旧3話:望まれぬ男
改訂版投稿に伴い、番外へと移動しました。
自らへの戒めとして残しておきます。
「捻じ曲げた……?」
聞きなれないと言うべきか、思いも寄らない言葉。場違いで、異質な表現であるように思えた。滅茶苦茶になっただとか、消滅したとかだったらまだわかる。捻じ曲がる、とはどういう事だ?
子供の頃によく遊んだ粘土細工を思い出す。あれやこれやと形作っては、捻り千切ってぶっ壊す。形が崩れる事は破壊と呼べるが、粘土である事までは壊していない。粘土のまま、形を歪ませる。
捻じ曲げる。
「"大歪曲"、そう語り継がれている。二人目の男が王都に押し入るや否や、世界王の作り上げた街が揃ってうねりだしたらしい。それは周囲の大地も海も、挙句、空も飲み込んで、今なお治まっていない」
そこで初めて、短刀の男は俺から視線を外した。男から見て右側の、瓦礫の向こうへと目を向ける。遠くを見る瞳、そこに憎悪は見られない。懐かしみながらも、しかし思い出したくもなさそうな、そんな目をしている。
「色のある風を見た事はあるか?」
「……はい?」
俺もそちらを見ようとした時、ぐいとこちらへ向き直った男は、藪から棒にそう問うてきた。俺は少しだけ驚いたが、発言の内容の意味不明さに、動揺はすぐに消え去る。
色のある、風?
風とは空気の流れだ。空気を成しているのは気体で、それは目に見えるものじゃない。ならば、風が見える事など、まして色などある筈がない。粉末をばら撒けば風の動きを視覚する事は出来るだろう。しかしそれは風に色がついている事にならない。
どうあってもあり得ない事だ。そう結論付けて、眉をひそめる俺へと、今度は弓の男が問いかけてくる。続けて杖の女も。こちらも先程と同じように、あり得ない現象の有無を。
「石が横へ落ちていくのは?」
「海が空へと溶けていくのは? 死んだ人間が生き返り、また死に直す姿は?」
あり得ない。
ある筈がない。
否、最早、あってはならない事柄だ。世界がまともである為に、決して覆ってはならぬ現象だ。
だがそういう彼らの表情を見れば、俺と同じ意見である事がわかる。そして、冗談で言っている訳ではないって事も。
動揺がぶり返す。その様を眺めながら、再び短刀の男が言葉を紡ぐ。
「すべて旧王都、絶対不可侵域で観測された事実だ」
きっぱりと言い切る。あり得ない事が、あった事だと。
嘘でも冗談でもないのだろう。そうであって欲しかったが、どれだけ待ってもネタばらしは成されない。憎悪と、責め苛む眼差しが真正面から向けられる。
「あそこは、おかしくなっちまった……いや違う、おかしな事にされちまったんだよ。世界王と二人目の男――つまりは、お前たち異世界人に。それだけならまだ良かった。全然良くないが、今に比べればずっとましだ。まだ大陸の一角だけの異常で済んだんだからな。だが、そこで終わらなかったから、困ってるんだよ」
恨み辛みは止まらない。明らかにまずい事態が発生して、なおかつ未だ治まっていないにも関わらず、「それだけならまだ良かった」と言ってのける程に、事態は深刻化しているという事。俺は乾き始めた喉を唾で誤魔化しながら、ただ聞くに徹する。
「世界王と二人目の男が消え失せて間もなくして、また同じような力を振るう人間が現れたんだ。そいつは浮かれたように力を見せびらかした。静止する声も聞かずに。そうしてまた同じように、捻じれを生み出して勝手に死んだ」
三度目の正直。二度ある事は三度ある。仏の顔も三度まで。この世界にも似たような諺はあるのだろうか。人が必然を確信するまで。諦め、あるいは怒りの限界点。それが易々と踏み越えられた事実が極めて簡潔に告げられる。
そして現状が見えてきた。俺たちが異世界人が何人も現れて、現れ続けて、そうして憎まれている理由が。
「3人目だ、その頃には皆もう気付いただろう。恐らくこの傍迷惑な連中の出現はまだ続く、あるいは終わらない。また同じように現れては同じように力を振るい、歪みを拵えていくんだろうってな」
"超常の力"の取得。無敵感、優越感。それらに浮かれて、捩れて死んだ。
何だ、それは? 使えば必ず死ぬ力? そんなものに何の意味がある?
俺の困惑を当然の反応と判断したように、男は語る。きっと見飽きたのだろう、取るに足らない、気にする価値のない感情であるかのように、半ば無視している風だ。
「そこからが俺たちの世代さ。おかしくなっちまった世界の中を必死こいて生きている。お前さんたち異世界人に邪魔されながらな。こうして懇切丁寧に事の経緯を教えてやっても、いくら力を使うなと言っても止めない。やれ喉が渇いた、やれ身体が痒い、やれ退屈だ。そんなふざけた理由で力を使っては、周囲を巻き添えに死にやがる」
乾いた笑いが鼓膜を揺らす。その声の主の目は、しかしちっとも笑っていない。
力が手元にあるにも関わらず、振るう事を許されない。甘んじて受け入れても、そこにあるのは不便極まる生活と、周囲からの憎悪。
冗談じゃない。そう思った筈だ。今の俺のように。我慢の限界に達し(きっと三度目だろう)、力を使った。そして例外なく死んでいった。新たな歪みと憎しみを生み出して。
「歪みの解決手段はないんですか?」
俺は縋るように問う。けれど、そんな弱々しい足掻きもきっと、耳慣れた言葉なのだろう。溜息ひとつを挟む事もなく、男は即答する。
「ない。断言できる。きっと歪みを正す試みなんて、最初期の異世界人が、頼み込まれるか、それか自主的にでもやっただろうさ。結果は言うまでもなし、元に戻るどころか悪化の一途だ。歪んだ場所は旧王都だけじゃない、各地に大小様々、点在している。その内のどれかは知らないが、少なからずがその失敗結果だろう」
続く言葉が見つからない俺の返答を待つ事なく、弓の男が後に続く。変わらず口を歪めたまま、しかし苦笑も含まず淡々と。
「お前ら異世界人がどうやって来るのかも不明。出現場所もばらばらで予測も不可能、阻止のしようがない。来てしまったからには殺してしまえばいいと襲った連中もいたんだろうが、それも駄目。身を守る為に力を使うからね。僕たちがお前を殺さないのはそれが理由。出来るんだったらとっくにやってる」
絶句した。
完全に詰んでいる。
殺したい程に忌み嫌われていて、しかも名誉を挽回する手段もない。
生活様式は前時代的で、環境は捻じ曲がっている。頼みの力も使えないのだ、打つ手など何処にもありはしないではないか。
「俺たちからお前さんたちへ、頼みがある。切実な願いだ。これ以上は何もいらないってくらいの」
黙り込む俺へと、短刀の男が語りかけてくる。その口調は冷徹な、情けの欠片も含まない、氷よりなお冷たい、拒絶の言葉。
「歪曲の中に身投げして死んでくれ。これ以上、あの歪みを拡大させるような真似はするな。俺たちの世界を、これ以上、滅茶苦茶に弄繰り回すのはやめてくれ」
前の世界に生きている中で、「死ね」と言われた事があった。そう言ったのは、それはもう嫌な奴で、互いに憎み合って、殴りあった末に聞いた言葉だった。俺はその時、ちっとも悲しくなんてならなかった。「お前が死ね」と思って、憎悪をより深くしただけだったから。
「死ね」と言われたのは初めてではなかった。だけど、なのに、ここで向けられたその言葉は、俺の心を深々と抉り抜く。初対面の相手に面と向かって「存在している事が迷惑なのでお願いだから死んでくれ」と言われ、生まれて初めて、その言葉の本当の意味がわかったような気がした。