新5話:思い知る男
この話は、5話である「思い知る男」改訂版です。
そこそこに文字数が増えたので、やっぱり改訂版として投稿します。
短刀の男の示した通りの方角に、周囲よりも一回り低い山が見えた。左右の山の間で押し潰されそうになるのを必死になって耐えている風に見える。そこから歪曲がよく見えると言っていたが、しかし両隣の山の方が標高が高いのは明らかだ。視点は高い方がより遠くまで見渡せるのは言うまでもない。なれば何故、わざわざ小さな山を薦めてきたのだろう。『山の恐ろしさを知らないから』とか、はたまた『キツい山道にばてて力を使われては困るから』とか? 彼らの要求のすべては『力を使うな』に集約されるから、高い山に登るという選択が力の行使に繋がると踏んで、比較的容易な方を教えたのだろうか。
そんなに辛いのか、山登り。向こうの世界では終ぞ体験出来なかった事柄のひとつだ。早速試す機会が持てて嬉しい限りじゃないか。なんて、思ってもいない事を考えてみる。
件の山までの道のりは、瓦礫の丘から一直線に徒歩で向かう事になる。見渡した限り障害になりそうなものはなさそうだったから、単純に距離が問題になってくるだろうか。霞む視界の先に映る山へと向き直り、吹き荒ぶ砂塵に背中を押されながら、俺はいそいそと歩き出した。
そうして歩く道すがら。わざわざ探さなくとも、言われた通りの"妙なもの"たちは土煙の中から次々と姿を現した。
岩と木と肉とが、溶けるように混ざり続ける、生々しい質感の柱。
地面に縁取りされた、その内側を絶えず耕し続ける人型の跡。
人に犬に木と、幾つもの姿を形作っては崩れてを繰り返す、奇怪な色と模様をした破片たち。
これらすべてが異世界人によって作られた異常――いや、異世界人そのものなのだろう。捻じれて死ぬとはこういう事らしい。悪趣味な、あるいは皮肉を効かせたアーティスティックな代物にすら見えてしまう。これが命であったものだと言うのか。
しかし例外なく死んだと言ったが、いずれもが動き続けるものばかりだ。何よりもあの、浮き出た血管は青く、規則正しく脈打つ肉色の泥は、果たして死んでいると言えるのだろうか? いや、いずれも人の形をしていないのだ。いくら蠢いているとしても、それはもう死んでいるのと同じだろう。あれを見て人だと、まだ生きているのだと、そんな風にはとても思えなかった。
そんな異常物体を観察しつつ、山の麓まで辿り着いた。見上げた山々はやはり遠くで見た時よりも更に巨大に思える。そして左右の山と比較して小さかっただけで、目的の山は十分に大きかった。「ここを登るのか」と尻込みしてしまう程だ。
近付いてようやくわかったが、山の表面に木々が生い茂る中、所々が引き剥がされたように不自然に禿げ上がっている。地形的に生えられない箇所なのかもしれないが、短刀の男の話から鑑みるに、恐らく小さな歪曲なのだろう。目的の山は疎らだが、左右の山は酷い。木が生えている箇所の方が遥かに少ないくらいだ。代わりに見えるのは岩肌などではなく、おかしな形状の物体や、焦点が合わない妙な空間だったり。
短刀の男が中央の小さな山を薦めたのは、標高だけでなく歪曲の範囲も合わせての登りやすさ故だったのだろう。だがそれは優しさとは違うだろう。道中に見た諸々よりも、山頂からの何かを見せる方が、俺が自死を選んでくれそうだから。そういう淡い期待に因るものだから。
木々をかき分けながら山を登る。足場も悪く、視界も良くない。曇天の元、木々によって生じる影は深く、見辛さよりも不気味さを覚える。
山道はおろか獣道と思わしきものも見当たらず、ただひたすらに木をかわしては岩を避け、茂る草花を踏みしめる。かなりハードだ。滅茶苦茶に辛いぞ、山登り。別にやらなくてよかった――いや、むしろやっておくべきだったのか? こういう事になるのならば。
幾度かの休憩の後、汗に塗れながら辿り着いた場所は、思っていたよりもずっと見通しの良い山頂だった。と言うのも、瓦礫の丘とは真逆の方角だけ、つまりは山の檻の向こう側は断崖絶壁となっており、樹木といった遮蔽物が一切存在しなかったからだ。そこからの景色を見下ろした俺は、短刀の男が見せたかったものと直面する。それはここより遥か遠くにあるので、詳しくは捉えられないのだが、しかし驚く程にわかりやすかった。
例えるならそれは、油彩で描かれた生乾きの風景画を、無数の指先で、まったくの別方向に絶えず掻き回し続けている状態。うねる大地、噴出す海、穴だらけの空。教えてもらった通り……いや、それ以上におぞましい光景だ。
ありふれた、世界の仕組みに沿ってもたらされた人為的な破壊の形ではないと一目でわかるそれこそが、"大歪曲"の有様だった。
こんなものがまともに出来上がる筈がない。自然の摂理が機能していない。ここは、世界が、その在り方が捻じ曲がっているんだ。
立っていられず、半ば後ろに倒れこむようにして尻餅をついた。圧倒された。茫然自失になった。こんなもの、どうしようもない。どうにかしてくれと頭を下げて頼まれたって、例え"超常の力"を持っているとしたって、やってみようと思わない。試す気にもならない。近付いちゃいけないものなのだと、怠けきった本能ですら必死になって警告してくる。
世界の終わりを見たような気になった。人の世じゃない、正真正銘、万物の一切合切がまともでいられない終わりの形。これを生み出したのが、俺たち異世界人。今まで向けられてきた敵意は、時を得てすっかり磨耗してしまったものだという事がわかった。ぽっと出の連中が自慢げに振りかざした力が、これ程の崩壊を生み出したのだ、敵意を超え、殺意に至ってもまだ足りない。
俺たちに向けられる感情とは、自分たちの生きる世界を壊された、全世界の全生命の憎悪だったのだ。
なるほど、これならば、自ら死を選ぶにふさわしい。いや、どころか不足か。俺ひとりが死んだって償いきれるものじゃない。正せぬ歪みが覆い、その種となる連中は、何も知らずにやって来る。幸せな人生を夢見て、浮かれ面してご挨拶。
笑い声が出た。それはあの短刀の男と同じように、しかしまったく笑ってなどいなかった。向こうの世界で死んだ時に感じたのと同じ言葉が浮かぶ。
「こんなんどうしろっていうんだよ」
あの時とは違い、今度は声に出た。乾いた笑い声と共に。自分の声とは思えないくらい、聞き慣れない、冷たく重い声色だった。
「異世界人か」
暫く大歪曲をぼうと眺めていると、突然、背後から声がした。まったく意識の外から放たれたので、慌てて振り向こうとする。だが、頭頂部を鷲掴みにされて阻止された。首元に冷たい感触があり、視線を向けると、顎と襟の隙間に冷たい輝きが見える。細身の両刃ナイフ、ダガーだ。
違うと言えば首を切られるだろう。こう、すっぱりと。赤い血を撒き散らしてみたり。そうすりゃ間違いなく死ぬだろうな。出血性ショック、だったか? 身投げよりは楽に死ねるんだろうか。
いや、でも待てよ。力を使われるのが嫌だから、あの三人組は襲って来なかった。殺せるならそうしてるとも言っていたな。もし今までの異世界人が俺と同じように力の存在しか知らない状態で送り込まれてきたとしたら、どう使うんだろうなんて考えている間に死んだ筈だ。力を使う事も、まして歪曲も発生しない。だがそうじゃなかった。襲われれば力が振るわれ、歪曲も発生した。という事は、力は条件反射的に行使された? 命の危機に瀕して、みたいな? もしそうだとしたら、誰かの手を借りて死ぬという行為は、力の発動、ひいては歪曲を引き起こしかねないか。
だから短刀の男は自死を願ったのか。自らの意思で、力の行使だけはしないと固く誓った上で死んでほしいと。
「はい、異世界人です。高崎 洋海って言います」
自己紹介も交えたその時の声は、ここに来てから発したどの言葉よりも無機質で、味気ない風に聞こえた。自分から発されたものとは思えないくらいだ。
その返答から暫くして、舌打ちの後、首からダガーが離れていき、頭を掴んでいた手も外される。俺は土埃を払いながら立ち上がり、振り返る。そこには額のバンダナと黒い長髪が特徴的な、目つきの悪い男が、ばつが悪そうに頭を掻き毟っていた。
「そんな気はしてたけどよぉ……」
さっき聞いた声と同じ、目の前に立つ男によるものだ。大きくうな垂れ、深い溜息の後、背後を振り返り、叫んだ。
「そこに"もしも"を運んでくるのが『日頃の行い』って奴の筈だろぉ!?」
その声に答えるように、笑い声が返ってきた。それも複数。声の主たちがぞろぞろと現れ、俺と目の前の男を取り囲むようにして立ち塞がった。十人前後、男女混合の集団だ。
「じゃあ、その日頃の行いが悪かったんでしょう」
「皆に内緒で食料隠し持ってたからじゃないですか?」
短刀の男とも、弓の男とも、無論、俺とも違う、和気藹々とした笑い声。目の前の男と、その仲間と思わしき者たちとの間で談笑している。
正直、驚いた。最初に会った人間があの三人組だったから、てっきりこの世界の住民は皆があんな風に擦り切れているものかと思っていたから。こんな明るく笑える人たちがいるのかと、面食らってしまった。
「で、そこの異世界人」
物珍しげに眺めていた俺へと、取り囲んだ者たちのひとりから、今度は打って変わって棘のある口調が向けられる。変な話だが、ちょっとだけ安心した。あの三人組だけが俺たちに当たりが強いのかと思いかけていたいたから。もしそうなら、早とちりで死んでしまう事になっていただろうから。
とはいえ、敵意を向けられる事で落ち着きたくなんてないのだが。
「こんなクソの役にも立たない奴を引いちまうとは大外れでしたね。日も暮れてきましたし、今日はここで仕舞いですか。一日の〆としちゃ最悪っすけど」
「あぁ、そうだな。どっか手頃な場所を見つけっか。はぁ~、腹いっぱい肉が食いてぇよ……」
「そんな日もありますって。まだ蓄えはありますから、次、頑張りましょう」
「お前なんぞに慰められたかねぇよ」
そんな風にからかい合いながら、彼らは山を降りていこうとしている。ひとり動く事なく立ち尽くす俺を残して。
あれ、それだけ? もっと他に何かないの? この際だから文句のひとつでも言って貰って、そこから会話の機会をつくりたかったんだけど……。あ、駄目そうだわ。これもう彼らの中では俺の件は終わってるわ。こっちから話しかけなきゃじゃん。うっわー、やり辛い。わいわい騒いでるとこに水差すなんて、絶対に白い目でこっち見てくんじゃん。
「あのー、すみません」
控えめに声をかけてみるが、聞こえなかったらしく反応がない。もう一回、今度は少し大きな声で同じように呼びかけるが、同じように無反応。背中はどんどん遠のいて行く。
身勝手極まるが、ちょっとだけカチンと来た。
「すみませぇん! ちょっとお話があるんですけどぉ!!」
「うっせんだよお前!」
「こっちがわざと無視してんのわかんねぇのかよ空気読め!」
罵声が返ってきた。やっぱりわざとだったか。意地悪な事するよなぁ。まぁ厄介者という自覚がありながら、自ら関わりに行くのも、それはそれで意地悪か。
取り巻きたち(どうも子分っぽいからそう称しておく)をなだめながら、バンダナの男は嫌な顔を隠そうともせず、ぶつくさと小言を言いながら腰のポーチを弄る。
「あぁー、はいはい。食料ね。あげますよ、そうしますよ。ったく、こっちの都合も知らねぇで……」
「あ、いえ。食料はいいです。さっき貰ったばかりなので」
「は? だったら一体、何のようなんだよ」
「いえ、ですから――」
そこに来て、ある考えが思い浮かぶ。どうも相手はお疲れの様子、こんなところで、しかも異世界人のせいで道草を食いたくもないだろう。ならば、ここは相手に合わせる方が得策か。
しかしこれは、我ながら中々に意地が悪いな。
「今夜ばかり、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「え゛っ」
去りかけていた背中のすべてが一斉に止まった。同時に振り返り、皆一様に、恐れの視線を向けてくる。
そう、相手が去るのならば、追いかければいい。立ち止まって休むのならば、そこに居座ればいい。そうすれば無視出来ない。話しかけられれば、相手せずにはいられない。
「な、何でだよ。嫌だよ」
「一人で寝れんだろ、あっち行けよ……」
図りかねるように後ずさりながら、連中は拒絶の意思を示す。しかし実に弱々しい。何だその下がりきった眉毛は。これはいける、押せばいける。押しても駄目ならもっと押せ。
「駄目ですか? 別に食料を横取りしようなんて魂胆はないですし、ほんの片隅に置いといて貰うだけで結構です。何なら有事の際は盾として利用して貰ってもいいですよ? 対人戦闘では強力な抑止力になります」
「んな危なっかしい盾いらねぇよ! 近くにいたくねぇんだよ察しろよ!」
バンダナの男が必死の形相で訴えかけてくる。こんな関わり方をしてくる奴に会った事はなかったのだろう。ただ距離を保ちたくて仕方がないように見える。だが、取り巻きが背中にしがみついてきて邪魔なのか、思うように下がれないようだ。俺はずんずんと距離をつめて行く。彼らの怯え顔がみるみる近付いてきた。
ここで考えが変わった。これじゃあ脅迫じゃないか。相手が断れない事を言いように自分の主張を押し通す、実に下卑た手法だ。こんな真似しちゃ嫌われて当然だよ。これ以上、印象が悪くなりようもないからって開き直ってはいけない。あくまでお願いしよう。出来る限り真摯な姿勢で。
「話が聞きたいだけです。あなたが見てきたものについて。特に、異世界人とその力について」
真っ直ぐに、相手の目を見てそう言ってみた。すると以外にも視線を逸らす事なく、向こうも正面から見つめ返してくる。目を逸らしたら負けだと自分に言い聞かせ、無言の時間を耐え忍ぶ。
暫くの硬直の後、相手が折れた。目を瞑り、重い溜息の後、こう言った。
「食い物は譲らねぇからな。それと当然、力は使うなよ」
「ありがとうございます」
今度は気休めではなく、本心から礼を述べた。だがやはり、返ってきたのは、疲れきった溜息だけだった。