私は前に進めない
「つまり……僕を試したって事? 本当にイノリと付き合っているのか……」
二人が落ち着き、一騎の涙が引っ込んだ後。
再びお茶を入れ直し、話しを仕切り直した。
ちなみに、今はリビングではなく、一騎の部屋。
机にベッド、テレビに加え、本棚には漫画やゲームがギッシリと詰め込まれた、いかにも男の子らしい部屋だ。
「まぁ、そうなんだけど、思ったより片付いてるのね」
ポツリと漏らした結奈の台詞に一騎は内心ほくそ笑む。
結奈がこっそりと視線を向けたのはベッドの下や本棚の隙間だ。
年頃の男の子がいかにも卑猥な物を隠しそうな場所を結奈は重点的に見た後、そんな感想を漏らしている。
いくら探してもこの部屋から、そんな物は出てこない。
当然だ。
人様にはあまりお見せ出来ないような趣味の類いはこの部屋には一切ないのだから。
禁欲生活を地で行く、まさに理想の部屋だ。
パソコンだってその手の履歴もゲームもない。
それはなぜか。
一騎の秘蔵のコレクション――その全ては地下基地の一角に纏めてあるからだ!
これはイノリにも話していないトップシークレット。
そう簡単に見つかるわけが――
結奈にだけは見つからない自信がある。
イノリも重点的に一騎の部屋をくまなく観察している様子から一騎の秘密を知ってはいないのだろう。
顎に指を当てながら、イノリが呟く。
「やっぱり、あそこにあるのが全部なんだ……」
ポツリと不穏な言葉をイノリが漏らす。
一騎は全身が粟立つ感覚を覚えたが、視線を向けたイノリは素知らぬ顔で小首を傾げる。
(やっぱり、僕の聞き間違いかな?)
そうしよう。
そうじゃないと、心が持たない。
イノリに知られるような事があれば、一騎は立ち直れる気がしない。
なぜなら、一騎のそっち系の趣味は銀髪美少女に傾いているからだ。
もし、イノリが知れば、侮蔑の眼差しを一騎に向ける事だろう。
そうなれば、この二人だけの生活、上手くやっていける気がしない。
(そりゃあ、銀髪の女の子は好きだよ。けど、それはそもそも、十年前のイノリが可愛すぎたのがいけないんだ)
誰に言うわけでもない言い訳を並べる一騎。
当時の記憶は最近まで封印されており、イノリ事をすっかりと忘れていた一騎だが、一騎のコレクションの数々が――心の奥底でイノリの面影を探していたように感じてしまうのだ。
それほどまでに、一騎の趣味は隔たっている。
それは、置いておいて――
「説明してくれるんだろうね? 二人とも」
険のある眼差しで二人を見つめる一騎。
結奈もイノリもバツが悪そうに視線を逸らすが、最初から話すつもりだったのだろう。
真剣な眼差しを一騎に向けるのだ。
「一騎、まずもう一度聞かせて。二人は付き合っているのよね?」
「あぁ」
結奈の問いかけに、一騎は迷う事なく即答。
イノリもそれに続く。
「うん。私達、付き合ってます」
姿勢を正し、真摯な瞳を結奈へと向ける。
結奈は一騎とイノリを交互に見やって――
はぁ~と深いため息を吐くのだった。
「何となく、そんな気がしていたのよ。あの時、一騎が私に相談した時から何かあるって」
「相談?」
まだその事を知らずにいたイノリは首を傾げる。
結奈は「えぇ」と頷いた後、事の次第を話し始めた。
「この前さ、一騎が相談してきたの。『間違っていたかもしれない。イノリさんを守りたいと思った僕の気持ちは間違いだったかも知れない』って泣きながらね」
「ゆ、結奈、それは……」
「黙っていて欲しかった? けど、ゴメン、それ無理だから」
結奈は剣幕のある視線でイノリを見定める。
それは、幼馴染みとして、イノリの事を知る為にだ。
いや、違う。
同じ人を好きになった女の覚悟を見定めに来たのだ。
「私だけが知ってちゃ不公平でしょ。そもそも、彼女には知る権利が、知らないといけない責任があるの」
「責任って、僕はそんなつもりで話したわけじゃ……」
「わかってるわよ。けど言わないと私の気が治まらない。私が前に進めないの。いい? 周防さん。この馬鹿は貴女に否定されて泣いたのよ。私の前で、自分が間違っていたって……私の前で弱い自分を曝け出したの。それがどういう意味かわかる? あの時、一騎に優しい言葉を投げかけて、貴女を忘れさせる事なんて簡単だったって事よ」
「――ッ」
その言葉に初めて、イノリが動揺を見せる。
イノリだってひと目見た時から分かっていたのだ。
友瀬結奈が誰を好きなのか。
それは結奈と同じ。
イノリも同じ人を好きになっていたから、察する事が出来た――女の勘だ。
結奈だけには負けたくない。
この気持ちはイノリも同じ。
だからこそ、結奈の言葉に心を抉られる。
一騎を気遣った言葉の数々が、一騎を傷つけていた事。
その一騎が結奈の前だけで見せた弱さ。
正直、敵わないと思ってしまったのだ。
この人には敵わないと。
いや、違う。
一騎の機微に気付けなかった自分が悔しくて仕方ない。
「わかる? 貴女が一騎をどれだけ傷つけたか。それで、何食わぬ顔で、私の目の前で恋人報告? 正直、正気を疑うわ」
「……その、ゴメンなさい」
「私に謝られてもって感じだけど。貴女、一騎には謝ったの?」
「それは……」
イノリは口ごもる。
まだ、全てを謝れていないのだ。
それほどまでに濃密な数日をイノリも過ごして来た。
《魔人》と堕ちかけた影響で、魔力が暴走してしまい、ここ数日はずっと寝込んでいたのだ。
起き上がれたのは今朝方。
それまで、一騎は学校に行っている時以外は付きっきりで看病してくれた。
付き合い初めたのはあの戦いの後からだが、恋人らしい事は何も出来ていない。
それどころか、巻き込んでしまった事を謝れてすらいないのだ。
「結奈、知ってるだろ、イノリは体調を崩して……」
「寝込んでたんでしょ? 知ってるわよ。同じクラスメイトだし」
学校には病欠扱いで休みを取っている。
けど、それがなんだ? と結奈は鋭い表情を浮かべて見せた。
「正直、貴女の体調の具合だってわかるのよ。そんな病人みたいな顔されてちゃ、強く言えないもの。けど、それとは別。だって、それじゃあ私の覚悟が無駄になるから」
「覚悟……?」
「ええ、そうよ。周防さん、貴女、自分が弱っているのをいい事に一騎と付き合い始めたの? それとも、その気持ちは本気?」
「……本気だよ。十年前、初めて出会った時からこの気持ちは変ってない。確かに、付き合い始めたのは、勢いもあったけど、この気持ちだけは本物」
「一騎は?」
「僕も……本気だよ。イノリが危険な状況だったから好きになったわけじゃない。場に流されて好きになったわけでもない。僕は、初めて会った時からイノリに惚れていた」
「なるほどね……」
結奈はそれで全てを納得したのか、目尻に涙を浮かべ、一騎を見た。
「一騎、もし、あの時、私が一騎に告白したら、一騎は受け入れてくれたの?」
「……ゴメン。きっと受け入れてなかったと思う。結奈は大切な長馴染みだ。けど、僕の心はイノリに向いている。イフだとしても、受け入れられないよ」
「そっか……
聞いた通りよ、周防さん。
私じゃ周防さんに敵わない。けど、これだけは知っておいて。一騎は貴女に否定されて泣いたの。もう二度と一騎にそんな涙を流させないで。もし一騎が泣くような事があれば、私、貴女を許さないから」
「……そんな未来は絶対にこないよ。だって、私はもう一騎君の側から離れないって決めたから。むしろ、私から一騎君を奪えるようなら奪ってみせてよ。貴女が一騎君に抱く想いだって本気なんでしょ?」
それは、イノリなりの覚悟の現れであり、そして、宣戦布告だ。
奪える物なら奪ってみせろ。一騎は誰にも渡さない。もう二度と悲しませたりはしないと。
その強さの表れだ。
それに対し、結奈は目を見開き、呆れたように肩の力を抜いた。
「いいのね? 私が一騎を奪っても」
「奪わせないよ。もう絶対に私以外の人に弱みなんて見せさせない」
「なら、これは私と周防――ううん、イノリの戦いね」
「うん。受けて立つよ、結奈」
好戦的な笑みを浮かべる二人。
そこには先ほどまでの険悪なムードは一切なく、好敵手として相まみえる二人の心地よい闘志が溢れ出ていた。
これで丸く収まったのかな?
なんだか、古傷を抉られたような痛みを感じながら、一騎は苦笑を浮かべ、
そして、先ほどから抱いていた不安を吐露してみた。
「これじゃ、まるで僕がヒロインみたいじゃないか……」
「「え? 今さら何言ってるの?」」
……案外、この二人、仲良くなれるのではないだろうか?
そう思わずにはいられない一騎だった――