あの時の嘘を本物に
時は遡り、学校にけたたましい警報が鳴り響いてから数分後。
一騎のイクスギアに通信が入って来た。
『一騎君か?』
「は……はい」
その声を耳にした瞬間、無意識に体が強張る。
通信の主はクロム=ダスター。特派の司令にして、異世界から召喚された召喚者だ。
震える声を何とかごまかし、一騎は通信に出る。
「どう……したんですか?」
『君に頼みたい事がある』
「戦い……ですか?」
『そうだ』
一騎の問いにクロムは否定することなく告げた。
勝手な話だ。
つくづくそう思う。
決闘で負けた一騎を用無しと見限り、戦う力を奪った挙げ句、今度は戦えと?
それは、あまりにも身勝手ではないか?
「勝手ですね」
険のある響だ。
『すまないと思っている。君の怒りももっともだ。だがそれを承知の上で――』
「違いますよ。勝手なのは僕の方です」
『……なに?』
「イノリさんに負けてから今日までずっと考えていました。僕の選択は間違いだったのかもしれないって。守りたいと拳を握った事が間違いだったのかもしれないって……ずっと迷ってました」
一騎には戦う力なんてこれっぽっちもない。
偶然、イクスギアに適合して、戦う力を手に入れただけに過ぎないのだ。
本当の一騎はとても臆病で、戦いなんて考えた事もない弱い人間だ。
願ったのは、ただ守りたいと、大切な人をこの手で守れるだけの力があるなら、守りたいと願った事だけ。
何度も、否定されて、そして拒絶もされた。
けど、
それでも、
「もう、迷わないって決めたんです。何度でもぶつけようって。理解されないなら理解してもらえるまで何度でも。だから……戦います」
この気持ちは間違いじゃなかったって、そう思う。
この胸に抱いた気持ちは間違いじゃない。
だから、もう一度、戦える。
迷いを捨てて、我武者羅に突き進もう。そう魂が鼓舞するのだ。
『そうか……すまない』
「クロムさんが謝る事なんてありませんよ。僕はただ、イノリさんに似て我が儘なだけなんです」
『そうか。一騎君、心して聞いてくれ。君のイクスギアの新たな認証コードは――』
◆
「おおおおおおおおおおおおッ!」
白銀のギアを纏った一騎の拳が《魔人》を捉えたのは、まさにイノリが意識を失う寸前だった。
ガントレットに守られた拳が《魔人》の堅牢な氷の鎧を砕き、吹き飛ばす。
前のめりに倒れかけたイノリを支え、一騎は【凍牢】の外へと一足飛びで離脱する。
「い……一ノ瀬……?」
呆けた表情を浮かべ、イノリがぼやく。
まだ状況が上手く理解出来ていないのか、一騎の腕に抱きかかえられたイノリは大人しいものだ。
『……一騎君、よく間に合ってくれた』
ギアの通信からクロムの声が聞こえる。
一騎はクロムの声に耳を傾けながら、安全地帯を探す。
この一帯はすでに《魔人》の領域。
いたる所に白い霧が立ちこめ、絶対零度の冷気がギアのバリアフィールドを通過して一騎の肌に突き刺さる。
大怪我を負ったイノリにこの環境は地獄だろう。
視線を彷徨わせる一騎の耳にクロムの指示が飛ぶ。
『青い光には触れるな。体を氷付けにされるぞ!』
「……あぶねッ!?」
今まさに、【凍牢】の領域に足を触れさせかけた一騎は咄嗟に引っ込めるとその場から飛び退く。
見れば至るところに【凍牢】の結界が敷かれており、今もなお、一騎を追うように、その領域が広がりつつある。
イノリを安全な場所に避難させるのは無理そうだ。
一騎は瞬時にそう判断すると、荷物を抱えるようにイノリを抱きかかえ、方向転換。
《魔人》の元へと突撃した。
初撃は《魔人》を吹き飛ばした豪腕での攻撃だ。
一騎の持つ武器はパイルバンカーが内蔵されたガントレットのみだが、イクスギアで強化された身体能力から放たれる拳闘そのものが強力な武器にもなる。
「でやッ!」
短い呼吸と共に神速の拳が《魔人》を捉える。
だが、直撃するその刹那。
分厚い氷の層が《魔人》の体を覆い、一騎の攻撃を防ぐ。
ガァアンッ! という炸裂音に一騎の表情が僅かながら歪んだ。
激突と同時に、殺しきれなかった衝撃が腕に伝わり、堅牢なガントレットに亀裂が入る。
それだけじゃない。
《魔人》の氷に拳が触れた瞬間、その場所を起点に腕が分厚い氷に覆われていく。
「くそ……ッ!」
一騎はギアと腕が完全に凍り付く前にギミックを発動。
パイルバンカーを起動させる。炸裂させたパイルバンカーの圧倒的な破壊力が《魔人》を吹き飛ばし、同時に氷の束縛を粉々に打ち砕く。
「あぶね……」
拳を何度も握りしめながら、感覚を確認。どうやら骨までは凍てついていないが、その内心では焦りが生じていた。
一騎の切り札をまともに受けたはずなのに、《魔人》は未だに健在。
獰猛な瞳を一騎達に向け、怒り狂ったように雄叫びを上げる。
「どうしろって言うんだよ……」
敵のあまりの頑丈さに呆れるしかない。
不完全とはいえ、パイルバンカーが直撃したのだ。もう少しダメージがあってもいいだろう。
思わず愚痴りたく本音を呑み込み、一騎は打開策を必死に考える。
「い、一ノ瀬……どうして?」
「ん? 今、忙しいんだ、どうして来たの? とか、戦うの? とはつまらない質問はするなよ?」
「……」
イノリの言葉が詰まる。どうやらその通りだったらしい。
一騎は《魔人》を見つめながら、呆れたようにため息を吐く。
今は戦闘中。しかも相手の力は強大。
手を抜ける相手でも、ましてやよそ見を出来る相手でもないが、こればかりは言っとかないと一騎の気が済まなかった。
「そんなの、お前を守りたいからに決まってるだろうが。言っておくが、イノリの反論は受付けないぜ。俺はこの我が儘を貫くって決めたんだ」
「……勝手すぎるよ、バカ……」
「勝手はお互い様だろ? 何度だって言うぜ。俺はイノリを守る」
「それは……どうして?」
期待するような眼差しを受け、一騎は「うっ」っと唸る。
そう聞かれると答えづらいんだよな……
けど、答えはとっくに決まっている。
恐らく、あの夜、ギアを纏った後ろ姿を見たときから――
その戦う姿を目に焼き付けた時から――
いや、恐らくずっと前――
記憶すら忘れてしまったずっと昔から――
初めて出会った時から抱いて来た気持ちだ。
「たとえ嘘でもさ……」
「え……?」
「あの時のイノリの告白、実はスゲー嬉しかったんだよ」
「へ……と、突然、なに!?」
あの時の事を思い出してか、イノリの顔が真っ赤に染まる。
けど、一騎だって同じだ。
戦いのど真ん中で、場違いだとわかっていながら、一騎は決意を固める。
「……好きだ」
「い、一ノ瀬ッ!?」
つまりはそういう事なのだろう。
皆の笑顔を守りたいのも、守る為にこの拳を握ったのも。
見知らぬ誰かの為に拳を握れたのは、イノリを一人にさせたくなかったから。
戦いを終わらせて、心の底から笑うイノリの笑顔を見たかったから――
一騎が守りたかったのはイノリの笑顔だ。
それが一騎の本当の戦う理由に辿り着いた瞬間だった――