黄金のイクスギア
どうして、リッカさんが……
腕の中で浅い呼吸を繰り返し、苦しそうな表情を浮かべるリッカの姿に一騎は頭を抱えたくなった。
リッカと別れたのはほんの数日前だ。
結奈が『周防』に訪れた時だ。
あの時、別れ際にクロムが語った言葉が一騎の中で蘇る。
(クロムさんは、こうなる可能性を疑って……?)
リッカの《魔人》化――それは、考え得る限り、最悪の事態と言えるだろう。
特派の頭脳とも呼べる人だ。
そんな人物が《魔人》へと堕ちたと知られれば特派の信用は地に堕ちる事になりかねない。
いや、そんな事より。
(どうしてイクスギアを装備してないんだ?)
リッカの手首には彼女を魔力の暴走から守る要――イクスギアがなかったのだ。
ギアがなければ、魔力の暴走から身を守れない。
そんな事、誰よりも知ってるはずなのに。
どうして……
「その人、もしかしてお前の知り合いか?」
尽きる事のない疑問は凛音の言葉によって遮られる。
「あぁ……アステリアの……イクスギアを造った人で、僕たちの仲間だ」
「ギアを? そんな人がどうして《魔人》に?」
「わからないよ。イクスギアも装備してないし、どうしてこんな事に……」
「その答えはただ一つ」
突如、その声が響き渡る。
一騎と凛音、そしてリッカしかいないこの場所に第三者の声が轟いたのだ。
油断していた事もあって、その存在に気付くのが致命的に遅れた。
一騎は一気に警戒心を限界まで引き上げ、リッカを庇うように抱きかかえる。
「あ……」
ぽつりと。
ほとんど聞き取れない声量で凛音が言葉を漏らす。
それは、言葉と言うよりは怯え。
気になった一騎は視線だけを凛音に向け、
そして――一騎は再度、言葉を失った。
あの凛音が震えている。
今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、蒼白となった顔色で、ただ一点を見つめる。
手足は震え、握りしめた拳銃がカタカタと震えていた。
一騎は凛音の視線を追うように首を動かし、そして対面する。
諸悪の根源。
芳乃総司と――
「お、親父……」
「え? 親父!?」
凛音が漏らした一言に一騎は驚愕の眼差しを向けた。
黒いジャケットを身につけた好青年なイメージを抱かせる男性。
どう見ても年齢は二十代だろう。
とてもじゃないが、凛音の父親とは思えない。
一騎の驚きも当然だった。
「あ、あぁ、十年前、あたしを拾った変わり者だ。もっとも変ってるのは外見だけじゃねえけど……」
吐き捨てるように凛音が毒づく。
「心外だな。これでも私なりの愛情を注いで育てたつもりだったんだが、まさかこれが反抗期と言われるものかな?」
「誰が『育てた』だ。魔力の暴走に犯されて眠ってるあたしをただ保護していただけで……」
「それでも、君の命を繋ぎ止めるのは苦労したんだよ。《門》に放り込んで魔力を沈静化させる手段もあるにはあったんだけど、魔力感染から魔力が体内に馴染むのに、どれ程の時間を必要とするのか興味があったからね。その手段は選べなかったんだ」
「あんたはどこまで……」
「これも、愛だよ、凛音。君が可愛いから仕方がないんだ。ほらよく言うだろ。我が子を谷から落とすって。あれと同じだよ」
苦虫をかみ殺した表情を浮かべ、凛音が押し黙る。
目尻には涙が溢れ、噛みしめた唇はわなわなと震えていた。
この男にはおおよそ人が持つべき愛情というものが欠落している。
その事を思い知った凛音は決別の意味も込めて涙を流す。
愛情も親愛も何もない。
この男は、ただ研究対象として凛音を観察していたに過ぎないのだから。
◆
「……貴方が凛音ちゃんの父親だって事はわかりました」
一騎は涙を流す凛音を守るように総司の前に立つと険しい表情を覗かせる。
「貴方が最低の父親だって事も理解出来たつもりです」
「……初対面なのに馴れ馴れしいぞ。一ノ瀬一騎」
凛音を庇うように立ちふさがった一騎の存在が気に障ったのか、総司は険のある表情を見せ、一騎を睨む。
「言葉通りでしょう。凛音ちゃんを娘とも思っていない。貴方の言動からそれがよくわかりましたよ」
「娘とは思っているよ。互いにこの世界で魔力という恩恵を受けた家族だとね。私にとって、君もその一人なんだが?」
「まさか。僕の家族は貴方じゃない」
一騎にとって家族と呼べるのは実の両親であり、震災後、一騎を養って、そして結奈と同じくらいに愛情を注いでくれた友瀬家のみんなだ。
愛情を持たないこの男に家族を名乗る資格も凛音の親を名乗る資格もない。
聞きたいのただ一つ。
「貴方は誰だ? どうしてここにいる?」
避難警報はまだ解除されていない。
なのに、地上にいる――警戒するには十分すぎる。
そして、彼は口を滑らした。
凛音を《門》に放り込めばよかった。
共に魔力を宿した家族だと。
「凛音の父親だが? 娘が心配で駆けつけた。親なら当たり前じゃないか?」
平然と嘘をつく総司に一騎の額に青筋が浮かぶ。
「まさかこの状況でそんな嘘を信じろと? 冗談でしょ?」
怒りを含んだ一騎の物言い。
総司はポカンとした表情を浮かべ、その数秒後、破顔した。
醜悪な笑みを隠すように顔を手で覆った姿はさらに嫌悪感を募らせる。
「くはは……! 面白い! 面白いぞ! 一ノ瀬一騎! そのまさに微塵も信じないその瞳! あぁ、実に不愉快だ!」
言動とは裏腹に腹を抱えて笑う総司。
「何がおかしい」と一騎が吠えそうになったところで、ビシッと人差し指を一騎に向けて、総司はニヤリと嗤った。
「いや、君の想像通りだ。私がここに来たのは凛音の為じゃない。いや、半分は凛音の為だが、全てじゃない。私の目的は彼女だぁ」
総司の指先がリッカへと向けられる。
リッカの表情は依然として険しく、脂汗を浮かべ、呼吸も荒い。
ただでさえ、魔力が暴走した直後だ。
それに魔力を封印する為のギアもない。
アステリアへの搬送を急ぐ必要があるが……
目の前の男がそれを許すとは到底思えない。
恐らく、全力で阻止してくるだろう。
それほどの敵意を目の前の男から感じるのだ。
だから一騎はリッカを守る為に、少ない魔力を練り上げながら、総司を迎え撃つ。
「リッカさんを? どうして?」
「決まってるだろ? 彼女のイクシード。それ以外に何の価値がある? 《複製》――素晴らしい力じゃないか! イクシードを生み出す力。まさしく――世界を手にする私にこそ相応しい力だ」
「それが理由で……貴方は……」
「むろん、それだけが理由じゃない。見たまえ」
総司はジャケットを捲り上げると、手首に輝く黄金のギアを一騎達に見せつけた。
総司のイクスギアを見た一騎と凛音が呼吸を忘れる程の衝撃に襲われる。
「な、なんで……親父がイクスギアを……」
凛音が震える声音でポツリと零す。
動揺が隠し切れていない。
それは一騎も同じだったが、少なくとも凛音よりは落ち着いていた。
この男の言動の端々からある大方の予想は出来ていたからだ。
「君は驚かないんだね、一ノ瀬一騎」
「えぇ、リッカさんからギアを奪った。そのくらいは想像できますよ」
「なら、これは想像できたかな? 私がありとあらゆる拷問を使い、彼女の体と精神をいじめ抜き、このギアを私ように改良させたことを」
その瞬間、一騎から、おおよそ理性と呼べる感情が吹き飛んだ。
リッカをゆっくりと横たわらせ、次の瞬間には怒りに染まった形相で、イクスギアに《氷雪》を装填。
残った魔力を全身に駆け巡らせた。
バチバチと手首のギアが放電する。
一騎の激情に呼応するように高まった魔力は、起動認証を待たずに一騎の体を白銀の輝きで覆う。
「……あんたは俺が倒すッ」
何時になく怒りを内包した一騎の言動に、総司はやれやれと言った様子で肩を盛大に竦めた。
「できれば穏便に済ませたいんだ。君達はあまりにも弱すぎる。神の威光を目にする事さえ出来ないだろう」
「それが最後の言葉でいいんだな?」
「……君こそ、言葉に気をつけたまえよ。神の御前だぞ?」
互いに言葉はいらない。
一騎は、守る為じゃなく、目の前の男を、芳乃総司を倒す為だけに、その名を叫ぶ!
「イクスギア――フルドラィィィィィィィィブッ!!」
その直後。
「《イクスゴット》――降臨」
黄金の輝きが芳乃総司の体を覆い隠すのだった――