新3話:願われた男
この話は、3話である「望まれぬ男」改訂版です。
書き直しの結果、若干の食い違いが生じていますので、ご了承ください。
4話以降の修正も検討しています。
「捻じ……曲げた」
聞き慣れないと言うか、思いも寄らないその言葉。ただ死んだ、それだけならばわかる。もしその死という結果が装飾されて語られる事があるとすれば、それは特筆すべき死に方である時だ。
事件性、異常性、それらを踏まえての話題性。そういった要素の伴った死は世間の注目を惹きつける。だから昼夜問わず報道されるニュースの中で明かされる誰かの死が、ありふれた最期である事は極めて少ない。生まれる者がいれば死ぬ者もいる、今まで延々と繰り返されてきた命の営みであり、言ってしまえば普通の事だから。もしかしたら向こうの世界での俺の死も、普通の事として処理されてしまっているかもしれない。
だが"捻じ曲げた"とは何だ? 破壊されたとかではなく、消滅したとかでもない、捻じ曲げて死んだとは。死という結果を伝えるに当たって、これ程に異質な表現はない。
子供の頃によく遊んだ粘土細工を思い出す。あれやこれやと形作っては、捻じり千切ってぶっ壊す。形を崩す事は破壊と呼べるが、しかし粘土である事までは壊していない。粘土のまま潰す。捻じって、千切って、折り曲げて、歪ませる。
形あるまま、捻じ曲げる。
「旧王都全体を巻き込んだ蠢く墓標……"大歪曲"と呼ばれている。二人目の男が王都に押し入るや否や、世界王の作り上げた街が一斉にうねり出したんだ。その歪みは人も、大地も、海はおろか空までも飲み込んで、今なお治まっていない。想像がつくか? 大地が蛇のようにのた打ち回っては崩れ去り、その残骸がまた新たな蛇を生み出す姿が。陸地へと引きずり込まれたかと思うと、あらゆる名残を内包しておぞましく変色した海が高々と吐き出されては降り注ぐ様が。青や白など欠片もない、どころか夜空の黒さえも通り越した漆黒が覗く、見える筈のない色たちがぶちまけられた斑模様の空が。その中で形も留めずに引き伸ばされ、丸められ、磨り潰され、なおも叫び続ける人だった命が」
そこで初めて、短刀の男は俺から視線を外し、深く項垂れる。前髪によって目元は隠され、その表情は読み取れない。だが、発言の内容から、異世界人が生み出した厄災の片鱗を読み取る事は出来た。
"大歪曲"。破壊ではなく、消失でもなく、存在そのままに歪み捻じ曲がる異常。陸も海も空もあるにはあるが、しかしその在り方が大きく狂ってしまっているらしい。
大地は揺れども、のた打ち回る事はない。海は波打てど、絶えずそこにあり続ける。空は青く、時に暗く、雲は絶えずたゆたうもの。
そんな当たり前が覆る事など、あってはならない。世界がまともである為に、歪んではならない事柄である筈だ。
「あれは、まともじゃない……いや違う、まともじゃなくされちまった空間だ。でなきゃあんな風になんてなる筈がない。そうだろう? お前たちの世界では普通の事なのか? 違うよな、今まで会ったどいつもが首を横に振ったんだ、お前だけが別な訳がない」
黙り込む事しか出来ないが、それが肯定になる。男は力なく鼻で笑い、悲劇の続きをなお語る。これで終わりではない、まだ始まりに過ぎない。過去は遥か遠くに思えるが、しかし確実に今へと繋がっている。そしてこれ程の規模と影響力のある過去の出来事を、過ぎた事だと忘れ去れもしない。
背負う必要はないが、しかし向き合うしかないのだ。
「世界王と二人目の男が消え失せてから間もなく、また同じような力を振るう人間が現れた。流石にもう何が起きたかわかるだろう? そいつも死んだ。力を使って、必死に止めようとした人々をも巻き込んで。3人目だ、3度目だ。もう全員が気付いただろうさ。こいつらはまた現れる。また現れて、また死んで、また歪みを生み出すだろうってな」
三度目の正直。二度ある事は三度ある。仏の顔も三度まで。
この世界にも似たような諺はあるのだろうか。人が必然を確信するまで。諦め、あるいは怒りの限界点。それが易々と踏み越えられた事実が簡潔に告げられる。
世界王による世界統一。二人目の男の反逆、そして大歪曲。更には三人目の出現。それらは大した間隔を開ける事もなく起きたのだろう。癒えぬ傷跡を抱えた地で、折り合いをつける間もなく放たれた決定打。終わらぬ惨劇の先触れ、その中で生きていかねばならなくなったという事実。
「この世界がそうなってどれだけの月日が流れたか……俺たちはその中で生きてる。誰も彼もがいがみ合って、敵になって、皆等しく異世界人に邪魔をされて。懇切丁寧に教えてやってるんだぜ? 『力を使うな。使うと死ぬぞ』。なのに止めない。喉が渇いた、身体が痒い、不便だ、退屈だ……」
砂嵐の音の中で、小さな軋み音が耳に届く。何の音か確証は持てないが、恐らく、人の歯が噛み砕かれんばかりの力で擦り合わされている音だろう。短刀の男の口元、覆面の中から発されているように思えた。ゆっくりと持ち上げられたその顔、垂らされた前髪の隙間から、憎悪をも通り越した眼光が放たれている。
「ふざけるな、ふざけるな。そんなどうでもいい理由で人が死んで、世界が歪められたんだ。許せると思うか? あり得ない。許せる筈がない。そんな言葉を吐ける奴は、状況の把握と判断が出来ない馬鹿か、生きる事への執着がない"いかれ"だ。こんな有様になって感謝している奴なんてこの世界のどこにもいない」
怨嗟にまみれた呪詛が耳から胸へと流れ込んでくる。肺を縛り上げ、心臓に絡みつき、内側から窒息させるようと這い回る蛇。
何か言わなくては。呼吸をしないと、言葉を発さないと、内側の蛇に殺される。恐怖心に突き動かされるまま、とにかく何か意味のある事を話す。自分は彼らとは違う、味方にはなれずとも敵にはなりません。そんな命乞い染みた言葉を。
「い、異世界人が入り込まないようにしたり、その歪曲を修復したりとかは……」
だが、それに対する返事は即答。取るに足らない、価値のない、耳慣れた返事を撥ね退ける。お前など必要ない、敵にも味方にも、存在そのものがいらない。心の底から発される拒絶の意思。
「不可能だ。どちらもがな。お前さんたち異世界人がどうやって、どこに来るのかも不明。阻止のしようがない。来てしまったからには殺してしまおうとしても、力を使って抵抗されるから駄目。歪曲を正す試みなんて、それこそ最初期の異世界人が、頼み込まれるか、あるいは自主的にでもやっただろうさ。結果は言うまでもなし、元通りどころか悪化だよ。歪曲は旧王都のみに留まらず、この大陸の各地で大小様々に点在している。その内のどれだけかは知らないが、少なからずがその失敗結果だろう」
肺と心臓が潰され、何も言えなくなる。今度は弓の男が嘲るように、左手の弓を見せびらかすようにして言った。変わらず口を歪めたまま、しかし苦笑も含まずに。
「僕らの手に握られてるものが見えないの? 殺せるんなら、とっくにそうしてるんだよ」
短刀と弓と杖。他者と、敵といがみ合いながら生きる彼らが有しているもの。俺に対してその牙が突き立てられなかったのは、攻撃の意思がないからではない。殺したくても殺せないから。度胸がないからではない、無視出来ないデメリットの為。
殺したいのに、殺したいのに、殺したいのに、殺せない。その解消不可能な憤怒が憎悪を更に練り上げる。それを瞳に宿し、言葉で包み、俺へと叩きつけて来る。それが彼らに出来る、最大限の意思表示なのだ。
「こればっかりは総意って事で、誰が言ってもいいだろう。俺たちから、お前さんたち異世界人への切実な願いだ。これ以上は何もいらないってくらいの」
絶句する俺へと、短刀の男は改まって言う。弓の男も、杖の女も、真っ直ぐに俺の目を見ている。
『人に頼み事をする時は、真摯な姿勢で、相手の目を見て言いましょう。そうすればきっと、あなたの気持ちが届く筈です』、小学生の時に聞いた言葉だったか。子供の内に習う事は、生活の上で必要な事ばかりだ。それは異世界に来てからも役に立つなんて。
俺の目を見て放たれる彼らの願いは、真摯に、真正面から、情け容赦なく振り下ろされる。
「俺たちはお前さんたちを殺せない。だから、早急に自分の意思で死んでくれ。力を使って歪曲を拡大させるような真似はするな。これ以上、俺たちの生きる世界を滅茶苦茶にするのはやめてくれ」
前の世界に生きている中で、「死ね」と言われた事があった。そう言ったのは、それはもう嫌な奴で、互いに憎み合って、殴りあった末に聞いた言葉だった。俺はその時、ちっとも悲しくなんてならなかった。「お前が死ね」と思って、憎悪をより深くしただけだったから。
「死ね」と言われたのは初めてではなかった。だけど、なのに、ここで向けられたその言葉は、俺の心を深々と抉り抜く。初対面の相手に面と向かって「存在している事が迷惑なのでお願いだから死んでくれ」と言われ、生まれて初めて、その言葉の本当の意味がわかったような気がした。