世界を手にする男
「なに、大した話ではありませんよ。十年前、空に黒い孔が現れ、そこから、あなた達召喚者が堕ちてきた。私は偶々その現場に居合わせていただけだ。
その当時は驚いたものですよ。空から人が落ちてきただけでなく、ほとんどが人からかけ離れた姿でしたしね――今の貴女のように」
言われて初めて気付いた。
体の変調に。
リッカの本来の姿はハイエルフと呼ばれる種族だ。
金色の髪に翡翠の瞳はまさにその象徴。
だが、それに加え今は、両耳が長く尖った形へと変っていたのだ。
クロムやイノリのように劇的な変化があるわけではないが、間違いなく、十年ぶりに見る自分の本来の姿に戸惑いを隠せない。
そればかりか――
(魔力が暴走していない?)
リッカの誇る膨大な量の魔力――それが嘘のように沈静化しているのだ。
暴走する魔力――その痛みが引いていた事に驚きを隠せない。
その元凶であろう総司にリッカは困惑に満ちた視線を向ける。
「どういう事なの?」
「まだ、《魔人》と堕ちられては困りますからね。この空間を《門》の力で閉じさせてもらいました。今、この部屋は外の世界とは別次元に存在する。だから、この星の干渉を受けないんですよ」
「なるほど、ね……なら、守護の光よ――」
魔力による暴走の心配がない。
それは、リッカの本来の力であるイクシードはもちろん、異世界の技術である魔法も行使出来ると言うこと。
例え縛られていようと、魔力的な拘束がないただの縄ではリッカの魔力を――唱える魔法を防ぐ事は出来ない。
そのはずだった。
「おっと、この星の干渉を受けないからと言って、本気になられては困りますよ? 貴女だけを《門》の外に弾き出すなど簡単ですから」
総司が指をパチンと鳴らす。
その瞬間――
「あ、ぐぅぅうううううううう!?」
抗いようのない痛みが全身を突き抜ける。
この痛みは魔力の暴走による痛み。
あまりの激痛に詠唱途中だった魔法が不発と終わり、弛緩した股下から透明な雫がリッカの足を伝い、床に水溜まりをつくった。
それを見た総司の口角が吊り上がる。
「ほらね? 貴女を倒す事なんて簡単にできる。《門》の外に弾き出せばいいだけなんだから。余計な抵抗を見せて、みっともない姿を私に見せたくないでしょ?」
再び魔力の暴走が治まり、体中の痛みが引いていく。
俯くリッカの視線の先に広がる透明な水溜まりはリッカの表情が羞恥で赤く染め上げる。
リッカの心が折れたのを確認すると、総司は不敵な笑みを浮かべた。
「話が逸れましたね、召喚されたあなた達を見た時、私は恐怖――とそして歓喜に満ちていた。あぁ、異世界は存在するんだ、と」
「歓喜……ですって?」
「えぇ。ここではない別の世界。その存在に誰しもが憧れを抱く。あなた達を見て、私も同様の歓喜を得たんですよ」
総司は語る。
暴走した《魔人》に襲われ、総司自身もまた《魔人》として暴走してしまった事を。
理性を取り戻せたのは、ほとんど偶然だ。
暴走した《魔人》から核となる《門》を奪い、その力を使って別次元へと逃げ込んだ。
星の呪縛から解放され、意識を取り戻した総司は、体の変化に気付いたのだ。
身に流れる不可思議な力――魔力。
そして、世界を渡る力――《門》のイクシード。
「――私は思った。この力があれば、世界を変えられると。私が勇者や英雄と呼ばれる存在になれると」
「……英雄、ですって?」
熱にうなされたように恍惚と語る総司の表情は、まさに夢に現を抜かされた病人だ。
総司の姿からはとてもじゃないが、英雄的な側面は何一つとてい見いだせない。
狂人――という言葉がしっくりくる程だ。
「えぇ。この二つの世界を手にする男として、私は英雄になる」
「……人はそれを、『魔王』と呼ぶのよ」
「意見の相違ですね。私は世界を手にする行為を『魔王』とは思わない。『魔王』となるのはその後の選択だ。人を救うか、殺すか、その違いだけ。ならば、私の行いは英雄だ」
いくら話したところで、総司の価値観は何一つとして変らない。
そう思わせる程の熱意が総司の語る言葉の端々から感じ取れた。
「だが、十年前、私は一度失敗しているんですよ」
「失敗?」
「えぇ、私が英雄となるには《門》の力だけでは心許ない。だから求めた。異世界の力を。暴走していないイクシードを!」
「ま、まさか……貴方が」
「えぇ、開きました! 異世界へと渡るゲートを! だが、失敗した! ゲートは私に世界を渡る力を与える事はしなかった。その結果があの災害だ!」
「貴方が、あの災害を……大勢の人達を巻き込んだ、あの災害を!」
「違う! 私のせいではない! 私の手から離れ、暴走した力の一部が、引き起こした災害だ! 私じゃない!」
違うっ……
リッカは血が滲み出る程、唇を噛みしめ、総司を睨んだ。
あの災害は全て、この男の身勝手な我が儘で引き起こされた災害だ。
世界を手にしようとした醜悪な望みが生みだした、最悪の災害。
この男は、それを自分のせいだと思っていない。
全ては暴走したイクシードが引き起こした事故に過ぎないと、この男は切り捨てている。
許せない。
許せる行為ではないのだ。
イクシードを手に入れる――というだけで、異世界を侵略しようとした事も。
二つの世界を手に入れる事も。
この男こそが、諸悪の根源。
倒すべき、真の敵なのだ。
「……お前が、いたから……」
「そう。私がいるから、二つの世界は救われる、失われた命も報われるだろう。あの災害は大勢の人の命を奪いはしたが、同時に私に希望を与えてくれた。今の私では二つの世界を手に入れるには力が足らないと。暴走してしまう力を制御出来ないと」
別次元に隠れ潜めば、星からの干渉を受けない。
だが、逆に、こちらかも一切干渉が出来ないのだ。
異世界に渡るには、元の次元に戻り、《門》の力を発動させる必要がある。
それも、暴走させずにだ。
「だが、念願の計画もようやく叶う。貴女のお陰で。貴女が開発したイクスギアのお陰でね!」
総司は歓喜に満ちた表情で、リッカから奪い取ったイクスギアを手の平で転がす。
かつて総司は廃棄された情報からイクスドライバーを制作した。
だが、イクスドライバーは暴走したイクシードを纏うギアだ。
戦闘力こそ目を見張る物があるが、暴走していては意味がない。
だが、イクスギアなら――世界を渡れる。
その最後のピースをようやく手に入れたのだ。
「後は、イクシードをギアとして纏うだけ。協力してもらいますよ。私が英雄となるために。このギアを私ように改良して欲しい」
「……誰が」
「残念ながら、貴女に拒否権はありませんよ」
総司の指がパチンと鳴った。
その直後――
「あ、ぎぃぃいいいいいいいいいっ!?」
椅子に縛られたリッカの体が大きく仰け反る。
激痛に意識が飛び、喘いだ口元からは鮮血が零れる。
暴走した魔力が体中で暴れ回り、体を内から破壊する。
皮膚が裂け、内蔵が痛み、体がバラバラに砕けそうになる。
そして――黒色の魔力がその身から噴き出す直前――
「おっと、これ以上は危険ですね」
総司がリッカを《門》の中へと引き寄せる。
黒色の魔力は瞬く間に霧散し、リッカを苦しめていた激痛が嘘のように引いていく。
だが、体中に刻み込まれた傷は癒えることなく、リッカは涙を浮かべ、痛みに耐える。
「大丈夫。加減なら心得てますよ。《魔人》には堕とさせません。貴女がギアを改良すると頷くその時まではね」
総司は再びリッカを《門》の外へと弾き出す。
再び始まる魔力の暴走。
それはまさしく、地獄のような拷問の幕開けだった――