知られた秘密
突如鳴り響いた避難警報に小さな映画館はパニックに陥った。
それも当然。
地盤変化で大地震が頻発するようになったとはいえ、ここまで連続して警報が鳴るなど、ここ十年、一度もなかったからだ。
この異常事態に館内にいた人達は冷静さを失い、慌てふためいてショッピングモールの地下に併設されたシェルターへの避難を急ぐ。
友瀬結奈もその一人だった。
「嘘? また地震?」
不安にポツリと漏らした一言。
それはこの館内にいた人達の心境を代弁したものだ。
すぐにシェルターへの避難を考え、視線をエレベーターや非常用階段などに向ける。
だが、どこも人がごった返し、とてもじゃないが避難出来る状態ではない。
最上階というのが仇になった形だ。
地下のシェルターから一番離れている事もあって、全員の顔に焦りが滲み出ている。
避難誘導に全力を尽くショッピングモールのスタッフ達も焦燥感を滲ませ、必死になって声を張り上げているが、その効果も薄そうだ。
(シェルターへの避難は……すぐには無理そうね……)
ならばどうするか。
避難警報が鳴って、地震が発生するまでの猶予はおよそ二十分。
もちろん、その時間内に地震が発生する可能性もある。
迅速な避難が求められるわけだが――
結奈はふと、ある疑問に囚われた。
おかしい。
会場はパニック。
喧騒で溢れかえる館内にあって、一緒にいた二人の悲鳴がまるで聞こえない。
不安を吐露する事も、悲鳴を上げる事も、パニックになる事もなく、何をしているのか――
不安に駆られた結奈は二人へと視線を向けた。
◆
「はい――はい。わかりました」
本部との短い通信を終えたイノリは一騎へと視線を向けた。
まだ、ギアの扱いに難の残る一騎に代わってイノリが本部との回線を開いたのだ。
イノリが状況を伝える。
このショッピングモールから一キロほど離れた商店街で、突如として《魔人》が出現したらしい。
この《魔人》はこれまでの《魔人》とは発生状況がかなり異なるそうだ。
特派の監視の目を逃れて、突如、出現したらしい。
まるで次元を渡ってきたかのような出現の仕方に、本部はこの《魔人》こそが最後の――《門》の能力を持つ《魔人》であると断定していた。
だが、一騎が懸念したのは、《魔人》の出現場所だ。
「商店街に!? そんな人が多い場所に……」
「落ち着いて。被害はまだ出てないみたい。司令の報告だと、この《魔人》なんだか様子がおかしいの。人を襲うわけでもなく、暴れるわけでもなく、ただジッとしているらしいの」
「ジッと? 動いてないの?」
「うん。確かに大勢の人に《魔人》は目撃されたけど、怪我人は一人も出てないし、今なら、まだ《魔人》の情報を隠蔽出来るかも知れない」
人に被害を与えていないなら、イベントショーやコスプレなどでいくらでも情報を操作出来るらしいのだ。
ならば、いち早く《魔人》を封印する事が状況打開の鍵となり得る。
「だから、一騎君」
「うん。大丈夫。まだ被害が出てないなら、僕が――」
と言いかけたところで、不意にその続きが遮られた。
「一騎? イノリ? 何の話をしてるの?」
ビクリと二人の肩が震える。
避難警報で冷静さを欠いていたのはどうやら一騎もイノリも同様だったらしい。
ここがどこか。
そして、一緒に遊んでいたのは誰か。
その事をすっかりと失念していたのだ。
恐る恐るといった様子で二人の視線が友瀬結奈に向けられる。
結奈の表情はひどく怯えたもので、二人を見つめる視線も懐疑的なものだった。
何より――
「イノリ、ま、マジンって何? それに、そのブレスレット、いつから?」
結奈の視線がしっかりとイノリの腕に装着されたイクスギアに向けられていたのだ。
驚きに動揺を隠せないイノリは目を見開き、硬直していた。
それは一騎も同様だ。
(聞かれた!? 見られた!?)
イクスギアは、一般人の目を誤魔化す為の認識錯乱の機能が備わっているが、不信感を抱いたり、ギアをギアと認識する事で、その錯乱能力は機能を失ってしまう。
恐らく、本部との通信を結奈も聞いてしまったのだろう。
そして、その時にイクスギアの存在に気付いてしまった。
そして――
「一騎も同じ、ブレスレットつけてるよね? それ、何なの?」
一騎は思わず歯がみする。
イノリのギアを知られたということは、一騎のイクスギアの錯乱能力も機能していないということだ。
一騎にとって、日常の象徴でもある結奈にだけは知られたくなかった事実が、知られてしまった。
だが――
今の一騎達には事情を説明している時間も惜しい。
「ゴメン、結奈、今は言えない」
「え? ど、どうして……?」
「時間がないんだ。イノリ、結奈の事は任せても?」
「……う、うん。大丈夫だよ。結奈の事は私が守るから。だから一騎は行って」
「ありがとう」
一騎は苦渋の決断の末、イノリに結奈を預ける事を選択する。
どのみち、もう隠し通せないだろう。
全てを結奈に説明しないといけない。
《魔人》のこと。イノリ達のこと。そして、一騎のことを。
だが、その前に――
この最後の《魔人》を封印する事が何よりも一騎の心を駆り立てるのだった。
◆
一騎が地下ではなく、屋上に向かって走り出した姿を見届けてから、結奈は鋭い視線をイノリに向けていた。
ここ数日の一騎の不可思議な行動。
それが、今日のあの言葉に繋がっているのだと、察していたのだ。
イノリと一騎は何かを隠している。
それも、重大な何を。
周りの喧騒など忘れて、結奈はイノリに詰め寄った。
「ねぇ、答えて。二人は何を隠しているの? そのブレスは何!?」
「そ、それは……」
イノリは言いづらそうに口ごもる。
イクスギア――そして特派の存在は秘匿事項だ。
知れば巻き込む事になる。
この非日常の戦いの直中へと。
すでにイノリの魔力がその身に宿っていた一騎とは事情が違う。
結奈は本当にただの一般人だ。
この事実を口にして、結奈に降りかかる災難が脳裏を過ぎり、イノリの言葉を遮る。
だが――
(結奈は私にとって互いを認め合ったライバル。もう無関係なんかじゃないんだ。それに一騎君にとっても大切な人)
友達や大切な人に嘘を付く。
それがどれだけ辛いことなのかイノリはよく知っている。
一騎に嘘の言葉で傷つけた事も、そして、真実を話せず、《魔人》を殺めてしまった一騎に一方的な敵対心を見せていた頃も。
イノリは傷ついてきた。
嘘で塗り固めるから、嘘を付いた相手も、そして何より、自分自身すら傷つける。
だったら――
(私はもう、結奈に嘘は付きたくない。これからも一騎君を好きでいる為にも。結奈のライバルであり続ける為にも)
「……わかった。全部話すよ。だから、ついてきて」
「え……? ちょ、ちょっと!」
突然、結奈の手を引くイノリ。
イノリに連れられ、結奈もまた、屋上へと姿を消したのだった。