《魔人》の記憶
「あの~リッカ、さん?」
正座したクロムの前で鬼の形相を浮かべるリッカ。
恐る恐るといった様子で一騎は二人に声をかける。
「あら? 一騎君? 目が覚めたのね?」
「リッカさんも、お元気そうで」
「もう元気が有り余ってるわ~だって、ねぇ?」
ジロリとその眼光がクロムを睨んだ。
ビクリと肩を揺らすクロムに青筋を浮かべながらリッカは続けた。
「こんな馬鹿ばっかりの集まり放って寝てるわけにはいかないわよねぇ~?」
「……お、俺としては、寝ていてもらいたいんだが?」
「それを貴方が言う?」
鋭い目つきのリッカにクロムはたじたじだ。
一体何があったのか……
戸惑う一騎にイノリがこっそりと耳打ちをする。
「……実はね、一騎君が……その、気を失った後に、クロムさんが飛び出したの。それをずっと怒ってるみたいなの」
「クロムさんが? 戦場に?」
「うん。魔力の暴走も考えずに飛び出してね。今は平気そうな顔をしてるけど、この戦いで一番の重傷者は間違いなくクロムさんだよ」
一騎は青ざめた表情を浮かべ、クロムを見つめた。
クロムがアステリアから飛び出した。
それは、すなわち魔力の暴走を意味する。
クロムの強大な魔力はギアの力だけでは制御出来ない。
アステリアや『周防』といった外部に魔力を漏らさないマナフィールドと呼ばれる設備がなければクロムの魔力を抑える事が出来ないのだ。
ゴクリと生唾を嚥下する。
クロムの魔力が暴走しなかったのは本当に奇跡だった。
だが、その代償は大きい。
「で? どうするのよ? その怪我?」
「……うむ」
リッカの追求にクロムはバツが悪そうに顔を顰めた。
一騎は困惑した表情を浮かべ、リッカに尋ねる。
「あの……クロムさんの怪我って?」
「簡単に言うと、魔力の暴走よ。この馬鹿ったら根性だけで暴走する魔力を制御しようとしたみたいなの。おかげでイクシードも魔力も暴走ギリギリ。いつ《魔人》に堕ちてもおかしくない状況なの。本当は隔離している方がいいんだけどね、彼がいないと特派が機能しないから」
「魔力の……暴走? それってギアで制御出来ないんですか?」
「そのレベルをとっくに超えているのよ。今はアステリアとギアの二つで何とか押さえ込めているけど、おそらく時間の問題ね。あの時、芳乃総司が撤退してなければ《魔人》がもう一人増えてた事になるわよ? わかってるの?」
「……だが、大切な女性に手を上げられて黙っていられる男はいないだろう? 俺は、自分の行動に後悔はしていない」
キッパリと言い切るクロム(正座のままだ)にリッカは顔を赤く染め、そっぽを向いた。
余程恥ずかしかったのか、ベッドのシーツをたぐり寄せ、口元を隠すと。
「……このバカ」
ほとんど消え入りそうな声音でそう囁く。
途端に広がる二人の世界に、一騎とイノリ、そして結奈の三人は何とも居心地が悪くなる。
「これ、僕たちお邪魔じゃないかな?」
「……その気持ちわかるわ」
「けど、一騎君が目を覚ましたらここに来るように言ったのはリッカさんだから……」
帰れない。
三人はアイコンタクトをとると深くため息を吐く。
まずはこの甘い空気をどうにかしないと……
大人の恋愛の駆け引きを知らない三人は、途方に暮れるのだった。
◆
そして、クロムとリッカの雰囲気が落ち着いたのはそれからしばらくしての事。
リッカは恥ずかしそうに咳払いを何度か繰り返した後、一騎に深々と頭を下げた。
「ありがとうね、私を助けてくれて」
「い、いえ……そんな、頭を上げて下さいよ」
「ううん、下げさせて。私は、一人で勝手に行動して、みんなに迷惑をかけたのよ? むしろ、この程度じゃ足りないの」
「……でも、どうしてリッカさんが《魔人》に? 芳乃総司の仕業だって事はわかるんですけど……」
そもそもの接点がわからない。
口を濁す一騎にクロムは険しい表情を浮かべ、言い淀むリッカに変り口を開いた。
「それは、リッカ君がいち早く、俺達の敵の正体に感づいたからだ」
「敵ですか?」
張り詰めた空気の中、結奈がおずおずと手を上げた。
「あの、その話、私が聞いても大丈夫なんですか?」
「あぁ、問題はない。いや、むしろ、知っておくべきだろう。我々との関係を持った以上、君も狙われる可能性は十分にある。敵の正体を知っておいても間違いはないだろう」
「そう、ですか」
肩を振るわせ、心配そうな表情を浮かべる結奈の手を一騎とイノリが握る。
「大丈夫、結奈は僕が守るから」
「私も、だよ」
「二人とも……ありがとう」
笑顔を覗かせる結奈に二人とも安堵の吐息をもらす。
力を持たない結奈を守れるのは、一番近くにいる一騎とイノリだけだ。
もしもの時は、全力で結奈を助ける。
その意思を感じ取ったのか、クロムも大仰に頷いた後、一騎に敵の正体を教えるのだった。
「俺達の敵――それは、この国そのものだ」
「この国? つまり日本ですか?」
「あぁ。その上層部。この国の政府が俺達の持つイクシードを狙って暴走していると見て間違いないだろう」
「イクシードを?」
「あぁ。だが、現状、この国を支配しているのは、芳乃総司ただ一人だろうがな。政府は彼の力に屈服している状態だ」
「あいつが……」
「あぁ、凛音君の養父にして、そして恐らく、この世界で初めて魔力に感染した男だ。その力は強大。《門》の能力だけじゃない。リッカ君の《複製》の力まで持っているからな。彼が力を取り戻せば本格的に俺達を潰しに来るだろう」
「力を取り戻す? それってどういう意味ですか?」
「イノリ君、一騎君にあの事は?」
「話していませんよ」
「うむ、そうか」
顎に手を当て、何事かを考えるクロムに一抹の不安を一騎は抱く。
考えてみればおかしな事だらけだ。
それほどの強大な力を持つ敵を相手に何故、一騎達が無事だったのか。
そして、力を取り戻す――という意味。
クロムは言いにくそうな表情を浮かべながらも、一騎の目をしっかりと見据える。
「いいか、一騎君? 君は凛音君が倒された後、暴走したんだ」
「暴走? 僕が?」
「あぁ、俺達はこれまで君に言っていなかった事がある。最初に《魔人》に襲われた夜の事を覚えているか?」
「えぇ。忘れるわけないじゃないですか」
「いや、君は一つだけ忘れている事がある。あの夜、イノリ君は間に合わなかったんだ。君を助ける事が出来なかった」
「え……?」
ちょっと待て。
イノリが間に合わなかった?
それはおかしい。
なら、何故、今もこうして無事でいられる?
あの時の僕は何の力も持っていなかったはずだ……
「待って下さいよ。おかしいじゃないですか。なら、僕がこうして生きてるのは?」
「それは、君が《爪》の《魔人》を倒したからだ。魔力が暴走して《魔人》と堕ちた君自身の手で」
「は……?」
(僕が《魔人》に?)
「嘘だ。だって僕は……」
「あぁ。君はこの世界の住人だ。だが、魔力をその身に宿している。暴走する可能性は十二分にある」
「……あ、あの……その封印した人は?」
当時の一騎はイクスギアを持っていなかった。
イノリが間に合わなかったとなれば、一体誰が《爪》のイクシードを封印したのか……
最悪の予想が脳裏を過ぎる。
そして、その記憶が唐突に一騎の中に蘇ったのだ。
きっかけは暴走した事を自覚したからなのか。
それとも、一騎の中に眠る、イノリの形をしたもう一人の人格が見せた記憶なのか。
断片的に記憶が脳裏に焼きつく。
それは、凛音が倒された後の一騎の暴走。
黒い《シルバリオン》を纏い、総司を追い詰めた姿。
そして――
蘇るのは記憶だけじゃない。
あの夜。
《魔人》を刺し貫いた感触が克明に蘇ったのだ。
破壊衝動に呑まれ、《魔人》を嬲り、そして――この手で殺めてしまった記憶が……
「うぷっ……」
一騎は口元を抑えて蹲る。
走馬燈のように蘇った記憶の中で確かに見た。
《魔人》を殺した記憶。
泣き叫ぶイノリの姿を――
あぁ……ようやく思い出した。
「僕が……殺したんだ」