60.王女と護衛騎士
「さて、改めまして。ヘレナ・エルキャストです。こちらは私の護衛騎士のアマンダ」
「アマンダ・アンドラドと申します。ヘレナ様の護衛を務めさせて頂いております」
紹介されたアマンダは鮮やかな動作で一礼した。彼女は白を基調とした清楚な服装の淑女といった佇まいだ。だが、笑みを浮かべながらもステルとリリカを射貫く目線は王女の護衛としてのものである。ステルは彼女がかなりの達人だと推測した。
「えっと、僕らは……」
「お会いしたかったです。ステルさんと、リリカ・スワチカさん」
「わたし達のことをご存じなんですか?」
改めて、同じ問答を繰り返した。魔剣強奪事件は確かに大事だが、そういった荒事とは無縁に見える王女が知っているのは、意外と言えば意外だ。
「勿論。先だって起きたクリスティン・アークサイドによる古代の魔剣強奪事件を解決に導いた立役者だと聞いております」
「よくご存じなんですね」
「王家ですから。そういった情報は入ってくるのです。時にはそれが身を守ることにも繋がりますので」
ヘレナの発言をフォローするようにアマンダが微笑みながら言う。
なるほど、出歩くことの多い王族ならば、その手の情報は必要だろう。ステルもリリカも納得したように頷く。
「それで、僕達を呼び出した理由っていうのは何でしょうか?」
「明後日からの護衛及び市内見学の確認と、顔合わせです。まあ、どちらかというと後者が目的ですね」
「アコーラ市が用意してくれた日程は良く出来ていましたから」
「確かに、急な話だったそうですけれど、頑張った内容でしたね」
ステル達に手渡された王女の日程は、急なことだと言うのに、よくぞここまでというくらい見事に人員の配置やスケジュールが決められて、読むだけでアコーラ市の意気込みが伝わって来るようだった。
「それだけ治安回復に躍起なのです。姫様も趣味に走りすぎないでくださいね」
「大丈夫ですよ。私を信じなさい」
「趣味?」
その言葉に、自然と片づけられた本の山を見てしまうステル。
「えっと、それは後ほど……ということで。先にお仕事の話をしてしまいましょう。アマンダ」
ヘレナ王女が目をそらしながらそう言うと、アマンダが日程表を取り出して仕事の話を始めた。
「はい。行程は二日間。そのうち、日中の施設見学などに同行して頂くことになっております」
「夜のパーティーなんかに僕は行かなくていいんですね?」
「はい。そちらは会場の警備もありますし。ずっとステル様を働かせるわけにもいきませんから」
たしかに、昼夜問わず護衛していれば休む暇もない。その辺りの気遣いまでしてくれているのは有り難い。
「スケジュールの中でも、神遺魔導研究所を楽しみにしております」
「凄い名前の研究所ですよね」
魔導具に関する話題が出て、ステルが身を乗り出すように反応した。
神遺という聞き慣れない言葉が、とても気になっていたのだ。
「おや、ステル様はご存じ無いのですか。この研究所は……」
「アマンダ……」
言葉を遮ったヘレナは、そっと人差し指を立てて口元に当てた。
「せっかくですから、ステルさんには研究所で現場を見て驚いて貰いましょう」
「姫様、あまりお戯れは……」
「一人くらい、驚く人がいた方が面白いでしょう。それに護衛の内容に差し支えるようなことではないでしょう?」
悪戯っぽくそう微笑む王女。その場に可憐な花が咲いたかような笑顔にはついつい従ってしまいたくなる抗いがたい魅力があった。
「……まあ、確かにそうですが」
そんなわけで、護衛騎士は王女の笑顔にあっさり陥落したのであった。
「あの、ステル君。意外とものを知らないことがあるから、驚いてくれないかもしれません……」
横から遠慮がちにリリカがそんなことを言う。
「む……確かに都会じゃ知らないことの方が多いですけれど」
ちょっと失礼な感じの言い方だ。いや、間違ってはいないのだが。
「あ、ステル君、怒った?」
「……いや、確かにそうかも」
申し訳なさそうに言ったリリカの言葉を渋々肯定する。
確かに否定できない。特に研究施設なんて誰かの解説が必要なものの方が多いだろう。王女の思うとおりの反応ができるかはかなり怪しい。
当の王女はといえば、二人のやりとりを楽しそうに眺めていた。
「では、それも含めて現場でのお楽しみということで。しかし、お二人はとても仲が良いのですね?」
「はい。リリカさんは僕がアコーラ市に来て出来た最初の友達です」
「そ、そんなところです」
ステルの言葉に続いたリリカは何故か少し嬉しそうだった。
その様子を見てか、横でお茶を飲んでいたアマンダが笑みを深めた。
「おや、それはそれは。良いことです。しかし、この話題も後回しにして、打ち合わせを続けましょう」
その後、しばらくスケジュール確認が続いた。
向かう先は魔導具の研究施設の他には、中央公園、王立学院や孤児院などだ。
ステルはずっと一緒だが、リリカは離れる時間もある。
場所も経路も市から指定。詳細な地図もあり、兵士もしっかり配置されている。
ステルの見た感じ、十分に王女は危険から遠ざけられているという印象だ。
「この資料以外にも警備は配置されているそうですね」
「はい。そう聞いています。冒険者協会も協力しています」
アマンダに聞かれて、疑問を肯定する。ここに来る前、ラウリがステル以外の『見えざる刃』を動かすと言っていた。念には念を入れて、ということだろう。
「アコーラ市の兵士と冒険者は優秀だと聞いております。安心ですね」
「が、頑張ります……」
「姫様、その言い方だとステル様が負担に思ってしまいますよ」
「あら、そうなのですか? 本心から言ったのですが」
怪訝な顔をするヘレナ。流石に王族から期待されると、緊張してしまうステルである。
「ステル君、あんまり気負っちゃ駄目よ。警備とか護衛とか他にも沢山人はいるんだから」
「う、うん……」
「でも、一番近くで護衛してくださるのはステルさんですね」
「う…………」
偉い人と会うくらいなら良いけど、やっぱりこれは責任が重すぎるよ、ラウリさん……。
心の中でラウリに苦情を言うステルだった。
「だから姫様……。まあ私もおりますし、大丈夫ですよ。それに、アコーラ市の治安は回復傾向にあると言いますし、問題はありません」
「何かあってもアマンダと、あの剣姫を打ち倒したというステルさんがいるから安心です」
にっこりと笑みながらヘレナは追撃の言葉を告げた。
「が、頑張ります」
ステルとしてはそう答えるしかない。
横でリリカが「がんばれー」という感じで笑っている。出来ることならこの負担を分けてあげたい。アコーラ市に来て、初めて味わう気持ちだ。
「アマンダ、他に気になるところは?」
「特には。先ほども申しました通り、アコーラ市は良い仕事をしてくれていますので」
「わかりました。……では、本題に入りましょう」
「本題……?」
「ですか……?」
ステルとリリカが疑問符を浮かべると、ヘレナ王女は眼鏡を取り出して身につけた。
「ステルさん、リリカさん。お二人が関わった魔剣強奪事件について、是非とも私に事の子細を話して欲しいのです。そう、適時私の質問に答えながら」
「えっと、あのー……」
「それはどういうことでしょうか?」
困惑するステルとリリカ。別に話す分には良いが、これまでと雰囲気を一変させた王女に戸惑うばかりだ。
横からお茶の追加を淹れながら、アマンダが申し訳なさそうに告げる。
「申し訳ありません。第三王女とはいえ、姫様も王族。自由が効かぬ身なのです。その中で見つけた趣味が、冒険譚の収集でして」
「胸躍る冒険や事件の話を聞くのが何よりの楽しみなのです。私では経験することのできないお話を、是非」
「な、なるほど……」
「なによステル君、こっちを見て」
「いえ、なんでも」
リリカも少し前まで同じような感じだった。お金持ちにはこういう人が多いのだろうか。
「あの、僕は話をするのがあんまり上手くないので、リリカさんにも手伝って欲しいんだけど」
「いいわよ。わたしだって無関係じゃないしね」
二人のやりとりを見て、ヘレナはこれまでで一番顔を明るくした。
「まあまあ! やはり情報通りですわね! 若き新人冒険者と王立学院の天才学生があの剣姫を打ち倒す! 胸が高鳴ります! うへへ……」
「姫様、『うへへ』はおやめくださいと何度も言っているでしょう」
「ごめんなさい。……見苦しい所をお見せしました。秘密は守りますのでご安心を、紙にも残しません。記憶力には自信がありますので」
アマンダにたしなめられた王女は素直に頭を下げた後、胸を張って言い切った。
「このように代々継承したエルフの血を存分に趣味に使っているのです」
「はあ……」
ステル達はまともな反応を返すことすら放棄していた。もうこうなれば、状況に流されるしかない。
「えっと、それじゃあ、どこから話せば……。やっぱり最初から?」
「長くなるわね」
「む。長くなるのですね。では、その前に……」
アマンダが、どこかから高そうな手帳とペンを取り出して、リリカの前に置いた。
「リリカ・スワチカ様。是非ともここにサインを頂きたいのですが」
「はい?」
「アマンダは、家の事情で私の護衛騎士をやっておりますが、元々は学者志望でしたの。リリカさんのことは、二年前に論文を知って以来、注目していたのです」
ヘレナ王女がそう教えてくれると、アマンダがリリカに向かって身を乗り出した。
「十三歳であれだけの論文を記す知恵と知識、何より好奇心と探求力。貴方のような天才のいる時代にいるだけで光栄です」
「う……天才って……」
リリカが引いていた。戸惑っている、非常に珍しい顔だった。
「リリカ様の研究発表をいつも楽しみにしています。このような身の上なので、直接会うこともできず、こんな機会は二度と無いと思い……」
アマンダは真剣な目で、真っ直ぐにリリカを見ていた。
自分より大分年若い学生に対する彼女の尊敬の念は本物だ。少なくとも、ステルにはそう思えた。
「アマンダは私のために不自由な思いをさせているのです。お願いできませんでしょうか」
王族までお願いしてきた。これにはリリカも折れるしか無い。
突然のことの緊張と照れで、顔を赤くしながらも、彼女はメモとペンを取りながら遠慮がちに言う。
「サ、サインなんて書いたことないんですけど。……こんな感じでいいですか?」
手帳のページを開き、さらさらとちょっと丸っこいながらも綺麗な文字を書く。
「あ、できれば何か一言付け加えて貰えると嬉しいです」
アマンダはちゃっかりそんな要求をしてきた。抜け目の無い人である。
「じゃあ、これで……」
リリカは空いた場所に『わたしは天才じゃない。先人の叡智に続いているだけ』と書き加えた。
そういえば、リリカさんは自分を天才って言わないな。
状況を見守るステルは、何となくそんなことを思う。飛び級までしている優秀な学生だ。アマンダの言うとおり天才扱いされてもおかしくないのだろう。
だが、それをあえて否定する辺り、リリカなりの理由があるのだろう。
アマンダに手帳を返しながら、ちょっと強めの口調でリリカが言う。
「あの、嬉しいですけど、天才って呼ぶのはやめてください。わたしなんかより凄い人はいっぱいいますから」
「魔導学科で飛び級までしているリリカ様でもそう思うのですね。承知致しました。その謙虚なところも素敵です。ぐへへ……」
ここに来てアマンダが凄い顔をした。こう、欲望が漏れ出ている感じだ。
そこをすかさずヘレナがたしなめる。
「アマンダ。『ぐへへ』はやめなさいと言ったじゃない。ほら、二人ともびっくりしている」
王女に言われて、護衛騎士の顔に戻ったアマンダが頭を下げる。
「失礼しました。ありがとうございます。リリカ様、何か困ったことがあれば頼ってくださいね」
「あ、はい……」
思いもよらない展開に目が点のリリカである。ちなみにリリカに会ったばかりの頃のステルもたまにこういう顔をしていた。
アマンダが大切そうに手帳をしまうと、待ってましたとばかりに王女が両手を合わせた。
「それでは、今度こそ私の趣味に付き合ってくださいね?」
その溌剌とした笑顔には逆らえない。
その後、たっぷり三時間、二人は魔剣強奪事件について話すことになった。
○○○
「つ、疲れた……。こんなに話したのは初めてかも……」
「お疲れ、凄かったわね、ヘレナ様。次々と質問して」
王女の滞在先を出た頃には、日が暮れかけていた。
夕焼け空のアコーラ市内を二人は疲れた足取りで歩く。
「ありがとう、リリカさんが色々と覚えててくれて助かったよ」
ヘレナ王女の質問は的確で、執拗だった。きっと、ステルでは答えきれなかっただろう。
「いいのよ、あれくらい。ねぇ、ステル君…………」
疲れた笑みを浮かべた後、リリカが、振り返って先ほどまでいた建物を見た。
きっとその中にいる二人を思い返しているのだろう。
ヘレナ王女とアマンダ。二人とも、ステル達の話にいちいち歓声をあげたり身もだえしたりと、あれはなかなか凄い光景だった。
「この国、大丈夫なの?」
真剣な顔で、リリカが問いかけてきた。
もっともな質問だ。
「いや、あの人達、政治的な権力はもう無いから。多分、大丈夫……」
そう答えるのが精一杯だった。




