告白 12
養護施設の仕事と一口に言っても、それは多岐にわたる。ここのように運営状況が決して良いとは言えないん施設では、職員が二役も三役もこなさねばならない事もある。
ここの職員は司を除くそのほとんどがシスターだった。なので、彼女達は教会の方の仕事もある。宮治が以前やっていた経理などの事務は、いつの間にか司の役目になっていた。
司はキーボードを打つ手を止めて、少々疲れた目をいたわるように目頭を人差指と親指の腹で揉んだ。
紅茶でも入れて少し休憩しようか、腰を上げかけ外を見る。
L字型のこの建物の南側にある部屋は、皆、窓から中庭が臨めるようになっていた。
小さく開けた窓の隙間から子ども達のあどけない声が聞こえ、司は目を細める。
自分が彼らの様な年の頃はあぁやって無邪気に遊んだ事がなかった。毎日毎日、彼の傍らにあったのは。
視線を足元に移す。
そこにはバイオリンのケース。黒いその曲線は見慣れたもので、これとの付き合いはきっと何よりも長い。
「今日は歌わせてやれなかったな」
週に一度だけの演奏会。バイオリンを手にするのはもう、その時だけと決めていた。忙しいのもあるし、それ以上にこの黒い塊には複雑な想いがあったからだ。
司は小さく嘆息し、今度こそ立ち上がった時だった。
事務室のドアが自分を呼んだ。
司は首を巡らせ声をかけると、伊太郎の声がした。
あれ?今日は宮治の所にやったはずだが?
さっきストレスを爆発させた少年のを思い出す。伊太郎が少々特別な事情を抱えている事は知っていた。だから、他の子どもより気にはしていたし、今日はあえて宮治の所にやったのに。
「どうぞ」
「失礼します」
開けられたドアの向こうには風香もいた。
司は首をかしげ時計を見る。まだ五時前。いつもより二時間は早い帰宅だ。
「あ、一応言ったんです。宮治さんのところ」
伊太郎が司の視線に気が付きそう説明した。
司はこの少年がもともと聡い子だというのは知っていた。よく、頭が回る。それゆえの苦悩もあるのだろうが、今は彼のその観察力と理解力が司には必要だった。
「そうですか。とりあえず、お疲れ様。おかえりなさい。僕も今、休憩しようと思っていたところなんです。芸がありませんが、よかったら向こうでお茶でもしませんか?」
「はい!」
伊太郎の代わりに元気に返事したのは風香の方だ。司は口元に笑みをこぼすと、二人を事務所の隅にある職員の休憩用のソファに座るように促した。
二人はそそくさとそこに腰かける。
伊太郎の表情はいつも以上に固く、風香の頬もいつもより赤かった。
何かあったんだな。
司はそう察すると、それ以上の詮索は先入観になると自制し、紅茶を入れに二人の元を離れた。
司の入れた紅茶は少々甘めのミルクティーだ。風香はこれが好きなのだが、伊太郎も文句言わずに口をつけていたので、さっきだしたストレートの紅茶よりはこちらの方が良かったかな?と司は考えながら自分のカップに口をつけた。
二人は交互に口を開き、彼らが宮治の家であった客について、そして宮治の様子について語ってくれた。
風香は少々感情的に、伊太郎は少々皮肉っぽくではあるが、二人とも事実をなるべく正確に司に伝えようとしている努力は窺われる口調だった。
二人の話を聞いた、司はしばし押し黙った。
宮治の家に訪問者。しかも人払いまでする内容か。
内容が何なのかと推測を巡らせる。伊太郎の見立てでは運営の話ではないかと言うが、宮治をオーナーと呼んでいただけではその確証は持てない。ただ、宮治がまだこの施設のオーナーであることを知る人間もそう多くないのは事実だ。
やはり、伊太郎を一緒に行かせて正解だったな。
司は紅茶に口をつける伊太郎をそっと見た。
彼の特別な事情は、彼に浅からぬ影を落としている。もしかしたら、宮治に関わることで、それが払われるかもしれない。もちろん、より深まる危険性も同じくらいあるのだけれど。
「どう、思います?空知神父なんて聞いたことありますか?」
心配しているのだろう。風香が身を乗り出して助けを求めるように司に詰め寄った。彼女は宮治の『娘』の様なものだ。心配して当然か。
「名前は。お会いした事はありませんが、教会の関係者の名簿にはいつもありますよ。こちらについてはシスターの方がお詳しいでしょうけど。そうですね、確かに、少々心配ではありますね」
「でしょ!特に、晴美って女。胡散臭くて。施設何かに入れたくない感じ。あんなの来たら風紀が乱れるっての」
いつもより口数が多いのは、よほどその女性が気に食わなかったのだろう。伊太郎がその女性をみてぼんやりでもしたのかな?
断言する風香と、彼女を呆れ顔で見つめる伊太郎を、素直な事は美徳だな、と彼らを司は交互に見比べた。
微笑ましい二人だと、いつも思う。
「いいでしょ。今日の帰り、シスターと宮治さんのお宅に伺ってみます。運営にかかわる事なら知っておきたいですし、少なくともそのカウンセラーさんの事は耳にぐらい入れておきたいですからね」
「こちらにはそういった連絡は」
「まだ」
伊太郎の視線に応えてやる。伊太郎は司の答えにまた、思案を巡らせ始めたようだ。
彼は、使える。今後も関わってもらおう。
司はそう判断すると、会話を切り上げる事にした。
「貴重なお話ありがとう。じゃ、僕はそろそろ仕事の続きにもどりますね。君たちはもうすぐ夕飯の時間じゃないかな」
「あ、そうですね。お邪魔しました」
伊太郎が頭を下げ、風香もそれに倣う。
三人が席を立つとちょうど夕食の匂いが漂ってきた。今日は、焼き魚と味噌汁だったな。食べられないのが残念だ。
司はそう思いながら、カップを盆の上に片付けた。