ようこそノーヴ古物店へ
初めての小説投稿、ドキドキします。
『真実とは神の名である。それは恐らく、ヒトの生きる今日と同じ成分でできていた』
――王都の中央を走る大通りを抜けてからしばらく歩いた場所に、その家はあった。
その外観に大きな特徴は無く、おおよそ両隣に立ち並ぶ家々と変わらない物であった。二階建ての、レンガ造りの家である。
そんなごく一般的な家の前に、なぜ自分が所在なさげに突っ立っているのか。それには一つの理由があるのだった。
話は昨日にまで遡ることになる。
――俺の名前はトーマス。トーマス・アルクラフト。王都の片隅にひっそりと居を構える、知る人ぞ知る古物店『ノーヴ古物店』で働いているしがない一従業員だ。
何もないこと以外何もない――という未曽有のド田舎から王都に出稼ぎに来ておおよそ三年近く。ようやく一端のアンティーク屋を名乗るにたる経験を得るに至った俺は、今日も今日とて勤労に勤しんでいた。
その日はまたまた俺一人で、店内清掃・金銭管理・商品整理と雑務をこなしながら店内で一人店番をしていた。
この古物店の店主である初老の彼は、またぞろ珍しい品を売却したいという顧客のもとへと出かけて行ったため、俺は普段からあまり客足の多くない店で店番をしていたのである。
「……まぁ信頼されてるって思えば悪い気はしないけどさ、暇なのはどうにもなんないよなぁ……」
カウンターに肘をつき、そんな風にぼやきながら俺はぼそりと溢した。実際、今日やるべきことはもう一通り終わらせて、あとは店長の帰りを待つだけなのだが、何もしていない時間というのは何故か異常なほどに長く感じるもので、俺はどうしようもなく暇を持て余していた。
――俺がふと何の気なしに店の前の郵便受けを覗き見たのは、そんな退屈な時間に嫌気がさした頃であった。何か目的があったわけでも、手紙を送ってくる誰かに心当たりがあったわけでもない。本当に、何も考えずに俺は郵便受けを開け、中を覗き込んだのだ。
そこに入っていたのは、一通の手紙であった。
――手紙と言っても、それはぱっと見ただの紙切れにしか見えない。実際の所きっとそれは手紙を書くための紙ではないのだろう。薄い紙切れの片面に、恐らくこの手紙(と思わしき紙片)を書いたであろう人物の名前が書いていなければ、俺はこれを手紙だとは思わなかった。
「――差出人は……」
書かれた文字を見るに、おそらく相当幼い子供がこれを書いたのだろう。それはところどころに見られるスペルミスや書き間違いから推測できる。
読みづらくはあったが、判読できないほどではない。
「差出人は、エミリー……ローザ――女の子、か?」
普段ならこの時点で俺は誰かが仕組んだいたずらではないかと疑い、一笑に伏しながら元のポストに手紙をそっと戻すのだが、続けて読んだ本文の内容に俺は疑念よりも前に興味を引かれた。
書いてある内容はひどく短く、しかしながら何度も書き直したかのような消し痕が残っている。そこに書いてあったのはただ一言。
『てんごくへのちずをうってください』。
その後しばらくして店長が帰ってきた。どうにも今日はあまり振るわない結果だったようで、少しばかり機嫌が悪いように見える。
俺は最大限機嫌を損ねないように気を付けながら店長に聞いてみた。
「あ、あのー、店長。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが……?」
そんな俺の様子に何を思ったか、ため息をつきながらも店長が答える。
「君にそんなにへりくだった態度をとられると逆に気持ち悪くなるからその態度はやめなさい。聞きたいことがあるならハッキリ聞きたまえ」
「……すいません、分かりました。なら、ストレートに聞きます。――店長、エミリー・ローザって名前に聞き覚えあります?」
すると店長は普段全く崩れない穏やかな表情を僅かに歪めて言った。
――珍しい様子だ。
「君の口からその名前が出てくるとはね――その名前をどこで知っのかい?」
「あー、その、えっと……」
――暇だったからとポストを開けた挙句、中の手紙まで勝手に持ち出し読んだ、とはなんとなく言いづらかった。ただ、ここで誤魔化しても話が進まない。俺は意を決し店長に手紙の事を話した。
「――あの子からの手紙、か」
話を聞きながら、俺が先ほど手渡した手紙を読む店長だが、その表情から感情を読み取ることができない。複雑な様子だった。
「……あの、すいませんでした、勝手に手紙読んじゃって。たぶんそれ、店長宛の手紙ですよね」
俺の謝罪を聞いた店長はため息をついた。
「これで店番も適当だったら文句の一つでも言えたかもしれないんだがね、仕事をきちんとこなしているのなら私から言うべきは一つだ。次からは気を付けよう」
「……はい」
「……それで、エミリー・ローザという名前に聞き覚えがるあるか、だったかな」
そう言うと店長は姿勢を軽く正しつつこちらに向き直る。
その顔には、普段から店長と接している人でなければ分からないほどに小さな後悔の念が見て取れた。
「あぁ、知ってるよ。エミリー・ローザ――いや、旧姓エミリー・へミングス。この店のお得意さんだった三番街のエレナ・へミングスの一人娘だった娘だ」
「――なるほど、やっぱり店長の知り合いだったか。……って、旧姓?じゃあ――そのお得意さんのエレナって人は離婚した、ってことですか?」
「いや、そうじゃない。私の知るエレナ嬢は優しく穏やかな女性だったとも。彼女の夫とも会ったことがあるが、気立ての好い人だった」
「離婚していないのに旧姓――じゃあもうエミリーって子が結婚してたり」
呆れたように、なにか暗いものを吐き捨てるように店長は返す。
「少しばかり物事をいい方に考えたがるのは昔からの君の美点であり短所でもある。不正解だ。それにエミリー嬢はまだ十二歳だよ」
離婚でも、結婚でもない。そうなると答えは――。
「……亡くなってる、ってことですか」
俺の言葉に、店長の表情が少しばかり曇る。そんな表情をする店長はなかなか見れない。そしてそのまま店長は口を開いた。
「……あぁ。半年前の馬車での事故に巻き込まれてしまってね。――惜しい人を亡くしたものだよ」
そこまで聞いたあたりで俺は、ついさっきまでただ「興味深い手紙」としか思っていなかったこの手紙に底知れない不穏さを感じ始めていた。それと同時に軽い後悔を覚え始まてしまった。この件は興味本位で立ち入るには重すぎるのではないか、と。
「――一つ、頼まれてくれないか」
「なんですか?」
店長の呼びかけに、思考の渦に陥っていた意識を揺り戻す。
……この人が俺に頼み事――それも俺に対して意思確認をしてくる。普段の店長なら今日のように「店番しておいてくれ」の一言を置いてどこかへ勝手に行ってしまうような有無を言わせぬ物言いをするものだが。……つまりこれは、店長にとってそれほどまでに「不本意」な頼み事、であるのが推測できる。
「エミリー嬢は両親を失ってからは母方の親戚に預けられているんだ。頼みというのは、君に彼女の、エミリーの様子を見に行ってもらいたい」
「店長が行けばいいんじゃないですか?」
「確かにその方が本当はいいかもしれないんだが……」
「何か行きづらい理由でも?」
俺がそう言うと店長はどこかバツが悪そうに言う。
「……エミリー嬢と私が最後に顔を合わせたのは今から十年も前の話だ。彼女はもう私の顔を覚えていないだろう。――後は、察してくれ」
「……なるほど」
店長は自分の背格好が子供受けしないと思っているようだ。確かに全身黒ずくめのご老人の姿はお世辞にも子供受けがいいとは言えない。だが――。
「……気にしてたんですね」
「……言わないでくれ」
正直に言うと俺は返答に困っていた。この手紙を取り巻く現状が限りなく重いのだ。本来完全な部外者である筈の俺が訳知り顔で気安く入り込んでいい問題ではないだろう。いつもならば絶対にしないであろう店長からの「頼み事」であることを考慮しても首を突っ込むべきではないと俺の中の冷静な部分が告げている。
「……あの手紙の内容の事もある。―――――頼む」
――あぁ。やっぱり俺って損な奴。
――という紆余曲折会って今に至る。
どうしてあそこで俺は頷いてしまったのか、今になってもよく分からない。ただ、俺の中の感情的な部分はどうやら後悔していないようである。
「店長の言ってた家って……これ、だよな」
仕事帰りの俺は今一軒の家の前にいた。店長が言うには、今エミリー・ローザはこの家に引き取られている、らしい。
「見た感じは……普通だな」
家の見た目はパッと見るに王都においては一般的な一軒家だ。
表に表札の一つでもなかったらそれこそどれが彼女の家なのか分からなかっただろう。
意志薄弱な俺は数分間程家の前をうろついた後、ようやく玄関の呼び鈴にに手を伸ばした。
カラン、コロンと、呼び鈴を鳴らして、扉の前で待つこと数十秒。
扉を開けて出てきたのは一人の女の子であった。
彼女は腰まで伸びた長い金髪を揺らし、半開きの扉の陰から訝しげな眼で俺を見ながら口を開いた。
「――お兄さん……だれです、か?」
マスターの話通り、年の程は一目見た程度では十代に差し掛かったかと思わされる。その服装などはいたって普通に見えるのだが、纏う雰囲気はどこか浮世離れしている。俺はどうにか彼女の警戒を解くために、目線を合わせるように彼女の前にしゃがみ込んだ。
「……えっと、俺はアンティーク屋『ノーヴ古物商』――あー、ここから少し歩いたところにあるお店の名前なんだけど、知ってるかな?そこから来たんだ」
俺がそう言った瞬間、彼女の表情が一変する。先程まで警戒心を隠そうともしていないような表情をしていた彼女の顔が、今は目を輝かせているように感じさせる表所に変わっていた。
「ノーヴ古物店……お兄さん、もしかしてお手紙、読んでくれた人?」
「そうそう――やっぱり君が手紙をポストに置いて行った娘だったか。――俺の名前はトーマス。トーマス・アルクラフト。君の名前を教えてもらえるかな?」
俺がそう聞くと、彼女は恐る恐る扉を押し開きながら答える。
「……エミリーです。エミリー・へミングス。どうぞ、お入りください」
彼女の警戒心は未だこちらに向いているものの、とりあえず家の中に案内される程度には信用されたらしい。案内されてまず最初に通されたのはこの家のリビングであった。
「どうぞ、座ってください。いま、お茶を持ってきますね」
「いや、お構いなく。……それにそんなに俺に気を使わなくても大丈夫だよ」
そんな俺の言葉に軽い会釈を返したエミリー嬢は恐らくキッチンであろう部屋の奥へぱたぱたと歩いて行った。そんな彼女の後姿を何とも言えない心持で見送った俺は、一人考えを走らせる。
(――見た感じ、どこか怪我をしているようには見えなかった。彼女の様子も年齢よりも落ち着いてはいるが変わった点は見られなかった――虐待って線はとりあえず無さそうだ)
あの手紙の内容を考えれば、「もしかしたら」の可能性は捨てきれない。いくらマスターの知り合いであったとしても、万が一という事もある。少なくともマスターはその可能性を確かめるために俺をここに行かせたのだろう――と、そんなところまで考えていた俺は、風に乗って運ばれてくる紅茶の香りに思考を中断した。
両手のトレーに紅茶のカップを載せた彼女が戻ってきた。
「なんか、ごめんね。気を使わせちゃって」
そう言う俺の前にカップを置きながら、彼女は答える。
「いえ……こちらからお願いしたんですから、これくらいは……」
「そっか……君がそう言うなら、ありがたく貰おうかな」
口にした紅茶は少しばかり苦みが強かったものの、飲めないほどではない。以前興味本位で自分で淹れた紅茶とは言い難い茶色い液体と比べれば雲泥の差であった。
「ありがとう、美味しかったよ。……それで、あの手紙の事なんだけど……天国への地図、だったかな。なんでそれが欲しいんだい?」
唇を軽く湿らせた俺が彼女にそう尋ねると、エミリーは一呼吸おいて話し始めた。
「――お母さんが、昔言ってたんです。この世界のどこかには、天国って場所があるんだって」
それぐらいなら、俺も幼いころに聞いた覚えがある。
『生前に善行を積んだ者は死した後に天国へと導かれる』――一般的な王国民なら一生に一度は必ず聞かされる教義の一つだ。
「天国は雲の上のさらに上、お空の果てにあるんだって」
――少なくとも、国教において天国が実在する場所の名前だと示す記述は存在しない。俺も教会の内部事情について詳しくは知らないが、確かそうだったはずだ。――ならこの話はエミリーの母親であるエレナさんによるアレンジ、あるいは創作だろう。
そんな風に考えを巡らせる俺をよそに、少しずつ彼女は語気を強めていく。最初にあった時に見せた陰のある印象は見受けられない。
――彼女は母に、こう語られたという。
「そこにはとっても大きなお城があって、とっても高い塔が何本も立ってるんだって」
「地面は一面花畑、春にはきれいな色とりどりのの花を咲かせるの」
「そこには大人も子供も、男の子も女の子もなくって、みんなが仲良し。みんなで歌って、みんなでおどって、みんなで遊ぶの」」
彼女の表情は段々と明るいものになっていくが、そんな彼女の様子に俺は完全に気圧されていた。目を輝かせ、頬を赤らめ必死に『天国』のことを語り続けるエミリー嬢の様子は、さながら大切な宝物を口早に、必死に自慢する子供の様であった。
「天国には時計がなくてね、それで、その代わりに大きな鐘があるんだって。太陽が沈んで鐘が鳴ると、お迎えが来て、みんな一斉に家に帰るの」
――ここまで一息で語った彼女は、急に顔を俯かせた。
「――エミリーちゃん?」
そして、先ほどと比べて明らかにトーンを落とした声でこう言った。
「――それで、そこには死んだ人だけが行けるんだって。生きているうちにそこに行くには、特別な『地図』がいるんだって」
「それが……」
「はい。それが、わたしが欲しい地図なんです。天国にはきっと――お母さんとお父さんがいるから」
ここまで話を聞いた俺は、どう彼女に答えるべきか悩んでいた。
『そんな場所は存在しないのではないか』と、そんな残酷な事実を突きつけるべきか。『探してみたけど見つからなかった』と、彼女を騙すべきか。
どちらにしても、彼女の目的が叶わないことに俺は歯噛みし、そんな表情を隠すために彼女に問いかけた。
「……それで、このことは君の、えっと――おじさんとおばさんは知ってるの?それと――二人は今どこに?」
「えと、おじさまとおばさまはどちらもお仕事に行ってます。二人ともいつも帰ってくるのは遅いので。それで、手紙の事は……二人には話してません。お兄さんだけです」
「……そっか」
それっきり、俺も彼女も黙り込んでしまった。彼女の様子を見る限り、図らずもテンションを上げて一方的にしゃべり続けた事に対する羞恥のせいか、先ほどまでの元気はない。
俺はその微妙な空気を打ち破るべく口を開いた。
「――わかった。とりあえず君の言う『天国』への地図を探してみようと思う」
「――――‼!本当ですか?」
「あぁ、本当だよ。まずはうちの店の商品を調べてみるよ」
「あ……ありがとうございます……よろしく、おねがいします!」
――結局俺は曖昧に濁す選択肢しか取れなかった。
彼女と別れ帰宅した次の日、古物店にて俺はエミリー(帰りがけに呼び捨てでいいと彼女に言われてしまった)の言っていた『天国』について調べていた。――調べていたのだが、やはり結果は芳しくはなかった。
まず最初に古書や古い文献から手を付けてみたのだが、彼女の母親の語っていた内容に沿うようなものは見つからず、同じように古い地図の類も探してみたものの見つからなかった。
というものの、これも想像できていた事ではあった。
(――おそらくお母さんの話って言ううのもおそらく創作話。それを考えると――見つかる可能性は限りなく低い。なら尽くすべき最善は自ずと限られてくる)
そんな風に俺は昨日の焼き直しのように悩んでいた。
「――トーマス君、おはよう。今朝は早いね。もし宜しければ昨日の話を聞きたいところなんだが」
「おはようございます、マスター。ちょうどいいタイミングです、俺も相談したいことがあったので」
そうして昨日の顛末をマスターに話した。
話を聞き終わったマスターは静かに話し始める。
「うん、やっぱりこちらが心配したようなことは無かったようで安心したよ。彼女の養父母とも顔見知りとはいえ、その人の人となりはいざ関わってみないと分からないからね」
「……知り合いだったなら初めからそう言ってくれてもよかったのに……まぁいいや。それで、彼女のお母さんの言ってたっていう『天国』の地図、についてなんですが」
「……それについては明確に『どうすべきか』というものが見つからないね。実在が疑わしいものなら尚のことだ」
そう言ってマスターはため息をつく。
「君のその地図探しだが、私も協力しようと思う。知己の忘れ形見のためだからね。その代わりと言っては何だが、君には彼女の様子を見にしばらく彼女の家に通ってほしいんだ」
「――わかりました。俺としても、あの子を放ってはおけませんし」
そうして俺は、古物店での仕事が終わった後、今下宿している民宿に帰る前にエミリーの家に寄るようになった。
最初にあった時はこちらにあからさまな警戒心を向けてきた彼女だが、様子を見に行くために彼女の家に通い詰めてしばらく経つころにはある程度は心を許してくれたように思う。
最低限日常会話をできる程度には仲良くなれたと考えると、進歩があったと考えるべきだ。
「――それでマスターが言ったんだよ。『十年二十年先まで見通せなければアンティークを取り扱う者としては二流だ』って」
「……かっこいいひとなんですね、あのお店の店長さん。私、ちょっと怖い人だと思ってんですけど……」
「いやいや、そんなことないよ。ちょっととっつきにくいかもしれないけれど基本的に穏やかな人だから。君にも会いたがってたしね」
「そう、なんですか?……だったら、会ってみたい、です」
「うん、君がそう言ってたって伝えればマスターもきっと喜ぶと思うよ」
俺がそう言うと、エミリーははにかむように微笑み返す。
「……はい」
――今日まで彼女と接していて、俺の中には未だ迷いがあった。
それは、彼女に俺が今日までに調べてきた結果を告げるかどうか――つまり、「何も手掛かりが見つからなかった」と打ち明けるべきかどうか、である。
今更になって言い訳するわけではないが、尽くせる手段は自分の考え点く限り尽くしてきたつもりだった。店中の古書や文献は全て探した。マスターの伝手を伝って、離れた町に居を構える考古学者たちにも似たような記述のある文献を調べてもらったこともある。
――しかしながら、帰ってきた答えはいずれも色好いものではなかった。結果として分かったのは、エミリーの母親が語った天国というのは、彼女の『創作』であったのではないかという、打ち明けるにはあまりにも物悲しい真実であった。
だからこそ、俺はエミリーに結果を告げることをためらってしまっている。今でこそ彼女は多少なりとも元気に振舞っているものの、時折見せる暗い雰囲気を考えると、真実はきっと彼女の精神に大いに悪影響を及ぼすであろう。
俺が内心でそんなことを考えながらエミリーを見ていると、彼女は不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「……あの、どうかしましたか?私の顔に何かついてますか?」
「ああ、いや……そういうわけじゃないんだ。ちょっと考え事を、ね」
「考え事、ですか……」
「そうそう、だから君が気にすることはないよ」
「……分かりました。でも、何か困ったことがあったらいってください。おかあさんのことで、とってもお世話になってるから、何か返せるものがあったらすこしでも返したいんです」
「……じゃあ、本当に困ったときは、お願いしようかな」
――ああ、やはり彼女は優しい子だ。
こんな小さい子にも気を使われてしまっていることが無性に気恥ずかしく、自分が情けなく思えた俺はそう細々と返すことしかできなかった。
結局その後の俺は、エミリーに結果を告げられずにすごすごと店に逃げ帰ってしまった。自分の優柔不断さに呆れ返るばかりだ。
――エミリーから依頼を受けて、もう三か月ほど経つ。相も変わらず俺は仕事が終わった後に余裕のあった日は彼女の家を訪れていた。訪れる、といっても、そう長々と居座るわけではない。軽く今日何があったかとか、どんな客が来ただとか、そんな取り留めもない会話を二、三言ほど交わして帰る――そんな感じだ。
エミリーとは、かなり仲良くなれたと思う。最近では俺が彼女の家に訪れると必ず笑顔で出迎えてくれるようになった。俺としても彼女との時間は仕事終わりの貴重な癒しである。だからこそ、俺は未だに結果を打ち明けられず、思い悩んでいるわけだが。
そのことを仕事中に店長に相談すると、店長は紅茶を入れながら答えた。
「――真実とは往々にして人に厳しいものだ。突きつけられたくない、知りたくない、誰にも知られず隠しておきたい物なんだ。だからこそ、今の彼女には『ソレ』が必要なんじゃないかね」
――と、分かるんだかようく分からないんだかアドバイスをくれた。
「エミリー嬢は今、現実を生きていない。失った家族との日々を想い、もう戻ってこない過去を夢想して。彼女は今、そんな世界でで生きているんだ。どう取り繕っても健全とは言えないだろう」
「……だったら猶更、下手な刺激を与えない方がいいはずじゃないですか」
「そう言うわけにもいかない。君の話を聞くに、エミリー嬢は今こそ小康状態を保っているのだろう――しかし、そんな状態は長くは続かない。いつの日か必ず限界は来るだろう」
「……どうしてそう言えるんですか」
「人は真実を知ることで傷つくものだが、同じぐらい真実から遠ざかることで心を摩耗させるものだからさ」
相も変わらず要領を得ない人だ。
「――それなら、どうすればいいんですか?知っても知らなくてもあの子は傷ついてしまうとしたら――それなら、俺はいったいどうすれば……」
幾度となくエミリーと接しているうちに、俺は彼女に過度ともいえる嬢を抱いてしまっていた。
「あの子は、知りたがっていました。信じたがっていました。母親の語った天国が、本当にこの世にあると。彼女は今、それだけを道しるべに生きています」
俺は今、彼女に傷ついてほしくないと思っている。もうきっと、これまでの人生であの子はもう深く苦しんだはずだ。もう苦しむ必要のないくらいに傷ついたはずだ。なら――。
「……その道しるべを奪うことは、俺にはできません」
彼女が傷つかないためになら、俺は嘘でもごまかしでも何でもする。それが、あの子と今日まで接してきた俺の責任だ。
「……その優柔不断さと優しさが君の美点だと思うよ、私は」
そう言うと、マスターは俺のもとへ紅茶を持って来た。
「知っても知らなくても真実とは人を傷つけるもの――しかしね、トーマス君。人にはとても奇妙な、とても困った性質があるんだよ」
「――性質?」
それはね、と店長は一呼吸おいてから答える。
「真実を知らねば人は、前に進めないって性質さ」
「……それって」
「矛盾している、と感じるかね?」
「……はい、それじゃあ人は――」
「『傷つくために生まれてきたのか』、と。言いえて妙だ。しかし、実際それが正解か、なんてことは神にあらず人の身では分かりえない事さ」
紅茶を飲みながらもマスターは語り口を止めない。
「私が思うに、『真実』とは人の縋るべき神の名だ。嘆き悲しみもだえ苦しむ人が、最後に求めるものなんだよ。……嘘と真、どちらが人を、本当の意味で幸せにできるのか――その曖昧な境界線をはっきりさせ、人の抱える罪悪、懊悩、苦悩を清算するものが、『真実』というものの本質だと私は思う」
「……すいません、つまりどういう事なんですか?」
俺がそう言うと、マスターは微笑みながら答えた。
「真実を知るのと知らないの――どっちの方が後腐れなくスッキリするのかってことさ。これは私の今までの人生経験からでた結論なんだが――どうかね?」
「どうかね、って――そんなこれはそんな単純なことじゃ――」
「事の本質はシンプルなものだよ。選択肢は彼女に真実を告げるか否か、その二択だ。君の取れる行動もその二択に限られる」
――分かっている。そんなことは。
でも、それでも――
「――それでも俺は、彼女の傷つかないですむ道を探したいです」
「……無理だ。そんなものはない。これは、エミリー嬢からこの依頼を受けたその時から決まっていた結論だ。前提としてエレナ嬢が亡くなっている時点で彼女が無傷で済むような問題ではなくなってしまっていた。……それにね、トーマス君」
「……なんですか」
「――誰よりも傷つきたくないのは、君自身なんじゃないかないのかね?」
――ああ、やっぱり分かってたか。そりゃそうだ、俺は今まで一度としてマスターに隠し事を隠し通せたことは無いんだ。
「トーマス君、君は優しく、優柔不断で不真面目な奴だが――同じくらい、誰かと接することを、誰かと関わることを望んでいる寂しがり屋だ。そんな君が、誰かを傷つける、だなんて選択肢をとれないのはよく知ってる。――君は目の前で誰かが傷ついて、自分が傷つくのが怖いんだ」
「……えぇ、そうです、そうですよそうですとも!俺は目の前で誰かが傷つくことを恐れている臆病モンだ!でも……でもそれの何が悪いってんですかッ!エミリーは優しくて、とっても良い子だ!きっとこれから先、良いことや幸せな事がきっとあるはずだ!今までずっと苦しんできたんだ、そうじゃなきゃダメなんだッ!」
気づけば俺は、自分の心中を洗いざらいぶちまけていた。次から次へと言いたいことが口をついて流れ出ていく中、マスターは静かに俺の話を聞いていた。
「――分かってます。あの子の家族は死んでしまった。もう二度と会えないところへ行ってしまった。天国なんてどこにもない。あの子の願いは叶わない。でも、それでも――俺は、あの子に傷ついてほしくない」
――と、俺がそう言った、その時だった。
「――――――いまの、今の話は……本当ですか」
店の入り口近くで、震えるような少女の声が響いてきた。
俺とマスターが、声の聞こえてきた方へと振り返ると、そこには。
――震える手でポシェットを握りしめた、エミリーが立っていた。
「トーマスお兄さん――今の話は――天国が、っどこにもないって」
震える声は、彼女の動揺を如実に表していた。目から滲む涙に気付かないのか、覚束ない足取りでこちらに向かって歩いてくるエミリーの姿は、初めて会った頃の彼女よりも脆そうに見える。風が吹けば倒れてしまいそうなほどに。
「……まだ、探してるって……言ってたじゃないですか」
「え……エミリー……な、なんで、ここに」
動揺しているのは俺もまた同様で、何度もどもりながらも彼女に問いかける。しかし、彼女は反応を示さない。流れる涙も拭うことなく。
「……天国は、無い……?それじゃあ、お母さんは……お父さんは……」
こちらを向いていた彼女の視線は段々と下へと向いていき、彼女はぶつぶつと何かを呟き始める。
動揺からどうにか調子を取り戻した俺は、エミリーに歩み寄ろうとする。しかし、その瞬間――。
「……い、いや……いやぁっ!」
彼女は悲鳴を上げ、走り去ってしまった。
間髪入れずに店長が叫ぶ。
「追いかけたまえ!」
「――分かってますよッ!」
呆然と立ち尽くしたのも一瞬、俺はエミリーを追い走り出した。
「――はぁッはぁ、はぁ――どっこに、行ったんだよッ」
エミリーを追いかけ店から駆け出した俺であったが、彼女を追っているうちに見失ってしまっていた。俺も決して足の速い方じゃないし、普段から身体を鍛えているわけじゃない。それでも、エミリーと俺との間には埋めがたい体格の差があったはずだ。それでも見失ってしまったのは、ひとえに俺の落ち度である。
「……そんな遠くには行けないはずなんだ、あの子の足じゃ……それにこっちの方向はエミリーの家の方じゃない。そんな俺の知らない道を使って逃げた――なんてことは、無いと思う」
それなら、一体彼女はどこに行ってしまったのだろう?もうじき日も暮れる。太陽はすでに傾き、月が薄く輝いているのが見える。
早く見つけなければ、と意気込むものの、手掛かり一つ掴めないままに時間だけが無為に過ぎていく。
あちこち歩き回って探し歩いているうちに、どうやら俺は人通りの少ない小道に出てしまったようだ。春先の夕暮れの、未だ少し肌寒い風が頬を撫でる。
周囲の建物が影になっているのか、小道はひどく薄暗い。傾いていく日差しがなければ見通せないほどの陰が視界の奥には広がっていた。
目を凝らし、その小道を歩くこと2、3分。俺は道の隅で膝を抱えて蹲るエミリーの姿を見つけた。耳を凝らさなければ聞こえないほどの嗚咽を漏らす彼女を見つけた俺は、躊躇いながらも少しずつ近づいていく。
それに気づいたのか、エミリーが顔を上げた。散々泣きはらしたのか、目元は真っ赤に染まっている。くしゃくしゃに絡んでしまった金色の長髪は、言外にここまでの彼女の疲労を感じさせる。
エミリーは顔を上げ、俺の方を見るとぽつりとつぶやくようにこう言った。
「――――ほんとは、分かってたんです。お母さんの言っていたのは、おとぎ話の中だけの世界なんだって」
それを聞いて俺は、何とも言えなくなる。
「お母さんとお父さんはもういなくて。もう二度と会えなくて」
「もう、おかあさんのおはなしをきくことも、おとうさんと一緒に遊ぶことも、できないんだって」
「――――――ごめんなさい、お兄さん。わたし、ほんとはしってたんです」
――それでも、あきらめられなくて、おかあさんのお友達に、お願いしたんです。
「お母さん、言ってたんです。ノーヴ古物店に行けば、遠く離れた場所の、めずらしいたからものがあるんだって」
「――そんなこと、君のお母さんは言ってたのか」
だから、ウチに来たのか。
俺の言葉にうなずく彼女は、無理やり笑みを作る。しかし、その微笑は痛々しさを感じさせるものであった。
「――だから、ありがとうございます、おにいさん。おにいさんのおかげで、しりたかったっことを知ることができました」
そう言うと彼女は、目元をこすりながらも立ち上がった。
――夕焼けに照らされて、涙の痕が輝いていた。
「――でも、それじゃあ君は――」
何か、言わなければと。俺が口を開いた瞬間。
それは起こった。
ゴーン、ゴーン、と。
どこからか鐘の音が響いていた。
どこから聞こえてきたのかまるで見当もつかない。王都にある大聖堂のチャペルかと思ったが、あの鐘はこんな時間にはならないはずだ。
【天国には時計がなくてね、それで、その代わりに大きな鐘があるんだって。太陽が沈んで鐘が鳴ると、お迎えが来て、みんな一斉に家に帰るの】
ひらひらと、視界を花弁が横切った。
赤、黄、ピンク、オレンジ、紫――色とりどりの花弁が頭上から降り注ぐ。おもむろに落ちてくる花びらを一つ掴んで見ると、俺は気づく。この花は、絶対に春先に咲くようではないという事に。
【地面は一面花畑、春にはきれいな色とりどりのの花を咲かせるの】
唐突な現象に俺はしばし呆然と立ち尽くす。目の前の光景が、余りにも芸術じみていたから――なのかもしれない。俺はオレンジ色の雲のかなたに、大きな城を幻視した。
【そこにはとっても大きなお城があって、とっても高い塔が何本も立ってるんだって】
――――――そして、気づいた時には。
目の前からエミリーの姿は消えていた。
あの日から俺は、ずっと彼女を探し続けている。手掛かりはなく、周りの人への聞き込みをしたところ、鐘の音も、花弁も、大きな城も見た人は誰もいなかった、という事だけしか分からなかった。
そして俺は、古物店にてマスターに問いかける。
「エミリーは、どこに行ってしまったんでしょうか」
「……分からないな」
「俺の見たあの光景は……幻、だったんでしょうか」
「……それも、分からないな」
「もし、俺の見た光景が、あの子のお母さんの語っていた天国そのものだとしたら――――――あの子は――」
「…………」
――あの子は、お母さんたちに会えたんでしょうか?
「……分からないな、何もかも。何故エミリーは消えてしまったのか。何故君だけにはその『天国』が見えたのか――」
「――――――」
「……分からない事ばかりだが、一つだけわかることがある。それは――」
――いつの日か、遠くない未来に彼女は帰るだろう、彼らのもとへ。――その両手に抱き締めた、家族の愛を手土産に。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
感想、批判、中傷など、何でも受け付けています。気が向きましたらお願いいたします。




