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魔導戦記イクスギア  作者: 松秋葉夏
第二章『イクシード争奪編』
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二人だけの夜

 ゴクリと生唾を呑み込んだ。

 喉は痛みがするほど乾いている。

 胸の動悸は治まらない。

 鼻息は少々荒いか。


 一騎は、無口でイノリの部屋の扉を潜る。


「どうぞ」


 イノリに手を引かれ、一騎は初めてイノリの部屋に入った。

 その瞬間、息が止りそうな程の衝撃を受ける。

 いや、実際には息を止めていた。


 彼女の部屋に充満するイノリの女の子らしい臭い――

 その臭いを吸うまいと本能が生きをする事を止めさせたのだ。


 なら、口呼吸で!!


「す~はぁ~、す~はぁ~……」


 これはこれでかなり怪しくないか!?


 脂汗を滲ませながら、一騎はそっとイノリに視線を向けた。

 怪訝な表情を浮かべ、一騎を見つめるイノリ。


「なに、やってるの?」


 当然の疑問だろう。

 女の子の部屋に来て、いきなり深呼吸だ。

 恋人じゃなかったら変質者を疑われているだろう。


 いや、もう疑われているのか!?


 内心では焦りまくり、変に視線を彷徨わせる。

 それが悪かったのか、イノリは気まずそうに口を濁した。


「あの、あんまりジロジロ見ないで……」

「えっと、ご、ごめん」

「ううん、別にいいけど、それより座らない?」


 イノリの部屋には勉強机とベッドがある。

 イノリはベッドの端に腰掛けた。


 一騎は机の椅子を引っ張り出そうとする。


「隣りに座らないの?」

「え? えっと……」


 正直、隣に座るのに、もの凄く勇気がいる。

 イノリの部屋、それに二人っきりという状況。

 それで二人してベッドに座っている所を誰かに見られれば、間違いなく言い逃れは出来ないだろう。


 幸いにも凛音の泥酔した歌声がこの部屋にまで微かに響いてきてる。

 まだ、当面は大丈夫そうだが……


 それでも、女の子と一緒にベッドは、やはり一騎にはハードルが高い。


「ダメ? なの?」


 イノリはしゅん……とした表情を浮かべ、誰が見てもわかるほど落ち込んでいた。

 上目遣いで一騎を見る瞳は、小さな子犬を連想させる。

 もし、今の彼女に獣耳と尻尾があれば力なく垂れ下がっている事だろう。


 一騎はパンッと両頬を叩く。


(しっかりしろッ!! 僕はイノリの彼氏だろ!? イノリを心配させてどうするんだ!)


 優先すべきは一騎のちっぽけなヘタレ心よりも、イノリの気持ち。

 

 ゆっくりと机の椅子を戻し、一騎はイノリのベッドに腰を下ろした。

 二人の距離は近い。

 肩が触れそうな程で、意識しなくても互いの息づかいが聞こえる距離だ。


(それで、僕、何を話せばいいのッ!?)


 恋人とベッドに座ってする会話を一騎はまったく知らないでいた。


 世間話? いやそんな話をイノリはきっと望んでいない。

 押し倒す? いやいや、それこそないだろう。


 まるで適切な会話が思い浮かばない。

 互いに無言の時間が続く。


 沈黙を破ったのはイノリだった。


「いよいよ明日だね」

「え? う、うん。そうだね……」


 真剣な表情で呟いたイノリの言葉に一騎は頷く。

 明日――それは、ユキノのイクシード《氷雪》によって封印した芳乃総司のギアが力を取り戻す日だった。


 間違いなく戦いになるだろう。


 芳乃総司は力を封じられた状態でありながらも、凛音を《複製》した戦乙女という戦士を生み出す程だ。

 力を取り戻した彼が、真っ先に特派を狙うのは誰の目にも明らかだ。


 明日が最後の戦い。

 そして――


「こうして、みんなと会えるのも今日で最後なんだよね?」

「……うん」


 イノリ達召喚者達と笑いあえる最後の夜でもあった。


 総司から残りのイクシード《ゲート》と《複製トレース》を回収すれば、召喚者達の役目は終わる。

 後は《門》の力を使って、元の世界に戻るだけなのだ。


 イノリ達召喚者にはこの世界に残る――という選択肢はない。


 暴走して《魔人》に堕ちるリスクが常に残るのだ。

 そして、召喚者――ギアを纏える適合者がいなければ《魔人》を封印する手段もない。


 争いの火種を無くす為にも、誰一人として地球に留まることは許されない。


 これは、特派のみんなと一騎、凛音、結奈達が話し合って出した結論だ。

 

「やっぱり、僕もイノリ達の世界に――」

「それはダメだよ」


 イノリは一騎の提案をやんわりと否定する。

 これも何度も話し合った。

 

 魔力を持ち、暴走する危険性を孕んでいるのは一騎も同じだ。

 魔力を安定させる為に異世界に渡るのは間違った判断ではない。


 けれど、クロム達特派のみんなも、そしてイノリもそれを望んでいない。


「二つの世界は交わっちゃいけないんだよ?」

「それは……そうだけど」

「本来なら交わる事のなかった二つの異世界。それが、偶然に交わって、大きな傷跡を残した。もし、一騎君が異世界に召喚される事で、二つの世界に歪みが生じるなら、その危険性が少しでもあるなら、やっぱり止めた方がいいよ」


 それが理由だった。

 地球と異世界は本来であれば決して交わる事がない。

 そして、二つの世界が交わる時、それは、どちらかの世界の崩壊を意味するのだと、リッカは一騎達に告げた。


 今回、異世界からこの地球に召還者達が召喚される事で、《魔人》が生まれ、そして、芳乃総司という《魔神》を生みだしてしまった。

 異世界が交わり続ける限り、また芳乃総司という《魔神》を、それ以上の脅威を生みだしかねない。


 だからこそ、異世界の接点を絶つ為に、一騎の異世界召喚をクロム達は認めなかった。


「けど、やっぱり、納得出来ないよ。イノリと別れるなんて」


 勝手だと思われるかもしれない。

 世界の運命をねじ曲げてまで最愛の人を選ぶのは総司に匹敵する悪なのかもしれない。

 けど、一騎は、世界の命運よりも一人の少女との時間を選びたかった。


 そして、イノリにも選んで欲しかった。


「私もだよ。けど、仕方ないよ」

「仕方なくない! 僕はずっとイノリと一緒にいたい。やっと思いが繋がったんだよ? これからもずっと!!」

「……芳乃が教えてくれたの」


 唐突に語り出したイノリに一騎は首を傾げた。

 なぜ、突然凛音の話が?


「魔力制御の訓練をしてる時にね、芳乃に聞かれたんだ。『一ノ瀬一騎と別れる覚悟はあるのか?』って。もちろん、その時はそんな気持ち微塵もなかった。絶対に離れ離れにならない為に特訓してるのに、どうして? 芳乃に問い詰めたんだ。そしたら、芳乃はこの事を予想していたんだよ」


 一騎は言葉を失う。

 凛音とイノリがそんな話をしてるなんて知らなかった。

 仲間になったとは言え、未だに凛音のイノリの溝は深いと思っていたのだ。

 まさか、イノリの内情に踏み込む程の会話をするなんて思いもしなかった。

 呆然とする一騎を見て、イノリは微笑む。


「芳乃は言ったんだ。『離れ離れになっても、気にするな。一度繋がった絆は絶対に壊れない。あたしがそうだったんだ』って」

「凛音ちゃんが?」

「うん。私もビックリしたよ。けど、今なら芳乃の言葉もわかる。離れていても心はいつも一緒。想い合う限り、永遠の別れなんて絶対に来ないって。それが本当の絆だって」


 イノリの頬に涙が伝う。

 イノリは涙を流していた。

 止めどなく溢れる涙。

 けれど、大丈夫だよ。と一騎に微笑んで。


 辛いはずがない。

 悲しいはずがない。


 まだ、恋人らしい事は何も出来ていない。

 思いだけしか通じ合っていないのだ。


 話したい事もまだ沢山ある。

 けど、時間がそれを許さない。


「でもね、心の繋がりだけじゃ寂しいよ。辛いよ……」

「イノリ……」


 イノリは一騎に抱きついた。

 一騎の存在を確かめようと力強く抱きしめる。

 一騎も同じだった。


 涙を堪え、イノリの震える身体を力強く抱きしめる。


 確定した別れ。

 絶対に訪れる永遠の別離。


 いくら心が通っていようとも、年頃の二人に、この別れは、余りにも残酷だ。

 だからこそ、一騎とイノリは求めた。


 より深い繋がりを。


 十年前のおまじない。

 そして勇気をくれる誓い。


 二人は自然と唇を合わせる。


 子供の時のような唇を触れさせるだけのキスではなく、あの時の血の混じったキスでもなく。


 互いの舌を押し合い、唾液を交換するような深いキスだ。

 

 透明な雫の橋が二人の唇を繋げる。

 一騎は脱力したイノリの身体をそっと横たえた。


「ごめん、僕にはこんな事しか思いつかない。一時だけでもいい。心だけじゃなく、身体も繋がりたいんだ。君の温もりを忘れたくない」

「……私もだよ。心だけじゃない。一騎君が隣りにいたっていう証が欲しいよ」


 もう、言葉は不要だった。

 

 二人を乗せたベッドが絶え間なく揺れる。

 部屋から漏れ出す程の声が出ようと二人は気にしなかった。

 それほどまでに、一騎とイノリはこの最後の時間を何よりも尊んだ。

 二人は朝日が昇る最後の一時まで――

 最愛の恋人との最後の夜を一緒に過ごすのだった。

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