メアの願い
「おおおおッ!!」
「――ちッ!!」
一騎の拳をメアは厳しい表情を浮かべ受け止めた。
ガンッと鎧と拳が激しい火花を散らし、衝撃が二人を吹き飛ばす。
《流星》を纏った一騎のラッシュは神速。
ほぼ同時に繰り出される拳の連打は目にも止まらない。
メアはどうにか反撃に出ようとするが、その初動を一騎は全て封殺する。
「どんだけはぇんだよッ!!」
メアは体勢を崩しながらも反撃の機会を伺う。
だが、《黒騎士》との修行の末、一騎が身に着けた技能は、メアの行動の全てを読み取る。
呼吸のテンポ、動きの癖、攻撃のタイミング――
相手の動きを見切る鋭い洞察力――
《覚醒》の力で生存本能という肉体の枷を打ち破った一騎の洞察力は異質。
空気の流れすら映す異様な視力は、メアの産毛の一本一本を見極め。
強化された聴覚はメアの呼吸どころか心臓の音すら聞き取る。
そして、記憶領域はメアのこれまでのしぐさ、言葉、戦い方を全て記憶し、メアという一人の少女の百科事典をたった一瞬で創り上げたのだ。
今の一騎なら、メアの行動の百手先まで予測できる!
「そこぉッ!」
わざと隙を作り、メアの攻撃を誘う。
好戦的なメアは咄嗟にその隙を突くように鋭い蹴り技を放つ。
だが、それは一騎の誘い餌。
一騎はメアの攻撃をくぐり抜け、カウンターの拳を放つ。
メアは辛くもその一撃をガントレットで受け止める。
吹き飛ばされたメアは受け身も取れずにどしゃりと地面から倒れこんだ。
圧倒的に優勢。
だが、一騎の表情は、これ以上ないほど強張っていた。
それは違和感だ。
メアの力は、一騎の今の実力を上回っているはずだ。
不意打ちとは言え、《覚醒》の力まで複製した《黒騎士》を倒しているのだ。
あの《黒騎士》は今の一騎では勝つのは難しい。
それを容易く撃破したメアがこんなに弱いのはおかしい。
それに――
(な、なんだ……この感覚)
拳を合わせる度に一騎の中にメアの力が流れ込んでくるような感覚がするのだ。
懐かしい魔力が身体を駆け巡り、力がみなぎる。
さっきからそうだ。
魔力の逆流とも言えばいいのか。
メアの力を奪うように一騎の魔力が回復していく。
そして――
(これは……メアの記憶、か?)
拳を合わせる度に一騎の知らない記憶が脳裏に刻まれる。
それは、メアの記憶だった。
最初に見たのはメアが生まれた記憶。
それは、一騎が初めて《魔人》に襲われた夜。
まだ死ねない――と一騎が願った時、一騎の中に封印されていたイクシード――メアが目を覚ました。
そして、メアは一騎を助ける為に、《魔人》と戦った。
そして、その後もメアは時折、一騎を助ける為に一騎の体を支配してきた。
総司と戦った時――
一騎が死にかけた時、メアは一騎を助ける為に戦ってくれた。
そして――今も。
「メア……君は……」
一騎はメアの記憶を垣間見て、戸惑いつつも拳を握る。
メアの鋭い眼光が、戦いを止めるな――と訴えていたからだ。
(何か……意図があるのか?)
一騎はメアの拳を受け止める。
やはり、少しも力が籠っていない。
「ほら、どうしたよ? もうへばったのか、一騎!?」
「……」
(どうすれば、いい?)
一騎は渋面を浮かべ、メアから距離をとる。
メアの思惑がわからない。
けど――
(戦うしかないのか!?)
メアが口を割ろうとしない以上、メアの記憶を盗み見るしか方法はなさそうだ。
その為には拳を合わせるしかない。
「いくよ……」
一騎は掠れた声で呟く。
震える手で拳を造り、何度もメアと交差する。
その度にメアの記憶を覗き見る。
それはあの日の夢の記憶だ。
夢の波にたゆたう一騎を心配そうに見つめるメア。
メアの気がかりは一つ。
この世界に取り残された召喚者たちの動向だった。
イクシードであるメアにはこの世界に残った召喚者たちの魔力を感じる事が出来た。
凛音だけじゃない。
他にも幾つもの魔力反応があったのだ。
そして、一騎の視線を借りて覗き見した凛音の表情は険しいものだった。
それは、イノリと別れた寂しさから来る表情ではなく、戦いを覚悟した表情だった。
そして、メアは理解した。
残った召喚者が一騎に何かしらの危害を加える存在だと――
(一騎は絶対に殺させない)
それは、メアにとって当たり前の感情だった。
メアにとって一騎は親であり、そしてもう一人の自分だ。
なら、一騎を守るのは当然の事。
ただ、問題があるとすれば、その時の一騎は腑抜けきっていた事だ。
イノリたち召喚者と別れた悲しみでふさぎ込んだ一騎。
とてもじゃないが戦える状態じゃなかった。
一騎に宿るメアは誰よりも一騎の事を良く知っている。
一騎は悲しんでいた。
笑ってイノリと別れられるように無理をして、ろくに別れも告げる事が出来ずに離れ離れになってしまった。
一騎の中に眠る後悔が、メアにとって窮屈でしかなかった。
だから、離れる事を決めた。
一騎を守る為に、必要なことだった。
(たとえ、オレが世界に拒絶されても……一騎だけは)
それはメアにとって修羅の道だった。
メアは自立型イクシードとして、一騎から離れて行動する事が出来る。
だが、一たび、一騎という器から離れてしまえば待っているのは、この世界からの洗礼だ。
暴走するメア自身の力に耐えながら、メアはずっと行動してきた。
トワイライトたちの接触。
トワイライトの《束縛》を受け入れ、一騎の代わりに新世界への人柱となる事を決意。
そして――
「……アリス、が……」
強張った声音が一騎から漏れる。
メアと記憶を共有して、アリスの最後を知った。
アルティメットギアの器として、存在を消された少女。
アリスの悲鳴。アリスが消える最後――
その全てが一騎の堪忍袋の緒を断ち切らせた。
怒りの視線を漆黒のギアを纏う《魔王》へと向けた。
「あいつが……アリスちゃんをッ!!」
奥歯をギリッと噛みしめ、憎悪が肉体を支配する。
頭に血が上りすぎて、冷静な判断力が欠如する。
あまりにも、残酷だ。
ただ、ギアの一部となる為だけに生み出された少女。
けど、一騎は知っていた。
彼女が、優しい少女だったこと。
誰かを守る為に命を賭けられる少女だったこと。
夢の為に頑なに努力出来る女の子だったこと。
一騎の前で見せた数々の表情が――
アリスという少女が、イクシードの器ではなく、一人の少女だったことを一騎は誰よりも知っている。
それを――
(あんな、物みたいに……簡単に消し去るなんて……ッ!!)
許せるはずがなかった。
一騎はメアを突き飛ばし、総司と激しい死闘を繰り広げるトワイライトへと足先を向ける。
「……あなただけは……絶対に許さないッ!」
目が据わり、殺気を滾らせた一騎が四肢に力を込める。
地面を踏み砕き、トワイライトに掴みかかる直前――
一騎の前を遮るように漆黒の拳が一騎を殴り飛ばした。
「……メア、何をするんだよ」
一騎は抑揚のない声音で、殴ったメアを睨んだ。
一騎の剣幕に晒されたメアは、けれど、叱責するように一騎を諭す。
「……わかってんだろ?」
「……何が?」
「今のお前じゃアイツには勝てねぇぞ」
「やってみなくちゃわからないだろ」
「やらなくてもわかるから言ってんだよ」
「……ッ」
一騎は呻くように下唇を嚙みしめる。
メアですら勝てないと思わせたトワイライトの纏うアルティメットギア。
その力は、実際に戦っていないのに、肌を刺すような威圧感は本物だ。
背筋が凍るような恐怖に身が竦む。
けど、一騎は怯まなかった。
「いつか戦う事になるんだ。なら、僕は戦う」
「死ぬぞ」
「かもね……」
一騎も否定はしない。
彼から感じるプレッシャーは今までのどの敵からも感じた事がない程強大だ。
総司も善戦こそしているが、倒す事は出来ないだろう。
総司が負けるのも時間の問題。
そして、総司の後は、恐らくは一騎だ。
一騎の持つ三つのイクシードの魔力を新世界の礎にする為に、一騎の命を奪ってくるだろう。
けど、勝ちの目がないわけじゃない。
「メア、君はどうして僕にこんな記憶を?」
記憶を共有する事で、一騎はメアが見聞きしたことを知った。
新世界の上書きはもう始まっている。
今、現実世界は残ったハクアと凛音によって上書きされていた。
計画はすでに最終段階だ。
後は上書きした世界を定着させる為に、強大な魔力で新世界を現実世界に縫い付けるだけ。
現実世界は消滅し、召喚者の為だけの世界――新世界が構築される。
けど、トワイライトを倒す事が出来れば、新世界は崩れ、現実世界は守られる。
「僕だって守りたい世界や仲間がいるんだ」
イノリと一緒に守った世界を。
凛音たち仲間たちを――
何より、現実世界に生きる人たちを守る為に。
みんなの笑顔が脳裏に浮かぶ。
(奪わせてたまるか……)
アリスだけでもこれほどの殺意が湧き上がるのだ。
これ以上、トワイライトから何も奪わせはしない。
だから――
「力が欲しい」
一騎は真剣な表情をメアへと向けていた。
そこには打算も計算もない。
あの夜と同じだ。
初めて《魔人》に襲われ、無力な自分に怒りを覚えた時と一緒。
理不尽をぶち壊す力を――メアを欲した時と同じだ。
「もう、迷わない。
僕は戦う力が、守る力が欲しい。
もう、イクスギアの責任から逃げたりしない。
君を遠ざけもしない。
僕と一緒にもう一度、戦ってほしい」
それは覚悟だった。
メアはもう一人の一騎。
一騎の中にある戦闘本能――
かつてクロムから死神と呼ばれた、《魔人》としての力だ。
けど、それも一騎の一部。
平和を願う優しい一騎としての一面。
そして、メアのように闘争本能を剝き出しにした一面。
どれも一騎だ。
どちらかを選び取る事などできやしない。
なら――受け入れる。
そして――一緒に戦うんだ。
「もう君を絶望させたりしない。
君が戦うなら、僕も一緒に――
僕らは――」
「……あぁ、その先は言わなくてもわかってるよ」
メアは呆れたように肩を竦め、クスリと笑みを零す。
「わかってんのか? オレはお前の仲間を苦しめたんだぜ?」
アリスを倒し、マシロを連れ去った事を言っているのだろう。
「……それも僕が背負う業だ。言っただろ? 君は僕だ」
メアに罪があるとするならば、メアを制御出来なかった一騎にも責任がある。
だから、助ける。
マシロも……
そしてアリスだって。
トワイライトの手から必ず。
「助けよう。今度こそ、助けられなかったみんなを――僕たち二人で」
「……違うな、オレたち一人だ、間違えんな。オレはお前の力。お前の剣で、盾だ……けど、忘れんなよ、今度腑抜けたりしたら……その性根を叩き直してやる」
「……それは嫌だな」
一騎は苦笑めいた笑みを浮かべる。
メアが離れ、力を失っている間、ずっと無力感を嚙みしめてきた。
守りたい人を守れるだけの力がない歯がゆさを、もう味わいたくない。
だから、メアに愛想尽かされるような醜態だけは晒さないようにしないと……
一騎はコホンと咳払いした後、メアに拳を向ける。
「行こうか、メア」
「……仕方ねぇ、行くぞ、一騎」
メアの拳と一騎の拳がぶつかる。
直後、メアの体が魔力の粒子となって一騎を包み込む。
一騎は溢れる魔力に身を委ね――
「行くぞ……
イクスギア――フル……ドラァァァァァァァライブッ!!」
万感の想いを爆ぜ、イクスギア《シルバリオン》を鎧纏うのだった――