黒幕
「さてさて……」
車から降りたリッカは目の前に佇む巨大なビルを見上げ、腕を組んだ。
見上げる視線は剣呑に細められ、その表情は怒りに染まっている。
これから足を踏み込む場所が伏魔殿である事を知っていながら、胸中に渦巻くのは、グツグツと煮えたぎる程の怒り。
「これから、どうなる事かしらね」
これが自分にしか出来ない役目であると分かっていながら、リッカは深々とため息を漏らす。
これからリッカが知る内容如何によって、特派の運命は大きく左右される事になるだろう。
もしかしたら、特派としての居場所を失う事になるかも知れない。
だが――
それでも、知らなければならない。
知る必要があるのだ。
そうでなければ、特派は――味方から撃たれる事になりかねない。
リッカは決意を新たに――日本政府の重鎮たちが待ち構える円卓の会議室へと向かうのだった。
◆
「これは、これは、遠路はるばる申し訳ない」
「ええ、そうね」
招かれた会議室に足を踏み入れたリッカを出迎えたのは細身の青年と呼べる男だった。
爽やかそうな表情を浮かべ、揉み手でリッカを迎え入れた青年をチラリと一瞥。
はて?
「……あなた、初めて見る顔ね?」
そう、この円卓の会議室に集まるのは日本政府の中でも特派の事情を知る重鎮たちのみ。
当然、何度も顔を合わせて来た。
だが、今、リッカを出迎えた男との面識がなかったのだ。
青年は「あぁ……」と納得した様子で手を打ち、頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私、芳乃総司と言います。この度、末席に加えさせて頂くことになりました。どうかお見知り置きを」
「そうなの? そんな話は聞いていないけど?」
リッカはジロリと円卓に座る重鎮たちを睨む。
彼らは一様に青ざめた顔を浮かべ、取り繕うように笑みを浮かべた。
「す、すみません。彼が加わったのは先日の事で、連絡するのが遅れてしまった……」
そう語った重鎮の態度はどこがぎこちない。
リッカはその態度を疑問に思いながらも、時間が惜しいと割り切る。
「……いいわ、それよりも早く始めましょう」
今のリッカがアステリアや『周防』から離れて活動していられるのは、もって数時間。
イクスギアに二つの《人属性》を装填する事で、魔力を普段よりもさらに強力に封印している状態だ。
だが、それでももって数時間。
この二重の封印を施してもリッカの溢れ出る魔力を制御する事は叶わない。
成長した魔力を完全に抑えるにはやはりイクスギアだけでは足りないのだ。
ただこの場に居るだけでも暴れ出しそうな魔力に体が引き裂かれそうになる。
リッカは全身を襲う痛みをおくびにも出さず、与えられた席に腰を落ち着ける。
「それで、話とは?」
「とぼけないで、わかるはずよね?」
口調を強く、リッカは周囲を威圧する。
総司だけが涼しげな表情を浮かべる中、青ざめた重鎮たちを見て、リッカは確信する。
「私達からイクスドライバーの情報を盗み出してどうするつもりなのかしら?」
「……そ、それは、何かの間違いでは? 我々が行った証拠はどこにも……」
「あるに決まってるでしょ。特派との関わりを持つのは貴方たち日本政府だけ。そして、イクスドライバーの存在を知っているのも、貴方たちだけよ」
「……いや、私たちでは……」
「あら? あくまで白を切るつもりかしら? けど、残念。こちらにも証拠は色々あるのよ。例えば――」
「私達じゃないッ!!」
追求を続けようとしていたリッカを遮るように、鬼気迫る表情で叫んだ重鎮に思わず体が強張る。
そして、リッカが言い淀む合間に、重鎮たちは青ざめた表情で、助けを求めるようにリッカに視線を投げかけた。
「……私達じゃ……ないんだ」
「……え?」
そのあまりにも鬼気迫る表情にリッカの思考がショートする。
そして、その隙は、彼を前にして、致命的だった。
リッカの視界の端で影が揺らめく。
リッカがその存在に気付いた時、彼――芳乃総司はすでに行動を起していた。
リッカが捉えたのは彼が握る拳だ。
(……まさか、罠ッ!?)
リッカは瞬時に、全ての真相を看破する。
重鎮たちが誰を見て怯えていたのか――
それはリッカの放つ重圧に押されてでは、ない。
すぐ側で柔やかでいながら、殺意を放つ彼の存在に、重鎮たちは怯えていたのだ。
リッカがその視線に気付けないのは当然と言えた。
リッカは研究者であって、クロムやイノリたちのように戦闘に秀でているわけではない。
故に気付かないのだ。
殺意を、敵意を――向けられる害意を察知する第六感が、致命的に欠けている。
「……油断が過ぎますよ。まさか、一人で来るなんてね」
ほくそ笑む総司に、リッカの前身が粟立つ。
逃げろ――と全身が警鐘を鳴らすが、体が思うように動かない。
そして――
大した抵抗を見せる事もなく、リッカの腹部に総司の拳がめり込み――
「か……ふっ」
体に突き刺さるその衝撃は、容易くリッカの意識を根こそぎ奪い去るのだった。
◆
「こ、ここは……」
鈍重な腹部の痛みにリッカはゆっくりと目を覚ます。
視界に広がる光景は、装飾の施された円卓の会議室などではなく、閑散とした薄暗い部屋だった。
明かりの類いは一つもなく、窓もない。
コンクリートの壁に囲まれたこの部屋はさながら独房――といったところか。
「おや? お目覚めですか?」
暗闇の中に男の声が響く。
忘れるはずもない男の声にリッカの視線が鋭くなる。
「無防備な女性のお腹を殴るなんて、いい趣味してるじゃない」
「申し訳ない。あぁでもしないと、貴女をここにお連れする事が出来そうになかったので」
暗闇から這い出た男は、申し訳なさを感じさせもせず、微笑を浮かべリッカを見下ろす。
飛びかかろうともがくが、地面と固定された椅子に縛り付けられたリッカは身動ぎするだけで精一杯。
縄を解く事も出来ずに、ただ悪戯に体力を消耗するだけ。
抵抗を諦めたリッカは深々とため息を吐くと、再び男を――芳乃総司を睨む。
「それで、私になんの用? 貴方が黒幕って事でいいのかしら?」
「黒幕?」
「えぇ、イクスドライバーの技術を盗み出して、凛音を私たちに襲わせた黒幕なのかしら?」
「半分正解ですね」
「半分?」
リッカは怪訝な表情を浮かべ、首を傾げる。
半分とはどういう事だ?
総司は「ええ」と頷きながら、笑みを崩さず続けた。
「黒幕――と私を表現するなら、凛音の件は、真相の半分に過ぎないと言ったんですよ」
そして、男は取り出す。
光輝く水晶を――否、リッカたちが探し求める、最後のイクシードを。
その輝きを見たリッカの表情が驚愕に変る。
「イクシード……ですって!?」
「えぇ。あなた達が《門》と呼ぶイクシードですよ」
「あ、あり得ないわ。だって、そのイクシードは……」
「《魔人》化した最後の召喚者が持っているはず、ですか? 残念ながら、その推測は外れている。正しくは、このイクシードは最初に封印されたイクシードだ」
「な……なんですって!?」
総司は語る。
恍惚とした表情を浮かべ、誰も知らない十年前の真相を。