていなかった。窓はブラインドを下ろされ、外の景色までは分からない。
重清はそのソファの一つで仮眠中だったらしく、右手のそれには病院のものだろうか、薄い毛布がくしゃくしゃに置かれていた。
出て来た重清は、無精ひげを生やし、よれよれのシャツを着ていた。まさに着のみ着のままといった体だ。大きな平べったい顔に小さな目。やや黒ずんだ肌。熊の様な……そんな比喩は彼の為にあるように感じられた。
「ど、ど、ど」
重清は緊張すると吃音になる。話し始めも大抵そうなんだそうだ。何度か施設で見た時も、彼はどもっていて伊太郎は彼とまともに話した覚えはない。
大きな節くれた手で、重清は困ったようにその短く刈り込まれた頭を何度もガシガシと撫でまわした。
司はそんな重清に微笑むと、差し入れなのだろう、施設から持ってきていた紙袋を差し出した。
「シスターからの差し入れです。すみません、突然押し掛けて」
「い、い、いや。いい。座れ」
重清は差し出された紙袋をひったくるように受け取ると、すぐに俯き背を向けた。怒っているのか?と伊太郎は司の方を見るが。司は微笑んで首を横に振るだけだ。
きっと、これがいつもの重清なのだろう。
三人は、毛布をその武骨な手で丁寧に畳む重清の向かいにあるソファに、並んで座った。
重清の人みしりは重症なのだと風香が話していたのを思い出した。子どもの頃からの吃音でよくいじめにもあっていた。施設でも馴染むことはなく、一人で過ごす事がほとんど。誰かと一緒なのは教会に通う時くらいだそうだ。
そんな重清に里親どころか、年齢に達しても就職先が簡単に見つかるはずはなく、宮治が引き取るような形でその家に住みこむようになったという。
風香が8つの時に重清は18だったというから、ちょうど年齢は司と同じ25という事になるが、見た目はそれよりずっと上に見えた。
もし、重清を知らない人間が見れば、彼に中学生の子どもがいると言っても信じるだろう。
売れっ子モデルの様な司に、冬眠から目覚めたばかりの熊の様な重清。
同じ人種にはやっぱり見えないな。
司と重清を見比べ、伊太郎はぼんやりそんな事を考えた。