最後の希望
お待たせしました!
今回から主人公sideです!
「さて、全員集まったな」
住宅街の直中に佇む一軒家。
『周防』の表札がつけられたこの家は先日、一騎たちの学校に転校してきたイノリが暮らす家であり、それと同時に学生寮の役割を兼ねた場所だ。
今、この家には表向きの住居人であるイノリと一騎。
そして、寮を管理する事務員として特派より派遣されたリッカと――クロムが共有スペースであるリビングへと集まっていたのだ。
「……いや、おかしいでしょ」
一騎は集まった面々を見て、即座にツッコミを入れていた。
どう考えてもおかしい。
百歩譲って、リッカが寮母として『周防』にいるのは納得が出来る。
なぜなら、この『周防』には空中艦と同じマナフィールドが展開されているからだ。
さらに言えば、この家の地下には広大な面積を誇る地下基地が存在し、その基地のメンテナンスや管理もイノリや一騎たちには出来ない。
この家の機能を十全に維持する為にはリッカの協力は必要不可欠だろう。
だが――
「どうして、クロムさんがここにいるんですか……」
「ん?」
ジト目でクロムに視線を向けると、クロムは「どこかおかしなところが?」とまったく一騎の抱く疑問に気付いていない様子。
「俺がここにいるのは当たり前の事じゃないか。俺はこの家の大黒柱だぞ」
「いや、そもそもそこがおかしいでしょ……」
この家でのクロムの肩書きはリッカと同じくこの寮の管理人――さらに言えば管理責任者だ。
特派という組織の最高責任者である男がつく役職では――断じてない。
「何を言う。イノリ君と一騎君が一つ屋根の下で暮らす場所だぞ? なら、大人の目もあった方がいいじゃないか」
「だからって、なんでわざわざクロムさんが……」
「それは、私達の問題ね……」
一騎と同じく、どっと疲れた様子を見せるリッカが項垂れながら呟いた。
「みんな、イノリちゃんと一騎君の恋路が気になって仕方ないのよ」
「……それで?」
「二人の営みに興味津々ってこと。もう出歯亀する気満々。唐変木のクロムでもないと二人の気が休まらない――って事なのよ」
その瞬間、一騎の体が反転。
「ありがとうございます、クロムさん!」
真相を知った一騎はクロムの両手を力強く握りしめたのだ!
そこには先ほどまで抱いていた猜疑心など微塵もなく、信頼に足る安心感さえ覚えていた。
「確かにこの役目はクロムさんにか勤まりませんよ!」
「ふっ、そうだろ? 安心しろ、夜に喘ぎ声が聞こえようが床が軋む音がしようが、爆睡した俺のいびきには敵うまい! 全てを掻き消してやろう!」
「クロムさん!」
「……男ってバカばっかりね」
目を爛々と輝かせ、熱い視線を交す馬鹿二人にリッカは憂鬱なため息を吐いて頭を垂れる。
一つの組織として、さらに言えば、その長として、クロムのとった行動は異常だ。
束ねるべき組織を離れるなどもっての他。さらにいえば、この危機意識の欠けた判断はリッカに一抹の不安を抱かせるには十分すぎるものだった。
「そうですか? 私は司令で良かったって思ってますけど?」
二人の話を横で聞いていたイノリは満足げに呟いていた。
その反応にリッカの胃はさらに痛くなる一方。
「まさか、イノリちゃんもあの馬鹿二人と同じなの?」
それは色恋に現を抜かす一騎やクロムを指して言った言葉だ。
だが、イノリは静かに首を横に振る。
「違いますよ。一騎君もクロムさんも本当はそんな事、思っていませんよ。たぶん特派の皆も」
「……え?」
「リッカさんなら当然わかっていると思っていたんですけど……」
イノリが一騎とクロムに向ける視線は穏やかなものだ。
その真意を察する事が出来ないリッカはますます意味がわからなくなる。
二人の会話にそんな視線を向ける言葉が混じっていただろうか?
軽蔑する眼差しか向ける理由がないのだが……
そんなリッカに対し、イノリはその真意を口にした。
「今、戦えるのは一騎君だけ。その不安を私はよく知っています。もし、負ければ後がない。誰も守れない――そんな不安が心を押しつぶそうとする」
それは、イノリやオズがかつて抱えていた不安だ。
この地球に召喚されたみんなを元の世界に戻す――それだけじゃない。
《魔人》となって暴走した仲間を全員助けだす――
その為に戦場へと赴く勇気と――そして計り知れないほどの不安を経験して来たのだ。
だからこそ、イノリの言葉は実感を伴ってリッカの心に響く。
「誰か側にいて欲しかった。君は一人じゃないって言ってくれる誰かが。支えてくれる誰が。今の一騎君はその気持ちをオズさんや私よりも強く抱いているはずだから」
つまりはそういう事。
今後、この戦いを一人で切り抜ける事になるかも知れない一騎に、少しでも力になろうと手を伸ばしたのだ。
一騎の帰りを待ってくれる人達がいる事。
そして、一騎の傷を一緒に受け止めてくれる人がいる事。
一騎の心の不安を少しでも和らげる為に、クロムはその大きな背中を一騎に貸したのだ。
それは、クロムにか出来ないこと。
何があっても大丈夫だと安心させてくれる拠り所となり得るのは、特派を纏める司令以外には出来ないのだ。
「もちろん、私も一騎君を支えますよ。仲間として、恋人として。一騎君の一番側で」
少し前までは一騎の協力に否定的な感想を呟いていたイノリから出た台詞にリッカは目を見開く。
ユキノを失った悲しみもあるだろう。
そして、一騎を戦いに巻き込んでしまった責任もあるだろう。
それでも、イノリは前を向く事を決意したのだ。
今のイノリに出来る戦いを。
一騎が背負ってしまった心の傷を一緒に背負う為に、イノリは一騎の側にいる事を決めたのだ。
「……強くなったのね、イノリちゃん」
少し前のイノリなら、傷を負うのは自分だけでいいと、一騎を突き放していただろう。
ギアを纏う事が出来ない状態でも、それは変らなかったはず。
けど、今は違う。
彼女の心は前よりももっと強くなった。
ユキノを失った悲しみを背負って、それでも、誰かに頼れる強さを身に付けたのだ。
それを甘えとリッカは言わない。
寄り添って、支えって、それで人は強くなれる。
一人だけの強さなどたかが知れてる。大切なのは、心を許せる力。
手を取り合い、繋ぎあう力だ。
イノリは今、ようやくそれを手に入れた。
心から安心して背中を預けられる相棒だ。
イノリが強くなれたのは当然の結果。
そして、この信頼関係こそが、クロムを含めた特派のみんなが望んでいた希望。
この土壇場で、ようやく手に入れる事が出来た最後の希望だ。
その事実を失念していたリッカから乾いた笑みが零れる。
「リッカさん?」
「ううん、何でもないわ。私が勘違いしていただけ」
クロムは組織を束ねる長として当然の行動をとっていたのだ。
新しく芽生えた絆をより、強固にする為に。
戦いで傷ついた一騎を守れるように。
そして、この希望を確かな形へと成す為に。
一騎と特派はようやく一つに纏まった。
これなら任せられる。
例え、この先誰が欠けても、きっと最後まで戦い抜いてくれるだろう。
もう、リッカの中に迷いはなかった。
リッカは二人の姿から、そしてイノリの言葉から、その答えを得る事が出来たのだ。
「……追い詰められていたのは私だけ、か……けどもう大丈夫。私も覚悟を決めたわ。大切なみんなを守る為に――」
リッカのその決断は、誰にも聞こえることなく、喧騒の中に霧散していくのだった。