銀狼の誓い
「《換装》――《銀狼》」
一騎を見送ったイノリは躊躇うこと無く、ギアを換装した。
水着のようなアンダースーツを覆い隠すように白い軍服のような衣装が身を包む。
変化はそれだけではない。
人の身にはあるまじき、獣の耳と尻尾が生えたのだ。
どちらもイノリの髪と同じく白銀。
イノリの本来の姿――《銀狼族》の姿を象ったギアに身を包んだイノリは虚空に手を伸ばした。
「行くよ、銀牙」
腰に手を回し、まるで居合いのような構えをとる。
腰に回した手に白銀の魔力が収束していく。
イノリの制御によって圧縮された魔力は刀と鞘の形となって、イノリの腰に備わった。
《銀狼》の主武装――銀牙。
銀狼族の鋭利な牙を研ぎ澄ましたかの如く、斬るもの全てを両断する《銀狼》の牙だ。
鞘の中を奔らせ、イノリは白銀の刀を抜きはなった。
抜刀による剣圧が戦乙女の髪を薙いだ。
堂々とした佇まいに戦乙女が僅かに後退る。
だが、口角を吊り上げ、好戦的な眼差しをイノリに向けるのだった。
「待っていましたよ、その姿になるのを」
「……どういう事、ですか?」
「以前、我々は貴女のその力に敗北しました。敗北したままではいられないということです。我らの父の名誉にかけて」
「なるほど、つまりは似たもの同士なのですね」
「似た者?」
「えぇ、芳乃も負けず嫌いなところがありますから」
「……不本意ではありますが、芳乃凛音は我らの原型です。思考ルーチンが似通っていても不思議では無いでしょう」
「芳乃としての感情もあると?」
「否定はしません。我らには芳乃凛音の記憶がありますから」
「なら、どうして芳乃総司に力を貸すんですか? 創造主だから?」
「……どういった意味での発言かわかりかねますね」
ピクリと戦乙女が肩を震わせた。
イノリの言葉が戦乙女の逆鱗に触れたのだろう。
彼女達の怒りが波紋となって闇の軍勢に広がって行くのを、ピリピリと焼き付けるような肌で実感した。
それでも問わずにはいられない。
「貴女達は芳乃の記憶を受け継いでいる。なら、芳乃総司の行いには賛同出来ないはずでは?」
芳乃総司は全ての元凶だ。
過去の大震災。
そして、今、この世界を脅かす魔神としての力。
そのどれもが、凛音が守ろうとした大切なものを破壊する力だ。
彼女達に凛音と同じ感情があるのなら看過できないはず――
そのイノリの推理は、冷や水を浴びせるが如く冷酷な戦乙女の言葉で打ち払われる。
「その質問には意味がありません」
「……え?」
「我らが芳乃凛音の記憶を有しているからと言って、芳乃凛音のように反旗を翻す事は無いでしょう。なぜなら、我らは信じているからです。我らの父が創る新世界に我らの居場所があることを」
「貴女達の居場所?」
「えぇ、我らは人ではない。魔人でもない。人形です。この世界では受け入れない人形。生まれた時からその事実は変らず、世界がこのままである限り、我らに生きる居場所がない」
「居場所なんて……そんなの」
「貴女も同じでしょう? この世界には召喚者が生きる居場所はない。だから元の世界に戻ろうとする。それと同じ事ですよ。我らが父様に従うのは、父様が私達に生きる意味を、生きる場所を与えてくれるから。だから、彼の夢に付き従うのですよ」
「それでも……私は芳乃総司を、貴女達を倒します」
「生まれてくるべきでは無かったと、貴女もそういう口ですか?」
「違いますよ。生まれ落ちた以上、貴女達の命は貴女達の物です。それを否定する事なんて誰にも出来ない。私が貴女達を倒すのは、貴女達が私の守りたい世界を壊そうとするから。だから、戦うんです」
「なら、ご託は十分でしょう。剣を構えなさい」
戦乙女は漆黒の銃口をイノリに向ける。
イノリは刀を正眼に構え、体勢を整えた。
語るべき言葉は交した。
お互いの信念がぶつかる以上、力でねじ伏せるしか道はない。
けれど、イノリは高揚していた。
敵がただ無感情で、機械的に命を狙うなら、それは戦いではなく、破壊だ。
けれど、戦乙女には信念があり、主に従うべき理由を持っている。
意思ある戦いだ。
たとえ不当に生み出された命でも価値を見出そうとする彼女達にイノリは感服していた。
だからこそ、手加減は出来ないだろう。
ここで手心を加えるということは、彼女達の意思に泥を塗る行為に等しい。
彼女達の信念を受け止め、そしてイノリの誓いを果たす為に、全力で戦うのだ。
「行きます。戦乙女」
「来なさい。異世界の戦士よ」
イノリは地面を砕く程の力を込め、蹴り込んだ。
戦乙女との距離が一瞬でゼロになる。
肉薄したイノリは横薙ぎに刀を振るった。
全身の筋肉のバネがしなる。
筋肉の躍動から放たれるイノリの斬撃は音を置き去りにする程の神速だ。
けれど、戦乙女はイノリの一撃に対応してみせたのだ。
掬うように腕の刃を振り上げ、イノリの刀の腹に剣をぶつけた。
思わぬ衝撃に刃の軌跡がずれる。
イノリの刀は戦乙女のバイザーを斬り飛ばすだけに留まってしまった。
バイザーに隠れた白銀の瞳がイノリを見下ろす。
ゾクリ……と背筋に冷たい汗が伝う。
大振りの一撃を躱した戦乙女がこれ以上ないタイミングで反撃に出たのだ。
体が硬直したイノリに大胆な回避行動はとれない。
イノリは驚愕に目を見開きながらも、腰から鞘を引き抜く。
かち上げるように鞘を振り上げ、戦乙女の大剣の柄頭に当てた。
イノリと戦乙女の体勢が大きく崩れる。
イノリは背中から倒れ込む慣性に従い、体を捻り、宙返りを繰り返しながら距離を離す。
斬撃による応酬を避けたかったからだ。
「良い判断ですね」
体勢を崩した戦乙女がイノリの行動を褒め称える。
戦乙女は一人の戦士ではない。
群の戦士。
敵は目の前の彼女だけでは無いのだ。
イノリは直ぐさま、その場を離脱。
回転式電磁砲で放たれた《雷神》の弾丸を紙一重で避ける。
続く《メテオランス》による突進をかいくぐり、横っ面に斬撃を当て、吹き飛ばすと、遠方から放たれた《弓》の魔力矢を鞘で弾き飛ばす。
次いで、眼前に迫っていた炎の壁を剣を前に突きだした刺突でダメージを最低限に止めながら突破。
炎の壁の向こう岸にいた戦乙女を斬り捨てる。
「あぐ……ッ!!」
直後、鋭い痛みが右肩に生じた。鞘を取りこぼす。
イノリの軍服の一部が弾け飛び、白い柔肌が垣間見える。
銃弾の直撃は無かったはずだ。
それなのにダメージを受けた理由。
それは、影に向かって放たれた一発の銃弾だった。
一騎の《影》と同じく、影を攻撃する事で、本体にダメージを与える《影弾》
その銃弾がイノリの肩を穿っていたのだ。
痛みに悶える暇もない。
イノリは副武装である銀爪を五指に挟んでいた。
銀爪は刃渡りの短い短刀だ。
切れ味は銀牙と同じだが、リーチの短さから、短刀として扱うより、投擲武器としての性能に優れていた。
イノリは振り返ると同時に、肩口を撃ち抜いた戦乙女に短刀を投げた。
狙いすましたように短刀が戦乙女の額に突き刺さる。
イノリは直ぐさま離脱を試みるが、すでに周囲を戦乙女が取り囲んでいた。
逃げ場はなかった。
そして、その全員が銃口をイノリに向けられる。
太陽のように赤く輝く光球がイノリの目の前で弾け飛んだ。
「「「《フレア・バースト》」」」
戦乙女の言葉が同時に重なる。
その直後。
イノリの悲鳴を掻き消す程の大爆発が周囲の戦乙女もろともにイノリを巻き込んだのだった。