十日間の余命(挿絵あり)
破壊の爪痕は総司を中心に波紋のように広がり、商店街だけで無く、周囲一帯を廃墟へと変えていた。
《次元崩壊》――イクスゴット最大の切り札であるその一撃は十年前の大震災を再現する力だ。
異世界へと渡る力――異次元へと移動するエネルギーの全てをこの世界に解放する荒技。
世界と世界を隔てる領域に穴を開けるほどの力を破壊のエネルギーとした《次元崩壊》はまさに天変地異にも匹敵する一撃だ。
総司の手から放たれたエネルギーは空間を歪ませ、そこに存在する全てを次元の歪みの力によって完膚なきまでに破壊する。
防御する事など不可能に近い。
この世界一つを破壊出来る力に抗う術などないのだから。
廃墟となった街区に一人佇む総司。
目の前にいた一ノ瀬一騎の姿はそこにはない。
代わりにあるのは一騎が《魔人》と堕ちたリッカから封印したイクシード《複製》の結晶だけだ。
総司の口元がニヤリと破顔する。
それは完全勝利による愉悦から生じた笑みだ。
「ク、ククク……クハハハハッ!!」
声を高々に総司は笑い声を響かせながら、地面に転がった《複製》を拾い上げる。
ついに手に入れた。
神となる最後のピースを。
この世界と異世界――二つの世界を手中に収める為に総司が欲したのは異世界を渡る力だけではない。
イクシードだ。
全てのイクシードを手に入れ、全ての力を手に入れてこそ、真の強者――すなわち神へと至る事が出来る。
この《複製》のイクシードはそれを可能とする力を秘めたイクシードだ。
この世界に存在する二十個のイクシードをちまちまと回収する必要はもうない。
総司が記憶するイクシードの力を再現出来るこの力があれば、今すぐにでも二十個のイクシードの力を再現出来るだろう。
醜悪に染まった総司の笑みは、この世界に詰めをかけた事に他ならない。
だが――
その笑みは長くは続かなかった。
総司の視線の端に陰った閃光が総司の笑みを吹き飛ばしたのだ。
まさにそれは条件反射ともいえる。
命の危険が差し迫った総司は咄嗟に身体を異次元へと移送させる。
そして、眼前を迸る白銀の閃光に、緩んでいた警戒心が一気に跳ね上がったのだ。
砕けた氷の剣を携えた少年。
《氷雪》で覆われた氷の鎧は無残にも砕け、原型は留めていない。
ギアのバリアフィールドを突破したダメージは彼の身体に数え切れない程の裂傷を刻み、どうして立っていられるのか不思議でならない。
満身創痍といえる状態。
出血が傷に比べて少ないのは、氷で止血したからだろう。
だが、それでも、彼は額にビッシリと脂汗を浮かべ、されど苦悶の表情を覗かせること無く、総司に砕けた切っ先を向けた。
「……まだ、勝負は終わって、ねぇぞ」
息も絶え絶えに漆黒のギアを纏った少年――一ノ瀬一騎は唸るのだった。
◆
《次元崩壊》が一騎を襲う直前。
一騎はまさに天性の才能とも呼べる戦闘センスを駆使して、その一撃を逃れていたのだ。
全面に展開した氷の壁の数は数百にも及んでいた。
その全てを暴走した魔力を纏わせ、強化した上で、破壊のエネルギーに備えたのだ。
むろん、その程度の守りは紙くずのように容易く砕け散る。
だが、それでも、衝撃が一騎を砕くまでに一瞬とはいえ、猶予を稼ぐ事は可能だ。
一騎は衝撃から逃れる為に、魔力を推進剤として空高く跳んだ。
それと同時に、氷で作った一騎と瓜二つの虚像を設置。
そして、『一騎は衝撃に巻き込まれて死んだ』という信憑性を上げる為にリッカから封印したイクシードを捨て置き、フェイクを作ったのだ。
空中に逃れたからと言って、衝撃から逃れる事は出来ない。
だが、それでも直撃だけは避ける事ができ、一命を取り留めた一騎は、虚像の一騎を倒した事に警戒を緩めた一瞬を狙って、研ぎ澄まされた一撃を放った。
だが、そこで、一騎の予想を上回る行動を芳乃総司はとってみせた。
まるで戦いの経験がない、素人同然の総司が一騎の一撃をギリギリとはいえ避けたのだ。
ギアの性能差。そして一騎の受けたダメージもあるだろう。
だが、それ以上に、総司がイクスギアを使いこなし始めてきた。
それこそが一騎に畏怖の感情を抱かせていたのだ。
切っ先を総司に向けながら、一騎は動揺する心を落ち着けていた。
勝利の為の布石はすでに施してはいる。
だが、その力が発動するまでにはもう少し時間がかかるだろう。
それが僅かな間とはいえ、一騎には《イクスゴット》の攻撃を防ぐ手段がなかった。
一騎を窮地に追い込んだ《次元崩壊》――あの一撃を防ぐ手段がもう存在しないのだ。
空中に逃れる事も次は叶わないだろう。
芳乃総司は異次元へと避難するのと同時に、一騎が破壊の一撃から逃れた真相を解き明かしていた。
ならば、次は地上だけじゃない。破壊の一撃は天空すら穿つだろう。
ここに来て、一騎は改めて黄金のギアの力に戦慄する。
暴走する力を纏ってもまだ届かない。
《氷雪》の力を全て引き出してもかすり傷を負わせるのがやっと。
そして、今、総司の手には全てのイクシードを複製する事が出来る力がある。
あの力を使えば、《氷雪》だけじゃない。
もしかしたら、今の一騎の力すら複製してしまうだろう。
今の一騎の本来の力は、恐らく《門》の力に匹敵する能力。
未だ、その力は不完全。
だが、この力をくれてやる気は毛ほどもない。
渋面を浮かべる一騎。
そして――
膠着した戦場の直中に、突如として変化が訪れたのだ。
一騎と総司の間に爆音が響き渡る。
吹き飛んだ瓦礫が二人の視線を遮った。
「俺の仲間にこれ以上の手出しはさせん」
土煙の中から野太い声が轟いた。
一騎はもちろん。特派の詳細を知る芳乃総司もその存在の正体に気付いた。
特派の司令にして、召喚者最強の人間。
クロム=ダスター
土煙から姿を現したクロムは憤怒の形相を携え、総司を見据えた。
鬼のように逆立った深紅の髪が彼の怒りを如実に語る。
ギアの魔力抑制をもってしても溢れ出す魔力。
それはこの場にいる誰よりも桁外れの魔力量だ。
クロムの魔力はたちどころに暴走の変調をみせた。
噴出した魔力が黒色へと変る。
それが、クロムの身体を苛む寸前。
「――ハァッ!!」
クロムは全身に力を入れ、喝を入れた。
途端、霧散する黒色の魔力が一騎と総司の視界を遮る。
予想の遙か斜め上を行く事態に、初めて黄金のギアを纏った総司が狼狽えた。
「ば、馬鹿な……暴走する魔力を気合いだけで制御した……だと!?」
それがどれほど埒外な行動であるか――それはこの場にいる誰もが痛感していた。
総司のようにこの星の次元から逃れる事で魔力の暴走を抑える事もせず。
一騎のように《氷雪》によって魔力を封印するでもなく。
暴走する力に呑まれるでもなく。
ただ、気合いだけでねじ伏せたのだ。
この世界の理を。
召喚者を拒むこの世界の法則をねじ曲げてみせたのだ!
「……化け物かよ、おっさん」
その光景を目の当たりにした一騎は眉間に皺をよせながら呟く。
クロムは一騎を見据えると静かに口を開いた。
「君もいい加減、一騎君に身体を返すんだ」
「……ッ!」
その一言に一騎が瞠目する。
クロムは察しているのだ。
今の一騎の正体を。
一騎の纏う力の正体を。
その上で、退けとクロムは言ったのだ。
「冗談だろ? 俺に任せておけばあの金ピカを殺せるぞ」
「それは俺達の本意でもなければ一騎君の意思でもない。君は彼に十字架を背負わせるつもりか? それが君の意思なのか?」
「……俺は、俺に刃向かってきた間抜けに容赦しないだけだ。あいつは関係ない」
「いや、関係あるとも。君も一騎も同じだ。傷つき、傷つけることに涙を流す。どこにでもいる子供と変らない。だからこそ、これ以上、自分を苛めるな」
「ずいぶんと甘い評価だな。敵は殺す。じゃないと周りは敵だらけだ。守りたいヤツを誰一人守れない。俺は、ゴメンだね」
「……やはり君もそうなのか」
「……あの馬鹿の中で眠ってるんだ。似てても不思議じゃねえさ」
「ならばこそ、ここは俺に譲ってくれ?」
「はぁ? どうしてだよ?」
「決まってるだろ?」
クロムはいきり立つ感情を前面に出し、力強く拳を握る。
「惚れた女に手を出されたんだ。黙っていられる男がどこにいる!?」
それこそがクロムが本部を飛び出した理由だ。
今のクロムは一つの組織を預かる司令官としての役目を捨てている。
たった一人の女の為。
惚れた女の為に戦場へと飛び出したのだ。
組織としてはあり得ない判断。
だが、感情面では、クロムの行動を推し量る事も出来る。
そして、その気持ちを一騎は誰よりも理解していた。
守りたい人達の為に戦う。
暴走した魔力を帯び、肉体という器を一時的に借り受けた今の人格であってもその根幹は変らない。
だからこそ。
「いいぜ」
一騎は後ろに下がった。
黒いギアが光の粒子となって解けていく。
暴走した魔力が一騎の内へと戻り、白銀の髪が元の黒色へと戻っていく。
そして、変身が解除される刹那。
一騎はポツリと零した。
「この馬鹿に伝えておいてくれよ。次に間抜けを晒したら俺がお前の身体を奪うって」
「……いいだろう。そうならないように、俺が一騎君を戦士にしてみせる」
「……期待してるぜ、おっさん」
終に解ける黒色の《シルバリオン》
《氷雪》で止血されていた傷が開いたばかりか、全身の疲労により、一騎はその場に崩れ堕ちるとそのまま意識を失うのだった――